3人目 黒沢 省吾(くろさわ しょうご) 39歳 男
彼には夢があった。サッカー選手になり日本代表としてブルーのユニホームを纏い、グリーンのフィールドを駆けるのが夢だった。夢の為ならどんな努力も惜しまなかった。身体を鍛え、テクニックを磨いた。
高校時代はろくに勉強もせず、部活に専念していた。大学へもスポーツ推薦で進み、このままプロの道へ進む、そう思っていた。
そんな時、彼に悲劇が起きた。
右膝靭帯亀裂、全身打撲。
通学中の不幸な事故だった。
居眠り運転の車が歩道に突っ込む事故。彼は不幸にもそこに居合わせた。
彼の怪我は全治2ヶ月と診断された。
事故にもめげずに彼は治療に専念し、必死にリハビリをした。しかし……。
フィールドに戻った彼のプレイは酷いものだった。右膝に違和感があり、思うようなプレイが出来なかった。医師が言うには完全に完治しているとの事だった。
「だったら何故!思うように動かないんだ!」
彼は全てにおいてやる気を無くしてしまった。
「もういい、身体が拒否してるんだ……。」
彼は小さい頃からの夢を諦めた。たった一度の事故で……。
彼からサッカーを取ったら何もなかった。大学も勉強についていけず退学してしまった。
それからは何も出来ずに死んだように生きていた。
2年して親の紹介で小さな建設会社に就職した。そして、何も満たされることのない生活の中で彼に転機が訪れた。
運命の人との出会い、そして娘の誕生。
営業先の受付をしていた女性と彼は出会った。平凡な女性だがどこか陰がある所に彼は惹かれた。自分と同じだと感じたのかもしれない。
彼女もまた夢に敗れていた。似た者同士で惹かれ合い、そして愛し合った。半年の交際の末、結婚。1年後には娘が生まれた。
彼は幸せだった。見つけたのだ、新しい夢を。この妻と娘を幸せにする事を。彼は生まれ変わった様に必死に働いた。その甲斐もあって昇進し、副部長となっていた。もう1人の娘も生まれ順風満帆だった。
しかし、運命はまた彼を苦しめる。
ある日、彼は酷い目眩に襲われ会社で倒れた。数日前から胃の調子が悪く食欲が無かった。救急車で彼は病院へと運ばれた。
病院で診断の結果、彼は癌だと告げられた。
「俺が、癌……。」
彼は思った。自分が何をしたのか、また夢を奪われるのかと。項垂れる彼に医師は告げた。
「大丈夫です、まだ絶望する進行状況ではありません。これなら切除で全て取り除けるかもしれません。」
「本当ですか!」
「はい。貴方に手術の意思があるなら、私達は最前を尽くします。」
「……お願いします!」
彼は手術の為入院した。しかし、不安だった。癌、死ぬ病気、抗がん剤、副作用、転移。中途半端な知識が彼を苦しめる。順調だったのに、小さい頃からの夢は叶わなかった。それでも妻と出会い、娘を授かり幸せだった。
「妻と娘達を幸せにしたい。ただそれだけなのに…。俺は夢を見てはダメなのか…?2度も俺から夢を奪うのか…?」
彼の手術の日が決まった。
「黒沢さん、こちらが執刀医の秋山先生です。」
「秋山です。」
「どうか、よろしくお願いします。」
「……はい、最善を尽くします。」
彼の頭は不安でいっぱいだった。何も考えられず…。ただ頭を下げる事しか出来なかった。
そして、麻酔をかけられ眠りについた。
次に目を覚ました時には妻と娘達がいた。
「「パパ!」」
「あなた!」
「手術は…?」
執刀医が入って来た。
「目が覚めましたか?」
「先生、手術は?私は?」
秋山は頷き。
「無事に終了しました。あとは経過観察が必要ですが、おそらく転移もなく安心して大丈夫でしょう。早期発見が身を結びましたね。」
「よかった!ありがとうございます!」
「いえ、私は役目を全うしただけですから。」
そう言って秋山は病室を出た。
「よかった!パパ!」
「結花、茉莉!」
彼は娘達を強く、強く抱きしめた。
終わり
『叶わぬ思いもある。それでも人は強く生きていく。』
次の人物『滝川彩子』
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