三十日目

「お久しぶり。調子はどう? 前に話を聞いたときは、過食気味で困ってたって言うけど」

 あぁ、竜胆のことですね。最近の竜胆はあんまり食欲が無いみたいです。というのも、彼女は最近太ってきたことを気にしてるらしくて。あとは、食べるのがあんまり楽しくないって言ってました。でも、元気にやってますよ。

「あとは、あれね、衝動買いについて。少し良くなった?」

 衝動買いをしてるのはわたしじゃなくて牡丹です。牡丹ならまだ衝動買いしてますよ。でも、最近は家にある物を使ってみよう、って言うようになって。この間なんかは、アイブロウパウダーが欲しい、眉マスカラが欲しい、って言っていたんですけど、ちゃんと家にある物を利用しようよ、そっちの方がお得じゃん、って言ってくれましたね。

「最近は課題とかちゃんと進んでる? そしてちゃんと寝てる?」

 課題を進めてくれてるのは薊です。下手したら四時間近く机に向かってることもありますね。殺すぞ、とか言いながら、ちゃんと翻訳作業をやってるみたいです。授業もそこそこに出てるみたいですよ。

 眠れないといえば、雛芥子ですかね。最近の彼は少し元気が無いみたいです。あぁ、でも、薊が仕事を終えたときや、牡丹が節制できたとき。一番最初に抱きしめてあげるのは雛芥子みたいです。

「小説の方はどう?」

 蜜柑のことですか。蜜柑なら元気にしてますよ。ほぼ毎日小説を書き上げてるみたいです。SNSを断とう、って竜胆たちが言い始めてから、空いた時間をほとんどそちらに費やしてるんだとか。生き生きとしてますよ、彼女は。

「家族との関係はどう?」

 家族との関係の調節は、雛芥子や秋桜が頑張っています。薊や牡丹、竜胆なんかが自分勝手な方なので──いや、薊は抑圧的なので──彼女が良い顔をしているはずです。親の機嫌は損ねていませんし、この自宅待機期間も仲良くやれていますよ。

「──さん、私は今、あなたに聞いてるんです。ヒナゲシさんじゃなくて」

 何それ、ムカつく。竜胆が隣で口を尖らせた。

 ヒナゲシの言うことを聞かないなんて、此奴どうかしてる。カウンセラー失格だ。薊が激怒した。

 だからわたしは閉口した。はい、はい、大丈夫です、はい、元気です、はい。薊はカウンセラーのことが嫌いになったみたいだし、竜胆はもともとカウンセリングそのものを嫌がっていた。

 カウンセリングでは、元気でいることを求められる。そういうときには秋桜が対応する。彼女はただ、死んだ目で、はい、と答え続けるだけだ。そして、カウンセラーが求めてる言葉を差し上げる。

 万事快調です。

 それが嘘でも本当でもどうでも良かった。ただその場を上手くやれれば良い。だって、上手くやらなければ、こうやって誰かが責められる。

 この人には雛芥子が何を訴えていてもどうでも良いらしい。トラウマを抱えつつ、前を向こうと頑張っているのは彼だ。わたしじゃない。

 竜胆が過食に苦しんでいても、わたしには関係無い。それなのに、人はわたしに竜胆のことを聞く。どうして竜胆に直接聞かないんだろう。

 牡丹についてもそうだ。六人の中でもかなり不安定な部類に入る、良心の無い人でなし。衝動買いもゲームのしすぎも怠慢も、彼が悩んでいることであって、わたしには関係無い。

 仕事や勉強をしすぎないでね、とあなたはわたしに言った。違う。それは薊に向けられるべき言葉だ。わたしは何も頑張れていない。彼女が毎日毎日机に向かって勉強をして、彼女が仕事で笑顔で頑張っている。彼女を褒めないでわたしを褒めるなんて、最低だ。

 小説の才能を褒めるなら、蜜柑に言ってほしい。彼女はいつだって自信が無いのだから。誰かに褒められないと、自分の足元を埋められない。いつだって筆を折ろうとする。アタシの小説に、意味なんてあるのだろうか、なんて言って。

 謙虚で真面目でしっかり屋さん、そんな秋桜にも、悩みの一つくらいはある。他人に強く言われると言い返せないことだ。こうやって言い返しているのはわたしでも秋桜でもない、たいていは薊だ。薊がわたしたちの中で一番過激でかつ優しいから。

 電話が切れた。わたしは大きな溜め息を吐いて、鏡の前に立つ。くたびれた顔をしたわたしに、牡丹が声をかけてきた。

「ダッサい。もっと良い顔しなよ。このあと授業でしょう? さぁ、メイクしますよ」

 牡丹はメイクが得意だ。下地をつけて、コントロールカラーをつけて。アイラインを引くときは筆を寝かさないでくださいよ、なんて無茶振りを言う。彼の引いたラインは確かに美しくて、さすがだな、と思わされる。

「今日は塾だから、ボーイッシュにしましょう。チェックのシャツに、白いスキニー……ちょっと、太ったんじゃないかしら」

 秋桜は笑顔のくせにときどき冷たいことを言う。竜胆が気にしてることなのに。それでも彼女が選ぶ服はやはりセンスが良くて、鏡の前に立つ人間はすらっと細く見えるのだった。

「授業の課題は終わらせてあるからな。そうそう、酒は飲みすぎんなよ、ヒナゲシみたいになるから」

 薊は誰よりも努力家だ。勉強や仕事、誰もがやりたくないことを、自ら貰い受ける。無理をしすぎないでほしい、と五人は思っている。それが彼女の深い愛ゆえだというのは、五人しか知らないことだ。

「嗚呼、偉いですね、今日も仕事をよく頑張りました。誰も褒めてくれないなら、僕が精一杯褒めて差し上げます。ほら、おいで」

 雛芥子はそうやって五人を抱きしめる。頑張りすぎるのは彼も同じだ。彼は頑張っている人が好きだ。頑張っている五人が大好きだ。だから、皆が無理をしすぎないよう、人間関係を取り持ってくれている、頼れるお兄さん。

「仕事頑張ったからお酒呑むんでしょ? いーじゃん、今日は何もしなくたって。あたしたち頑張ったよ?」

 竜胆は誰よりも正直者で、誰よりもわがまま。言葉を呑み込みがちな五人の代わりに、好き勝手言ってくれる。だから今日もわたしは夜更かしをして酒を呑んで、疲れを飛ばそうとする。

「嗚呼、悪酔いするなんて。まったく、上着を着て、布団被って、しばらく寝てなさい。明日一日は休みをとってよ」

 蜜柑がそう言って布団をかける。困った奴らだ、と苦笑しながら。五人が健康を蔑ろにするとき、彼女は必ず忠告をくれる。その代わりに、その危機ですらも小説のネタへと昇華してしまうのだけど。

 六人は上手く役割分担をして物事を回している。狡猾で卑劣で、正直で素直で、賢明で愚直で、優しくて厳しい、そんな人を演じている。

 人に理解されようと思うのはやめた。人は皆、わたしの何かを取り違え続けている。その記憶は誰のもの? その強さは誰のもの? わたしは何も言わない。ただ健全な人間のふりを続ける。そうすることが、六人を傷つけない唯一の方法だから。

 白い箱の中、二日酔いの苦痛で呆然と独り天井を眺めている。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る