四日目

 薊は結いた跡のある髪を揺らし、げっそりして帰ってきた。肩からはバッグがだらんと垂れていて、メイクはよれている。アタシたちは彼女を笑顔で迎えるのだった。

 まだ外は薄青く明るいが、黄色い電気は煌々と点いている。ソファに雛芥子が寝ていて、机には秋桜と牡丹と竜胆が座っている。アタシはというと、空っぽの冷蔵庫から、余ったツナ缶だとか、豆腐だとか、千切りキャベツの残りだとかを引っ張り出して、並べてはうんうんと唸っているのだった。

 当然、備蓄を確保しなければ、料理のバリエーションも少なくなる。チャーハン、ハンバーグ、ポトフ、そうして料理を回してきたけれど、そろそろ食傷気味だ。出前を頼んでピザや寿司を食べるという手もあるのだが、せっかく暇なので料理の練習がしたいな、というアタシの独断だ。

 さて、薊はソファに座ろうとして、秋桜に呼び止められている──手を洗ってきなさい、と。薊は一瞬眉を寄せて面倒そうな顔をしたが、手をひらひらさせて部屋から出ていった。風邪もインフルエンザも、もちろん今回のウイルスも、手洗いで死んでくれるのだから、喜んで殺そうじゃないか、という意見でアタシたちは合意している。蝿や蚊のように動き回らないだけマシだ。

 すると、レトロゲーを出してきて遊んでいた竜胆と牡丹が悲鳴を上げた。カーレースをしているらしい。ゲームをしている二人は、犯罪者予備軍並みに口が悪くなるから困ったものだ。竜胆はコントローラーを机に投げ出し、椅子ごと背中を反らした。

「なぁにこのゲーム! ドリフトの効き悪すぎでしょ⁉ っていうか、ミニターボ出てんのこれぇ⁉」

「敵の殺意が強すぎる……どうやって一位獲ってたの、昔の僕」

 旧型のゲーム機は、色褪せた紺の六面体。二人が握るコントローラーのスティックは、年季が入ってべたべただ。解像度の低い画面に、先の見えないコース。昔のゲームにしては、と言いたいくらいだ。

 薊が帰ってくると、テレビに目を向けた。眠りから醒めたらしい雛芥子が、薄い目蓋を開いて、気怠そうに薊にならう。

「へー、こんなゲームやってたんだ。何年前のやつ?」

「十年くらい前ですかねぇ?」

「うわ、十七年前ですよ。僕なんかまだ中学生」

「僕でもまだアラサー……時の流れに愕然としますね」

「ボクなんてまだ小学生なんだけど」

 牡丹に雛芥子、薊にアタシ。生まれてから発売されているメンバーはまだしも、竜胆に至っては生まれてもいない。共同生活しているメンバーの年齢の開きは気にしないつもりだったけれど、こういうときに改めて思い知らされる。

 とはいえ、今このゲームで遊んでいるのはティーンエージャーとアラサーだ。何年経っても、面白いものは面白い、そういうことだろう。

 そういえば、と秋桜が声を上げる。彼女は隣に置いたぬいぐるみの頭に手を当てた。白い熊がだれて机に突っ伏している。白い、とは言ったものの、もう灰色になっている。確か、幼い頃に薊が買った物だ。名前は何だったか……

「ほら、『くまくー』」

「くま……⁉ 何そのネーミングセンス⁉」

「馬鹿にしないでくれない? 別の奴は『くほ』って名付けてたぜ」

「『ま』に一本足して『ほ』って……逆にセンスを感じますよ」

 牡丹と雛芥子がツッコミを入れるのももっともだ。アタシも意味が分からない。だが、くまくーと呼ばれた白い熊はさも満足そうに秋桜に撫でられてすやすやと眠っている。今まで物置に閉じこめられていた物のする顔とはとても思えない。

 結局カレーを作ることにしたアタシは、薊が尋ねたとおり、なぜこんな物を掘り出してきたのか説明することにした。きっかけは牡丹だった。

──もうさすがにゲームにも飽きてきましたよ。ソシャゲ、据え置き、ソシャゲ、据え置き……何往復してきたかと。

 彼はもう四週間くらいはゲーム三昧の生活を送っている。いや、よく飽きないよ。それはさておき、彼は新しいものを求め、物置に向かったのだった。そういえば、彼は新しい音ゲーは絶対に触りに行くような人だったし、スリル中毒者だから飽きが回るのも早かったか。

 物置を探すという行為が、サバイバルゲームにおいて何を意味するだろうか。答えは一つ──重要なアーティファクトや有用な武器があるのだ。

 畳んだダンボールに、使われなくなった折り畳み自転車に、飽きられたフィットネス器具に、一応存在している工具箱。物置のくせに大きい窓があるから、有象無象の影は人のように大きかった。

 そんな中、竜胆が見つけたのが、一つの支給品、いや、宝箱だ。スケルトンのコントローラーに、大きなソフトのケース──それは牡丹にとっては宝箱だった。別の据え置き機が代わり、前の据え置き機はタイムカプセルのようにしまいこまれる。かたやプレミアを求めて、かたや再び遊ぶいつかを求めて。

 それからは、竜胆と牡丹が物を掻き分けて出てきた。埃を被ったコントローラーをはたけば、日差しに透けて穏やかに光っている。最初の一時間は、動作確認から始まった。オプションを弄っているだけで牡丹はすっかり盛り上がってしまい、竜胆に先を急かされていたのを覚えている。

「そういうわけで、アタシたちにとってのレトロゲーを発掘したってこと。まぁ、あれだよね、『父が残したショットガンを手にした主人公』って感じ」

「まだその設定使ってんの? まぁ良いけど……そろそろ物置も片づけないとね」

「アレを掃除したら、下手したら喉を痛めて風邪でもひくと思うけど」

 薊の言うとおりではあるのだけど、まぁ、言ったとおりだ。サバイバルホラーにおいては、物置を片づけるほど物資が見つかるのだけど、たぶん健康値にデバフがかかるだろうし、時間を喰われるし。アタシにそれをしている暇は無い、たぶん。

 外に刺激を求めるのも一つだが、内に潜んでいる何かを探してみるのも一つだろう。事実、竜胆と牡丹はこれだけで一日の大半を使った。

 薊は大きく溜め息を吐くと、雛芥子の隣にぐいっと身を寄せて座って、寄りかかって、ほら、レースしなよ、と牡丹と竜胆に声をかける。

「なんだかんだ楽しんでるのね、薊も」

「プレーはしないよ、此奴らが悲鳴上げてるの見てるだけでお腹いっぱい」

「私もそうね、作業用BGMとしては最適ね」

 肩に寄りかかられた雛芥子は動くに動けず、ソファの肘掛けで頬杖をついている。秋桜も秋桜で、タブレット端末から目を上げて、解像度の低いレース画面を眺めるのだった。

 秋桜の言うことにも一理ある、アタシはアタシで作業が捗っている。スパイスの香りがしはじめれば、外も暗くなって闇色。窓の外からはコンソメの香り。隣では、違う誰かが今夜も自己収容生活を乗りきっている。

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