第10話 私も強くありたいから
「弥生、今日放課後時間ある?」
中庭で2人、いつも通り弁当を啄んでいると、夜月は思いついたように弥生に問うた。その鳶色の瞳は悪戯っ子のように光る。
「部活の後なら大丈夫だよ。自由参加だから、早い方が良かったら抜けられるけど」
手芸部は部員が好きな時に参加すればよいという方針だが、弥生は基本的に毎日被服室に通っていた。
「6時までだよね。それで大丈夫」
悪戯っ子の顔のまま、夜月は弥生の弁当箱から、タコさんウィンナーを拝借した。
汗をかいた身体に、黄昏時の風は心地よかった。バドミントンラケットを肩に提げて、校門前で待っていてくれる弥生のもとへ駆ける。背後で大仰にため息をつく悪友を感じた気がするが、気にしない。
「お待たせ」
「ううん、私も来たところだよ」
などと定番の会話を交わしつつ、夜月は弥生を外へ促した。弥生と歩くとき、夜月は必ず車道側を歩くことを忘れなかった。部活で作っている作品の話を聞きながら、いつもより長く歩いた。
「ここって……」
「アタシのバイト先。一度一緒に来たかったんだ!」
そう言うと夜月は弥生の背を押して自動ドアを通った。
「いらっしゃいませー」
店員の声が響く。
「お疲れ様でーす」
軽く同僚に挨拶をすると、夜月は弥生を促して列に並んだ。鮮やかな色のアイスが収められたケースは、言いようのないワクワク感を放っている。
「お待ちの間にご試食いかがですか」
店員が差し出したスプーンを受け取り、そのまま弥生の口元に運ぶ。夜月、デレデレである。
「アタシのオススメは、いちごミルク味とチーズケーキ味のダブル。でもいちごミルクとブルーベリーも美味しいよ」
「よっちゃん、ベリー好きだよね」
「弥生は何にする?抹茶も好きだよな。小豆入ってるのと入ってないのあるけど」
夜月も弥生も料理好きだが、食べるのも好きだ。これだけ種類が揃っていると目移りしてしまう。
「じゃあ、私は抹茶と、小倉にしようかな」
「アタシはいちごミルクとチーズケーキ。一口あげるね」
ささやかなやり取りに幸せを噛み締めながら、注文を通した。
「夜月!!」
カップを受け取って席へ歩き出した途端、背後から名を呼ばれた。夜月の上司で雇い主、この店の店長である。ベリーショートにしたキャラメル色の髪が勝気な目元を引き立てる大人の女性、に見えた。
「助かった〜。ちょっとだけ手伝ってくれない?真弓が熱出して急に来られなくなってね〜代わりも見つからなくてあと夜月にかけようと思ってたらなんとここに!ありがたい。勿論ちゃんと時給つけるからさあ」
それを客である弥生に聞かせて良いのかと夜月は顔を顰めるが、店長は構わず勢いよく捲し立てた。接客している同僚は、確かにいっぱいいっぱいなのだろう。店長を咎めることも、夜月勧誘に加勢することもできぬまま次々客を捌いている。
「いや、店長アタシ今デート中…」
止めてくれやしないかと、弥生を横目で見る。
「行ってきて、よっちゃん。私は待ってるから」
気遣ってくれるのはありがたいが、自分との時間より奉仕を選ぶか。そういう弥生が好きではあるのだが、夜月の内心は複雑だ。
「よし。じゃあ彼女には私からもう1杯プレゼントしよう。ダブルでいいよ」
「……それはお腹壊しちゃいそうですね」
結局店の制服に着替えてしまった夜月は、テーブルを拭き、ゴミ袋を替え、人手不足で手が回っていなかった接客以外の仕事を順に片付けた。
ホールに居れば弥生と目配せくらいはできるので、この指示を与えた店長は悔しいが流石と言っていい。
さて本来今日から貼るべきフェアの予告ポスターが、先の通りの人手不足で後回しになっていた。夜月はそれを終えたらレジに入るよう指示を受けた。
店内の窓ガラスにポスターを貼って回る。身長が高い分、この手の掲示は頼まれがちだった。外に向けて、水平か確かめながらテープで留める。
と、窓ガラスに映る背後で、見過ごせない光景が広がるのを見た。夜月はたまらずその身を翻す。
「お客様、失礼ですが他の方のご迷惑になりますので」
腹の奥が煮え立つ。頭も沸騰しそうだ。冷静な言葉が出るうちに消えて欲しかった。
「すみません店員さん。でも、お話ししてただけッスよ」
「そうそう。ね、お嬢さん」
男性客2人が、弥生のいるテーブルに寄り掛かっている。弥生に話しかけていたのが見え、駆けつけてみれば悪びれもせずこの返答。夜月の神経は逆撫された。
「えっと……」
困ったように笑う弥生を見ては、もうダメだ。限界。
「こっちが下手に出てるうちに失せろよナンパ野郎。人の連れに手ェ出してんじゃねえよ」
声にドスを利かせ、目に刃を込める。夜月の方が少々背が高く見下ろす形になったこともあり、男たちは本能的に恐怖を覚えた。
「し、失礼しました……」
彼らはそのままふらふらと歩き、弥生から離れた席についた。
店長に呼ばれ、接客に就いてからも、このことが頭にこびりついて離れなかった。自分がそばにいながら……
店長に次回奢ってもらうとしっかり約束されて店を出た時には、すっかり暗くなってしまっていた。
「店長さん、ちょっとよっちゃんに似てるね」
「あ〜……まあ、アタシの方がカッコいいけどね」
「そうだね」
弥生は努めて明るい声を出していたが、下がった目尻は笑顔ではなく浮かない顔だった。
弥生を待たせて、挙句ナンパ男に晒させた。夜月は苦い思いを噛み締めていた。
「……ごめんな弥生。折角来てくれたのに嫌な思いさせた」
立ち止まり、頭を下げる。好きな子の前ではとびきり格好つけたい。夜月はいつもそうだった。
中学の頃に付き合った相手ともそうだった。治安の良い地域ではなかったから、絡まれることも多かった。大事な人に変な害を与えたくなくて、矢面に立ち、強くなった。お陰で腕っぷしもエスコートも並の男には負ける気がしない。
それでもこうして隣の弥生を笑顔にできないことが不甲斐なかった。
「そうじゃない」
そんな夜月の物思いを断ち切ったのは、弥生の静かだが強い否定だった。
「そうじゃなくてね、よっちゃん」
弥生は口ごもり、再び歩き出した。夜月も促されてそれに続く。
「私は頼りなくて、さっきも自分で断れなかったし、よっちゃんにもついつい甘えてしまうけど」
「そんなこと」
「でもね」
夜月の反論は遮られ、振り返った弥生の真剣な眼差しに捕らえられた。
「大切にしてくれてるのはすごくすごく嬉しい。でもね、出来れば私も、守られるばかりじゃなくてちゃんと、隣にいたいの」
金糸のような髪も湖面のような瞳も、街灯を浴びて輝いている。しなやかで強い弥生の願いは、当然のこと。それなのに夜月は忘れてしまっていた。
「今、すごく矛盾すること言うんだけど……」
夜月の頬は、いちご色に染まっていた。泳ぐ視線は普段の彼女らしくないほど狼狽し、困惑している。
「弥生があまりにかっこよくて、やっぱりアタシが守りたい」
強気で、堂々として、カッコよく。そんな自分でいたいと思う。だが目の前の愛しい人は、どうやらそう簡単にはそれを許してくれないらしい。
「ごめん。言ってくれて、ありがとう。やっぱりアタシは、弥生のそういう凛としたとこ、好き」
それでもやはり満足げに微笑んだ彼女に恥じないくらいには、強くありたい。
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