六日目

 今日のニュースも大騒ぎ。感染者数はいくど数えても鰻登り。外出の自粛を唱えたって、そんなの無意味なくらいに、グラフは右肩上がり。専門家気取りのコメンテーターが出したフリップには、急降下のグラフ。

 嗚呼、こうすれば被害を抑えられるのに! では外出を禁じてはいかが? しかし、事業主は生きていけなくなるではないか。そんなお金なんて無い? 出せ、出せよ、政治家の財布から金を根こそぎ奪い取れ! さて、次は政治家の思惑をお教えします──

 大きな欠伸をして、そんなニュースを他愛も無いBGMにする。だって、くだらないんだもの。あたしには全く関係無い。お金なんて入ってこないし、事業主でもないし、どうせあたしは外に出ないし。

「政治といえば、そろそろ政府からの支給品が来るわね。何だったかしら」

「布マスク二枚」

「国の借金を口に当てるなんて、天罰が当たりそうね」

 牡丹と秋桜がそんなことを言ってふざけ合っている。二人とも頭が良いから、諧謔を弄するのなんて当たり前。政治に口を出すのも当たり前。

 だとしても、あたしたちのスタンスはもう決まっている。政府からの支援なんて、頼らない。あたしたちは、あたしたちで生きていく。国からの支給品が来たからって、群がって、そこを感染者に襲われて? バトロワものによくある展開だ。

 バイト先で分けてもらった、桜味の紅茶を注いで回る。あたしも牡丹の隣に座って一口、いただきます。あ、熱い。電子レンジの加熱時間に従っただけなんだけどな。

 でも、その熱さを突き破るようにして、ほんのりと甘みが舌を包みこんでいく。香りのあるミルクティーみたいだ。香りが鼻を通って、体を温めていく。世間はコメンテーターやニュースキャスターの言葉で冷えきって、頭ばっかり熱くって仕方無いんだろう。

 テレビボードには、積みゲーと据え置き機が並んでいる。周辺はケーブルが混線している──いつも片づけが大変だ。床に放置されたコントローラーに、空っぽのお菓子の袋。昼下がりの白い光で、テレビ画面が暗くなって見えない。

 まったく、と言った秋桜は、チャンネルを変えようとボタンを押す。ニュース、ニュース、通販、婦人向け、ニュース、ドラマの再放送、ニュース……十二回ボタンを押したところで、秋桜はテレビの電源を消した。

「呆れた。何か面白い番組でもやってないかしら」

「どの番組でも、感染者数が増えたって煩いですからね。最近なんか、面白い番組見ててもテロップで感染者の話をしてますもん」

「大本営発表……だったりしてね」

 思わせぶりなことを言ったのは蜜柑だ。さっきからずっとノートパソコンに向き合っている。パソコンの周りには、スケッチブックだとか、ヘッドフォンだとか、痛ペンケースだとか、飲みかけの桜ティーだとか、いろいろ並んでいて、壁から真っ白い顔を出した巨人みたいだ。

 口角を片方だけ上げて、厭味ったらしく嗤う蜜柑。彼女の言うことは、だいたいこうやって厨二病臭い。まぁ、かっこいいけど。

「我が国の生産は、常に増加しつづけている!」

「『1984年』の『オセアニア』ね。貴女、本当その本好きね」

「そうですとも……じゃなくて、真面目に考えてるんだってば。このあと、この国がどう動いていくか……ブレインストーミングしてみよう。暇なんだし」

 くだらない遊びだけど、暇なのは確かだ。ゲームのやりこみ要素も、あとはクソゲーをやるだけだし。この人の言う遊びはたいてい盛りあがるのも否めないし。

 では、さっそく考えてみよう。あたしはウイルスを広げるゲームをやったことが無いから、ウイルスの動き方は知らない。でも、人間の動き方は知っている。

「はい! 布マスク二枚なんてふざけんなーって暴動が起きる!」

「それはもう起きてるわね……布、ってところも賛否両論かしら。見た目上、避けたいと思う職柄もありますし」

「そんなもん配ったところで、マスクなんて息苦しいししませんよ。さらに布マスクときた、ティッシュを挟まないと意味無いやつじゃないですか、それ」

「とはいえ、布マスクを使い回せば紙マスクの節約になるのは確か。アタシは良い判断だったと思うよ」

 あたしの言葉を秋桜がフォローしてくれる。だって布マスクってダサいじゃん。いや、ゾンビの蔓延る世界で見た目を気にするか、って言われたらしないけど、だからといって終末世界を旅する人が布マスクなんてすると思う? ガスマスクくらい必要でしょ。

 蜜柑は百均で買ったタッチペンをくるくると回しながら、うーん、と小さく唸る。それから、でも、と続けた。

「ブラジャーをマスクにする流行もあるし。だんだんおしゃれになっていくんじゃないかな」

「あー、敬虔なイスラーム教徒がヒジャブで差をつける感じ? あれ最高にクールだよね」

「だとすれば、今ファッション界がすべき行為は、おしゃれな布マスクを作ることじゃないかしら。一見紙マスクと見分けがつかないものとか……」

 秋桜と牡丹は美容とファッションに煩いタイプだから、こういう発言をするのも当然だろう。ここに雛芥子がいなくて良かったと──雛芥子と薊は昼寝中だ──思えるのは、彼も見た目重視の人間だからだ。

 布マスクといえば、うちにもいくつか用意されている。どれだけおしゃれに飾っても、しょせん布、立体マスクには勝てないのだけど。

「だとしても、非難からは逃れられないだろうね。可哀想なもんだよ、このまま大量に紙幣を刷って世間にばら撒いて死んでもおかしくないのに」

「あは、それって世界が絶望に染まって最高ですよねェ。そうでなくても、賃金を削減された人間がまともに働くなんて、人間たちは本当に信じてるんですかねェ? 金とコネで生計を立てている身ですよ、金が無くなったら何もできない無能になっちゃうじゃないですか」

「滑稽ね。借金してまで世の中を救った方が誉められたものよ、そうすべきね」

 あたしは話に入れなくて、一人髪を三つ編みにして話を聞いている。あたしにとっては、他の人がどうなろうとどうでも良い。あたしさえ病気にならなければ、それで。世界が滅んだって、あたしが生きていければそれで良いんだもの。

 外を見ると、一匹の大きな白い鳥が向かいの壁に止まっていた。悠々自適に羽を下ろして、こちらを見つめる。鳥の世界には政治なんて無いんだろう、鳥頭だから。

 仕方が無いので、あたしが話題をふることにした。退屈なんて絶対に嫌だから。

「賃金を失った政治家たちはどうするの?」

「そうね、研究者を雇うのも辞めるし、働くのも辞める。ありったけのお金で自分専用のシェルターを作る。政策が変わらなくなって、世界は大混乱。そこで政治家たちは言うの──『お前らが辞めろと言ったんだろ』と」

「くっくくく……あはははは! 最ッ高に絶望的じゃん、そのシナリオ! 全滅ですよねェ!」

「またダリアが愉しくなってる……」

 牡丹はこういう、どうしようも無い話が大好きだ。明日世界が滅ぶだとか、人間が大量に殺されるだとか──そういうスリルが大好きらしい。彼は人間を生きている自覚なんて無い。人間たちが苦しみ、悶え、悲しみに暮れる様を、まるで別の生き物であるかのようにして眺めている。

 牡丹は持ってきたポテトチップスを開けて、人差し指と中指で挟んで食べはじめる。ゲーマー食べだ、さすが牡丹。

「でも、現実は小説より奇なり、というのは事実だよ。相変わらず『持っているのに』買い占められたマスクや消毒液は高値で売れてしまうし、リスクの一つも理解しない人々はまだ外に出ているし、お金は尽きるし。これからは略奪の世界が始まったりしないかな」

「そうだとしたら、私たちは略奪する側に回るの?」

 秋桜の質問に、全員が黙りこむ。

 たぶん、秋桜はそういうことはしない。雛芥子はむしろ与える側に回るだろうし、薊もなんだかんだそういう人だ。蜜柑もそうだろうけど、牡丹は──

「良いですねェ、略奪に破壊! 国会議事堂に押しかける国民たち。感染して血眼になったゾンビたちの嘆き。出社を迫られた人々が常に感染していき──」

「さっきからダリアは乗せられすぎ。あたしは奪うよ」

 閑散としたシャッター街にやってきた人々が、道具をつかって閉まった店をこじ開けて、中身を強奪して。食事や衣料品はあるけれど、洋服は無い。マスク一つ変えないホームレスは、道端で丸くなって、集団感染。ネットカフェに逃げた人々だけが救われるけれど、そこにお金は入ってこない。

 嗚呼、考えてみると、案外ディストピアみたいだ。

 白い鳥はぷいっとそっぽを向くと、どこかへ飛んでいってしまった。曇った大空を悠揚に飛んでいく。それらに伝染る病気じゃなくて良かった、と思う──たいていサバイバルゲームでは、感染した動物の方が危険なんだから。

「感染者数が増えていけば、暴徒が現れるわ」

「だとしても、感染者数は増やすしか無いんですよ」

「え、なんで?」

「そりゃァ、『感染者数が減りました!』なんて言ったら、人間、どうすると思う? 皆、大喜びで外へ出ていきますよ。だから、永遠に緊急事態。いつか感染者数が指で数えられるくらいになったときに、ようやっと解除されるんじゃないですかね?」

「そして、政府は言われるんだね、『大嘘つきを辞任させろ』って。世界を救うのも容易いものではないね」

 世知辛いなぁ、とあたしも呟く。ゆっくりと真綿で首を絞めるように殺されていくこの国の未来は明るいのやら、暗いのやら。いずれにせよ、あたしたちが自己収容生活を続ける限りは、きっと感染者にはならないはずだから、おとなしく家にいよう、そういうことになってしまうのだ。

 桜のティースティックは無くなってしまった。もう無いの、と秋桜がティーカップ片手に、残念そうに言う。一昨日が最後のバイトのシフトで、そのときに上司に貰ったものだ。次に会うのは、ゴールデンウィーク明け。瓦礫と死体だらけになった終末世界で、またこの甘い泥水を啜れるように、あたしたちは大本営発表を真に受けつづけるのだった。

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