第6話 鎧を解く瞬間

「あの……!」

「…………何?」

弥生と綾美は、4月からほとんど毎日被服室で顔を合わせている。にも関わらず、まともに言葉を交わしたことはこの時までなかったと言っていい。残暑が和らいでも良いのにと辟易し始める9月であった。

手芸部は自由参加で、一度に大勢は集まらない。何かしらの部にとりあえず所属しておこう、という部員が多かった。

今日も弥生と綾美2人きりで、黙々と作業をしていた。ミシンの音とだけが響く、閑散とした空間だ。まだ教室はクーラーが効いていて、弥生の首の汗も少しずつ引いていた。張り付いていたブロンドヘアも、もう心地よく乾いている。

弥生は綾美と、話してみたいと思っていた。綾美は今、ブラウスにフリルを縫い付けている。自分で型紙を起こして作ったものだ。綾美は自分の着たい服、持ちたいアクセサリーを、自分で生み出す。大柄の生地に、たっぷりとしたフリルや大きなリボン、目を引くそんな服に自信を持っている。弥生も裁縫は好きだが、作るのは小物が多い。バッグやポーチ、ポットカバーといったものだ。だから単純に綾美の技術は気になる。それにクラスでは話し相手が少ない弥生としては、いつまでも閉じこもっていてはこの先も貴重な出会いを見逃してしまうのではないかと最近は悩んでいた。高校で出会えた大切な人がいるからこそ、もっと踏み出したい。


「あの……そのブラウスも凄くその、可愛いね……!」

ミシンの音が止まった。声も返ってこない。仲良しの夜月よつきの隣で過ごす沈黙は穏やかで快いのに、返事を待つ今は全身を針で刺されているように痛い。

「ありがとう……ていうか弥生ちゃん、喋れるんだね!?」

綾美はそう目を丸くして立ち上がった。

「可愛い小物作るなあって思ってたんだけどほんと喋らないし、もしかして日本語苦手?とかだったらどうしようとか、怖がられてるかなとか思ったりしたんだけど、気づいたら番長とつるんでるしさあ〜もうどう話したらいいの〜って感じで!喋れるなら言ってよも〜〜う」

続けて綾美は弥生に駆け寄り、早口でそこまで言い終えた。弥生は予想外の展開に気圧されつつ、どこから返事をしようかと思案して、結局自分以外のことから触れることにした。

「えっと、よっちゃんのこと知ってるの?」

自分の話をちゃんとしようと思っていたのに、これは逃げだろうか。どうやら綾美にも自分の髪は誤解を与えていたようだし、そのうち挽回しなければ。

「まあ、中学同じだったから」

なるほど。綾美は夜月の『番長』時代を知っているのか。治安の良くない地域で、自分と周囲が売られた喧嘩とイチャモンを買っていたら誰を率いてもいないのについた名だ、と夜月はいつも言う。その番長を『よっちゃん』などと弥生が呼んでいることを知り、綾美は畏敬の目を向けた。

そうして放課後の被服室は、随分賑やかになった。


「弥生の髪ってさ」

いつの間にか呼び捨てになっている。

「綺麗だよね」

今度は弥生が目を瞬いた。正面からこのブロンドを褒められるのは、夜月以外には久しぶりだった。

「友達にも金にしてる子いるんだけど、ブリーチだからすぐパサつくっつっててさ。羨ましいって」

部活終わり、綾美を迎えに来たことがあるので、その友達のことは見たことがある。綾美とはまた違うタイプに見えたが、同じようにたぶんファッションが好きに見えた。

「ありがとう。私もこの色とか質は、実は嫌いじゃないの。でも、なかなか難しくって」

「周りがでしょ?わかる〜。いや同じじゃないんだけど、たぶんわかる」

弥生が言わないうちに、綾美はすっと真剣な顔になり、何かに納得している。恐らく個性的なその服装は、誤解を招くこともあるのだろう。

綾美は何かをわかったと言うが、弥生はここで一度自分で自分のことを話してみようと思った。たぶんわかる、と言ってくれた綾美にだからこそ。

「あのね……」

日本生まれの日本育ち。ただの生まれつき。親も自分も好きだけど、周りの目は面倒で、つい黙ってしまう。

そういう弥生の話を、綾美は手を止めて何も言わずに聴いていた。




弥生と綾美はすっかり会話が弾むようになった。今日も被服室には2人きり。そろそろクーラーはいらなくなっていた。

「綾美ちゃんは、よく作ったものの写真撮ってるね」

「これ?うん、ほら」

綾美が弥生に向けた画面には、写真や動画がメインのSNSのページが映っていた。画面をスクロールすると、綾美が作った色とりどりの服や帽子、アクセサリーの写真がずらり並んでいる。今目の前で完成したブラウスも早速載っている。

「弥生はアカウント持ってないの?」

「うん、やったことない」

綾美は、頭の上に電球が点灯するのが見える気がするほどわかりやすく、閃いたという顔をした。弥生の隣に座ると、弥生にもスマホを出させた。

「やろうよやろうよ。んでさ、作ったもの載せな!」

今まで弥生にSNSの経験がなかった理由はいくつかある。そういう場は悪意も渦巻いているだろうと、経験上知っているから。そしてそもそも弥生の趣味は内向的で、発信するためのものではなかったから。

眉間にシワを寄せた弥生の背を綾美がバシッと叩いた。

「占いと一緒で、良いことだけ気にしとけばいいんだよ」

そう笑う綾美を見ると少しだけ、変わったことをしてみても良いかもしれないなんて気になってくる。

「じゃ、じゃあ、教えてくれる?」

終始ウキウキ笑顔の綾美に手伝ってもらい、アカウントを作った。アイコンには実家の犬の写真を設定して、以前作った買い物袋の写真を投稿した。

数秒で届いた通知は、隣の友人からであった。

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