第8話 私が1番見てるのに(後編)
『だって……女の子だよ?』
麻子の言葉が頭を過ぎる。集中しろ。飛んでくるシャトルだけに。
『幸ちゃん、大丈夫?』
眉を下げた麻子を心配させまいと、幸香はただ笑ってその場を辞した。頭を掻き毟っても、記憶は変わらないし出て行ってもくれない。
手首を返し損ね、羽根は勢いがつかないまま相手コートに返る。すぐに鋭い返球が来て、幸香はポイントを失った。
「おい幸香」
ネットの向こうから、夜月が腑抜けた幸香に炎のような視線を投げている。雨が打ち付ける湖面のように揺れ続ける幸香の瞳に、焼き尽くさんばかり挑んでくる。
「悪い。なんでもないから」
ここで夜月は限界を迎えた。体調が悪いので保健室に連れて行くと部長に告げると、幸香の手首を掴み、体育館から連れ去った。練習中なのに驚いて振り返った麻子がシャトルを頭で受けるのが見えた。
当然行先は保健室ではなく、校舎の中、屋上と通じる階段だった。
「屋上なんて閉まってるでしょ?」
「開けるんだよ」
夜月はしれっと、鍵を回し扉を開いた。幸香は呆れて口をぽかんと開けた。
「アンタ……」
「1学期末にさ、掃除させられた時にちょっと、ね」
夜月は歯を見せてそう笑う。喧嘩っ早さだけが彼女の中学時代のあだ名の原因ではない気がしてきた。
黄昏時の風は、汗をかいた身体には少し冷たい。空を見上げ、日が落ちるのが早くなったとぼんやり思う。
「で、さっきのふざけたプレーは何だったんだ?」
地面に堂々と胡座をかき、夜月は隣に座れと示した。喧嘩腰で、勝手で、ズケズケとものを言う。好いた女にべたべたに甘い。出会った時から大嫌いで、1ポイントだって負けたくないライバル。けれどこの時ばかりは、幸香も観念して夜月に従った。
「アンタは麻子のこと、可愛いと思う?」
髪を結んでいた細いゴムを外し、指で弄びながら、幸香はぽつりと呟いた。
「え、そりゃ可愛いでしょ。ちっちゃいし健気だしよく話聞いてくれるしおめめくりくりだし美味しそうに食べるし」
夜月はつらつらと述べる。それは幸香の思う麻子の魅力とも一致していて、夜月がどれだけ麻子をよく見ているかを示していた。
幸香は口を開けたが、眉を歪めて夜月を見つめるばかりで、言葉を発することができなかった。
「いや、どういう表情よそれ」
そう言われて我に帰ると、幸香は夜月の手をつねった。不服そうに唇を尖らせる夜月は、全く可愛くない。何故こいつにわかってもらえてしまうのか、釈然としない。
「ハァ〜〜〜〜〜〜…………」
大仰にため息を吐くと、幸香は昼休みに麻子と交わした会話、遡って瑠依のこと、ついでに高橋と麻子のダイエットのことまで、憮然としながらも夜月に洗いざらい話した。勿論麻子の耳に入って傷つけない程度に個人情報を隠しながら。悔しいことに、夜月は黙って頷くだけで最後までよく聴いてくれた。
「アンタら付き合ってなかったの……?」
聴き終えた夜月は、ひとついいかと前置きしてこう言った。夏休み前、幸香が麻子を体育館に連れて来た時から、いやなんならそれより前、幸香のスマホにメッセージの通知が頻繁に来ていた頃から、てっきり麻子は幸香の彼女だと思っていた。
「こっちだってショック受けてんだよ抉るな。確かに直接言ってなかったけども……」
「まあ落ち着けって」
夜月は頭を掻く幸香の背を叩いた。その乱暴な仕草は気に食わなかった。
「アンタこそ弥生ちゃんに振られたらこうなるよ」
「無理」
仕返しとばかり鋭く切り込んだ幸香の仮定は、割と深く夜月を抉ったらしい。少し満足した。
「これがプレーに影響していいわけないのはわかってるよ。悪かった」
「いや、だからさ、アンタがアタシに謝るってのが重症なんだよ。よっぽどのショックだったんだろ?」
なんだその基準は、と思ったが、実際そうなのだろう。弱気になっているから、負けたくないはずの夜月にも謝罪が出た。らしくないと自分でも思う。
勢いをつけて立ち上がると、幸香は叫んだ。
「大体さあ、なんで麻子はよく知らない、あの子の可愛さも全っ然わかっちゃいない相手にば〜〜っか懸想すんのかね!私の方がよっぽど麻子のこと好きだと思うんだけど!?」
「同感だね」
夜月は肩を竦める。実の所、夜月が麻子の可愛いところとして挙げたのは、幸香がそう見ているところだ。
「どうせあんなの、憧れを好きと勘違いしてるだけだろ!」
「そうかもね」
サッカー部のエース、中学の時のミステリアスな同級生。いずれも離れたところから憧れているくらいが丁度いい。
「ていうかあの女、なんで急に声かけてくんのよ、ムカつくし!」
「お、根の深い嫉妬だ」
ビシッと人差し指を夜月に向けて続ける。
「るせぇいつもいちゃいちゃしやがって、羨ましいんじゃ!」
「あ、やっぱそう思う?」
部活帰りに夜月が弥生と連れ立って歩くのを、幸香もよく目撃していた。
「はい、終わり!まあ、まだ正面から失恋した訳じゃないんや。落ち込むのはやめだ」
幸香は両腕を天に向け伸ばした。
麻子はたとえ憧れだったとしても、きちんと相手に好かれようと自分を変え、真正面から告白した。幸香はまだ、そうじゃない。
「スッキリしたかよ」
「うん。ありがと」
「……やっぱまだダメだろ。いつもならアタシに礼を言うとは思えない」
「抜かせ」
すぐに麻子に想いを告げる気にはなれない。だが、今は隣に戻れる。そのうちきっと伝えよう。自分の好きが、彼女とは違うものだと。また頷いて聴いてくれたらと願うばかりだ。
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