ソシャゲの神様

凍日

無課金ガチャは仕事の前に

 深夜。

 ぴろりん、とメッセージが入る音が鳴り、北浜佳菜子きたはまかなこはスマホを触る。メッセージの主は友人の大里浩美おおさとひろみだった。

 

『今ヒマだったらちょっとイベント手伝ってくんない?』


 ソシャゲの話だ。

 佳菜子もプレイしているソシャゲの、複数人で参加しないとクリア報酬がもらえない期間限定イベントのことだろう。

 幸い、今夜はヒマだ。片手を伸ばせば届く位置にある固定電話は静かに寝息を立てている。


『いいよ』

 

 通信システムが5Gに完全移行を果たして数年が経過した。

 携帯電話はどのように進化するかと思いきや、高校時代に空想していたほど大きく変わってはいない。スマホの人気も根強く残っている。佳菜子もスマホだ。

 ソシャゲも未だに健在だ。

 最新ゲームに比べれば、ソシャゲ文化はまるでガラパゴス。レトロ趣味の範疇に入るのだろうが、佳菜子はそれで十分だった。

 アイコンをタップし、ゲームを起動させる。アニメーション再生をスキップし、タイトル画面が表示された。

 昔とまるで変わらない、実家のような安心感。

 毎日毎日ベッドに伏せり、ソシャゲをしていた高校時代のあの夏を思い出す。


「……って、ちょっとおいおい!」 

 件のイベントは開催期限が今日の23:59までだった。24:00になればメンテナンスが入り、次のシーズンに向けた調整がなされ、朝の6:00になるまで操作できない。

 もうあまり時間が無い。

 無課金ユーザーの佳菜子は、浩美に協力できる手段が限られる。一応、手は尽くしたが、佳菜子の行動がうまくいったかどうかは一定時間が経過しないとわからない。


『浩美なら、私よりももっと上位ランカーの知り合いくらいいるでしょ』

 

『佳菜子には、ソシャゲの神様がついてるから!』

 

 苦笑する。

 手持ちのキャラクターを一覧する。キャラも装備もそれなりではあるものの、所詮は無課金。それなりでしかない。

「基本プレイ無料」を標榜するゲームによくあるように、課金で得られる恩恵は大きい。事実上有償でしか手に入らないようなアイテムやキャラもたくさんあり、当然ながら見栄えも性能も遙かに優れている。

 今月のガチャを見てみる。

 好きなタイプのキャラが、期間限定で排出されやすい設定になっている。

 もちろん未入手。理論上は無課金ガチャでも当たる可能性がある。たとえ無課金でも、頑張ってプレイすれば月に数回くらいはガチャを回す報酬が得られるのだ。

 そして今、佳菜子はガチャを一回だけ回せた。

 少し迷った。

 迷って、回した。

 派手な演出が始まり、そしてキャラクターカードが表示された。

 かわいらしいキャラだ。

 かわいらしいが、すでに持っているキャラだった。

 要するにハズレ。

 ま、こんなもんだ。

 無課金で回しても当たり枠を引く確率は0.1パーセントにも満たない。

 この程度の事態でヒートアップするようでは失格だ。ギャンブル依存症が見えてくる。熱くなってしまえば医者の不養生。そう、文字通りに。


 据え置きの電話が着信音を響かせる。

 佳菜子は素早くスマホを机に置き、2コール目で受話器を上げた。

 

「はい、こちら○×救急医療センターです」

 

 交通事故の急患。

 怪我人は自家用自動車の運転手一名、中年男性。同乗者はなし。

 119番は通行人によるもので、自動車が電柱に激突したらしかった。

 頭部に5センチほどの裂傷あり、打ち所が悪かったのか現在意識不明。

 エアバッグは正常に作動しており、他に目立った外傷はなし。

 以上は現場に駆けつけた救急車からの連絡による。

 

 仕事の待機時間にガチャを回すといつもハズレだ。

 だがもし最高レアリティのキャラが当たったらどんなに嬉しいだろうか。

 嬉しさのあまり心拍数が上がり、手が震えるかもしれない。

 そんなときに急患が入り、患者が重体で、オペをしなければならなくなったとしたら?

 佳菜子は医師だ。だが生身の人間でもある。

 そうならないために、神様がハズレを引かせているのだ。

 なんてね。

 佳菜子は軽く首を振る。

 平和な夜に無課金ガチャを回した後は、いつも急患がある。

 暗いディスプレイに反射する自分の醒めた顔を一瞥すると、椅子にかけていた白衣に袖を通す。

 迷信めいた考えを頭から追い出し、手術室へと佳菜子は向かった。


 十数年前、高校時代。あの年の夏。

 閉め切った部屋で佳菜子は一人、うつろな目でスマホを眺めて時間を過ごした。

 朝、目が覚めると、スマホを触る。ホーム画面のアイコンをタップし、ソシャゲを起動させる。表示されたタイトル画面をタップすると、ログインボーナスを入手する。あとはだらだらと、ゲーム内行動をただ延々と繰り返すばかり。毎日、同じ手順の繰り返し。

やがて7月が過ぎ、8月になり、9月を迎えた。その間、毎日同じイベントを一人でクリアし続けた。


 医療は集団事業である。一人だけ優れた医師がいても、病院はうまく回らない。

 職場の仲間に恵まれている、と佳菜子は思う。

 皆の協力のおかげで、縫合手術は滞りなく終了した。

 とはいえ患者は頭を打っているため油断はできない。

 CTで脳内をスキャンしても異常は見られなかったが、今夜は入院してもらうことになった。

 術後、看護師たちの労をねぎらいながら、カルテに書かれていた男の名前を思い浮かべる。

 杉下大毅すぎしただいき

 高校時代のクラスメイトだった。

 そして佳菜子の、遠い昔の想い人だった。

 かけられた言葉が耳に蘇る。

「ありがとうございます。すみませんでした」

 

「おれ、お前のことが好きだ。佳菜子」

 そう言ってくれた男の子は実にあっけなく態度を翻した。

 2020年、新型コロナウィルスが猛威を振るった年の夏。

春先に正体を現し、夏前に一度おとなしくなったウィルスは、ふたたび夏に牙をむいた。

 延長拡大した緊急事態宣言が解除され、佳菜子の父も各地に出張する機会を取り戻していた。

 父が新型コロナウィルスに感染したのはそんなときだった。

 体調はほどなく回復したが、周囲の態度は変わってしまった。

 杉下のLINEは滞りがちになった。

 中学生男子の甲斐性では抱えきれなかったのだろう。

 佳菜子がクラスに復帰したときには、杉下は別の女子生徒と下校するようになっていた。


 それからまもなく夏休みになった。

 夏休み中、佳菜子は塞ぎ込んでいた。全校生徒に向けて出された外出禁止令が、自分一人に向けられているように感じられた。

 唯一LINEでメッセージをくれていたのが浩美だった。

 だが佳菜子は気遣いに応えるだけの精神的余裕もなかった。

 佳菜子を救ったのはゲームだった。

 塞ぎ込む前、ゲーム好きの浩美に影響されて自らもいくつかソシャゲをダウンロードして遊ぶようになっていたが、そのうちの一つだった。

 平凡なゲームだった。特にこれと言って特徴のない、言ってしまえば有象無象の一つでしかなかったが、箱庭のような自分だけの町並みをメイキングできるこのゲームを佳菜子は一番気に入っていた。

 夏の間、何をする気力も湧かなかった。

 ただ毎日、機械のように同じ操作を繰り返していた。同じイベントをクリアし続けた。

 そうすることで胸の空白を埋めていた。

 

 7月が過ぎ、8月になり、9月を迎えた。

 その間に、クラスの皆は佳菜子の父を忘れていた。

 実に様々な経路をたどって身近に感染者が増加していたのだ。

 気がつくと、自分に向けられていたはずの矛先はどこか別の場所を向いていた。

 浩美は佳菜子が戻ってきたことを泣いて喜んだ。

 佳菜子は自分が立ち直っていることに気がついた。

 コロナ騒ぎが沈静化し、以前のような生活に戻っていく中で、いつの間にか件のソシャゲのことは忘れてしまった。

 

 待機室に戻った佳菜子は、コーヒーを淹れるべくケトルを火にかけた。スマホのロックを解除すると、浩美からのメッセージが届いている。


『サンキュー! やっぱ神様ついてるね!』


 どうやら援助は成功していたようだ。確認しようとしたらすでにメンテナンス中でログインできなかった。

 ケトルが笛を鳴らし、佳菜子はドリップコーヒーを淹れる。焙煎された豆の苦く香ばしい匂いが部屋に広がる。

 マグカップを一口すすると、佳菜子は別のソシャゲを起動する。こちらは自分に課金を許しているゲームだ。

 なんとなく有償でガチャを回す。ハズレ。

 神様なんていなかった。

 だが浩美はあのように言う。

 根拠はあの夏のエピソードだ。

 佳菜子はあの夏、同じソシャゲを毎日やっていた。

 そして同じイベントを延々と繰り返していた。

 だが、

 後年、気になって調べたところ、Wikipediaによれば当のゲームは2020年7月末でサービスが終了していた。似たような別のゲームに人気を奪われたことが主な理由らしい。

 真実ならば、サービス終了後したはずのゲームにログインしていたことになる。

 佳菜子は当時、心を病んでいた。その上に心の支えだった好きなゲームが終了してしまえば追い打ちを掛けられる格好になった。ゲームのおかげで、現実に向き合える時間的な余裕が稼げたとも言える。

 しかし一体誰にそんなことができるのだろうか。

 ソシャゲの神様がいるならば、粋な計らいをしてくれたものだ、と佳菜子は思わなくもない。

 

 マグカップを傾け、手術室での大毅の言葉を思い出す。

 ありがとうございます。すみませんでした。

 普通は「すみませんでした。ありがとうございます」ではないだろうか。謝罪が最後にきたところから推察すると、彼は私のことに気づいていて、昔の罪を懺悔した、可能性も。

 なんてね。


 20XX年現在、自動車の完全自動運転が実現して数年が経過していた。

 だが突如、自動車が勝手に動き出したり、事故を起こすケースが急増しはじめている。

 まだ原因は目下究明中とのことだが、巷ではこのように噂する人もいる。

 新型のコンピュータウィルスによるものだ、と。


 もう十年くらい若かったら、皮肉の一つも言ってやるんだったか。

 ほらね。ウィルスなんて、どこでもらっても、おかしくないでしょ?

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ソシャゲの神様 凍日 @stay_hungry

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