銀騎士のリョーマ~正義の味方とラスボス系ヒロインたちの終末恋愛~

灰鉄蝸(かいてっか)

1章:ガール・ミーツ・ヒーローボーイ

リョーマくんとベルカさん
















「リョーマ、わたしのヒモになれ」












 イヌイ・リョーマは真っ昼間にグレイ型宇宙人に出会ったときの顔で幼馴染み――小学生みたいな身長だ――を見た。



――とうとう狂ったか。



 何分、寒い季節である。二月半ば、今年は例年になく冷え込みが厳しいと聞くし、凍えておかしくなることもあるかもしれない。

 偏差値の高いお嬢様学校で学年主席に君臨し続ける才媛とはいえ、季節には勝てなかったか。

 少年は胡乱なことを考えながら真顔で応じた。


「ここは地球だぞ、火星の挨拶はやめろ」

「えらいねリョーマ、面白くないジョーク言えるようになったんだ」


 親指を立てて褒められた、もとい舐められた。

 今日も絶好調だなこいつ――リョーマは目を細めた。

 何でもいいが、ここは往来である。住宅街の歩道でする会話ではなかった。


「普通に生きてたら聞く機会なさそうな台詞なんだよ、お前の言語野の方がよっぽどレアだろ」

「すれたなあ、リョーマ」

「誰かさんのおかげで鍛えられた」

「お礼はいいって、褒めるな褒めるな」

「褒めてねえよ!」


 馴れ馴れしい距離感なのは、十年来のつきあいがなせる業だった。

 この幼馴染み――ベルカ・テンレンとは奇妙な縁があり、気づけば家ぐるみの関係になっていたからわからないものだ。


 美しい少女であった。

 ミルク色の白い肌をした、西洋人形ビスクドールのように整った顔立ち――たれ目気味の目元が愛嬌を振りまく絶妙な造形と言えよう。

 南国の海面のように澄んだ青い瞳と黄金の髪は、彼女の遺伝子上のルーツが遠い異国の地であることを示していた。

 その見事な天然の金髪は長く伸ばされていて、後頭部で一つにくくられている。

 つまり可愛い。


 同年代と比して低い背丈が悩みの種で、一四五センチしかない小柄な体格と相まって小動物的な印象すらある細身の肢体――それでいてよく動き回るので、一つくくりでまとめられた長髪が、犬の尻尾みたいに思えるときがある。

 だが、巨乳(女性の胸部、つまり乳房が豊満であることを示す俗語。決して上品ではない表現だが、リョーマ少年は思春期なのでそういうことを考える)だった。

 豊満なのだ。

 一四〇センチ台半ばの身長と小さな肩幅に対して、その胸の膨らみは存在感があった。

 いろいろと思春期の少年には効いている。


 さて、ここまでつらつらと身体的特徴を書き連ねていけば明らかなことだが。

 リョーマはベルカにベタ惚れだった。

 三〇センチ近い身長差があり、頭一つ分は身長が違うから、少女はいつも少年を見上げて話しかけてくる。

 ニヤニヤと勝ち誇った笑みを浮かべているベルカは、たぶん彼の弱みに気づいたうえでからかってきていた。


「でもさー、リョーマ。考えてみなよ。わたしのヒモになれば将来安心だよ? すでにキミの生涯年収を凌駕する額を儲けてるからね」


 リョーマは知っている。

 この女は資産運用で軽く億単位稼いでいる本物の投資家だということを。

 軽く流すには、生々しい感触がありすぎて顔が引きつる。幼馴染みに飼われている未来像は、中学三年生で終の棲家と定めるには危険なにおいがした。


「札束で人の顔叩くの、好きそうだよな」


 ベルカはいい笑顔で頷いた。


「札束はいいよね。暴力とか権力と違って、丸く収まるから」


 傲慢にして暴虐、まさしく平常運転の少女だった。

 資本主義の信望者みたいな台詞だが、この幼馴染みの内面がえらく複雑怪奇なのを知っているリョーマは言葉通りに受け取りはしなかった。


「お前、金に屈する俺が見たいのか?」

「…………うん、そのままのキミが一番かなっ」

「なら言うなよ」

「言ってみたかったから……」

「なんだそれ」


 露骨に話題を変えるベルカは、たぶんリョーマのことを憎からず思っていた。

 要するに幼馴染み二人、相思相愛と言える間柄だったが、関係が進展する兆しはどこにもなかった。

 少年としては告白して友人より上の関係になりたい気持ちが強かった――思春期なのだ――が、わりと繊細なベルカのことを思えばこそ生ぬるいやりとりに落ち着いてしまう。

 もどかしい限りである。


「だいたいリョーマはさ、ただでさえ顔怖いんだよ。もっとわたしに優しい言葉をかけるべきでしょ?」

「顔、怖いのか……俺」


 うん、と笑顔で頷き、人差し指を立てながらこちらの顔をのぞき込むベルカ。

 不味いな、めちゃくちゃ可愛いぞこいつ。


「侍が七人出てくる映画とか、凄腕の浪人が用心棒やる映画とか、そういうのに出てきそうな顔してるじゃん。キミって強面なんだよ」

「……せめて男前って言ってくれよ」


 幼馴染みからのダメ出しに微妙に凹んだ。世界的名作と名高い時代映画の傑作群を例に出したあたり、ベルカとしては高評価の顔立ちらしかったが――当世風の美形、いわゆるイケメンかと言われたらおそらく違うのだろう。

 リョーマとて年頃の男子である。できれば異性にちやほやされたい無邪気な憧れぐらいはある。

 実際にそうなりたいかは別としても、最初から可能性すらないと言われると悲しい。


「まあ、そう落ち込まなくていいよ。そういう渋い顔つきが好みって女の子もいるからさ」

「お、おう」


 きわどい台詞だった。

 これはひょっとしてあれか、暗に好意を伝えられているのか――と思うリョーマだったが、自意識過剰なだけかもしれないと考え直す。

 少しぐらい自分に都合のいい解釈をしてもよさそうなものだが、彼にはできなかった。



 童貞だから。



 もとい、ベルカ・テンレンの過去の言動を知っていると慎重にならざるを得ない。

 剣士の立ち会いにも似た、じりじりと緊張感あふれる間合いの詰め合いである。



――どっちだ?



 意図を探るべく、リョーマは改めて少女の顔を見た。立ち話をしていたから、彼の方が目線が高く、自然と見下ろす形になった。

 すると角度的に不可抗力なのだが、顔を見る視線の延長線上にベルカの胸があった。

 ジャケットを羽織った冬服は、中高一貫校で知られるお嬢様学校のそれで、デザインの良さから近隣の女子の憧れの的だった。

 その白いブラウスの胸元を押し上げる膨らみ二つ――ちょっと視線がズレたのは事故である。

 思春期の少年のそれは、自身にも制御できない。

 気づいたときには居心地最悪の沈黙が二人の間に訪れていた。


「……リョーマ」


 金髪碧眼の美少女が、じっとりとすわった目つきになっていた。

 結局胸かよこの性欲猿モンキーが、とでも言いたげというか言語化してないだけで言ってるも同然の目つき――かと思うと、にっこりとベルカは笑って。



「おっぱい見んな」



 放課後の帰り道である。別々の中学に通っているのにこうして話しているのは偶然ではない。

 そういう気安い仲でも礼儀はあり、この黄金の少女の怒りの恐ろしさを彼はよく知っていた。

 ベルカ・テンレンがその気になればリョーマは社会的に抹殺される側だった。服の下で肌を濡らす冷や汗は気のせいではない。

 頭を下げない理由がなかった。


「…………俺が悪かった」

「よろしい」


 両腕を胸の前で組み、満足げに頷く幼馴染み。

 たぶん俺はこいつに勝てない、と実感を強めるリョーマだった。









 さて、本日は二月一四日である。

 全世界的にというわけではないが、製菓会社のキャンペーンによって定着した儀式――バレンタインデーである。

 念のためバレンタインが何かについて語ると、まあ要するに、甘いチョコ菓子を意中の異性に送る日ということになっている。

 最近では親しい家族友人同士で贈り物をする日、などと言われたりもする。

 経済活動に余念がない営利企業の都合でころころ定義が変わっていくので、細かいことを言い出すと切りがない。



――やはり人類は滅ぶべきでは?



 ベルカ・テンレンは厭世観と破滅主義を特に理由もなく最大値マックスに増大させ、ため息交じりに目を閉じた。

 まったくこんな馬鹿げた風習に振り回されている自分が嫌になる。見た目と裏腹に後ろ向きかつ悲観主義的精神構造を持つ少女は、薄目で横を歩く幼馴染みを盗み見た。

 この野郎、すまし顔しやがって。

 お嬢様学校に通う良家の子女、高名な大学教授の娘とは思えない心の声――こう見えて割と余裕がないベルカは、取り返しがつかない断絶への航海にこぎ出した。


「ところでキミ、今日が何の日か知ってる?」


 リョーマは一瞬、きょとんとした顔でこちらを見た。

 そして極限まで感情を抑えた声音で一言。


「覚えてたのか」


 この野郎、ちょっとは嬉しそうにしろ。

 これまで一切、それらしい素振りを見せなかった我が身を省みず、少女は追撃を決意。

 にっこりと天使の微笑みを浮かべて、残酷な台詞を言い放った。


「学校ではもらえた?」


 リョーマは顔を逸らした。


「………………………………………ま、まあな?」

「オーケー、察した」

「やめてくれ」


 生暖かい目で見守っていると、あっさりと音をあげるリョーマ。

 打ちひしがれた様子に謎の満足感を覚えつつ、黄金の少女は朗らかに笑う。


「で、これ買っておいたんだけどさ」


 天使の微笑みで差し出した。












 精肉店の包み紙を。













「――バレンタインと言えば豚足だよね」













「…………うん?」


 山奥の寒村に残っていた異様な奇祭について初めて見聞きしたら、こんな顔をするのだろうか。

 リョーマはあっけにとられた様子で、差し出されたそれを見た。

 めちゃくちゃ豚足が入っている。買い物袋に一キログラム分あるだろうか。

 すぅーと深呼吸すると、イヌイ・リョーマ少年は中学生らしからぬ低い声で一言。


「火星の風習か、珍しいな」


 ベルカは涼しい顔で罵倒を聞き流した。


「一緒に食べよ?」

「…………マジか」

「安心して、お惣菜の豚の角煮もあるから」

「そういうことじゃねえよ!?」


 結局、リョーマの家(一戸建て)で食べることになった。













「豚足の骨、もらっちゃっていいよな?」


 包丁で豚足――足の骨に肉がひっついている――から肉をこそぎ落としながら、リョーマが問うた。

 ベルカとしては豚足はそのままかぶりつく下品さが作法だと思うのだが、どうやら彼の考えは違うらしい。


「元々そのつもりだけど、どうして?」

「水から煮出すとスープ取れるんだよ。うちの家族はラーメン好きだし」

「キミって本当に家族思いだよねえ……」


 しみじみとそう思う。

 ちなみに彼女はダイニングテーブルに座って暇そうにしている。

 さほど広いキッチンではないので、手伝おうとするとかえって動線をふさいで邪魔になってしまう。


「豚足って、この付属のタレで食べるのか」


 大鍋に水を張り、豚足の骨を投入するリョーマの素朴な一言。


「まさか……豚足は初めて?」

「バレンタインに豚足食べるのもな」


 苦笑しながら平皿に盛った肉――包丁でこそぎ落とすまであっという間で、彼の手慣れた様子に感心することしきり――をさしだすリョーマ。

 向かいの席に彼が座ったのを確認。

 時刻は夕刻。イヌイ家の夕飯の時刻にしては早いが、三時のおやつには遅すぎるような半端な時間だった。


「ナツミちゃんは呼ばなくていいの?」

「お前が豚足を持って帰ってきたと知った瞬間に引きこもったぞ」

「豚足はダメかー」


 イヌイ・リョーマは苦労人である。

 彼の家庭は経済的に比較的安定しているものの、父母が家にいることが少ない。

 少年は共働きの両親に代わって妹(小学校高学年。ちなみにベルカは何故か嫌われている)の世話を焼き、勉学に励みながら家事もこなしている――拍手したくなるぐらいの善良な学生である。

 そして愛想はないがお人好しだ。

 おおむね世渡りが下手そうなので放っておけないタイプと言えよう。


「いただきます」


 箸で肉をつまみ――よくイヌイ家に立ち寄る手前、少女は自分用の箸を持ち込んでいる――ふぞくのタレに漬けていただく。

 美味い。豚肉の赤身と脂身とゼラチン質がそれぞれ絡まり合った濃厚な味わい。

 ちらりと向かいのリョーマを見れば、無言で豚足の肉をつまんでは口に運んでいる。


――ふっ、美味かろう。


 得意げにしながら、金髪の少女も無言で食す。

 むしゃむしゃ、むしゃむしゃと。

 育ち盛りの若者二人、食べ終わるまであっという間だったのは言うまでもない。


「あ、お惣菜の豚の角煮忘れてた」

「それはうちの家族用でいいか?」

「んー、まあキミがそれでいいなら」


 冷蔵庫に豚の角煮をしまい――幼馴染みだけに勝手知ったるものだ――ながら、ベルカはあえて話題を蒸し返した。


「で、本当に義理の一つももらえてないんですかイヌイくん?」

「急に敬語になるな。何のつもりだ」

「話しづらい話題をあえてするから礼儀をね?」


 なんだこいつ、という不信感を隠そうともせず、リョーマは険しい顔になった。


「いいかベルカ。チョコは偏る。そしてうちの学校の九割は家族チョコ以外はもらえない」

「富裕層が世界の富を独占する格差社会みたいだね……」

「お前の実家確実にそっち側だからな?」

「知ってる。革命が起きた暁には積極的に吊し首にされてそうだよね」


 不穏な方向に話題がそれた。


「そういえば自然界でもモテる雄が周囲の雌を独占する動物って珍しくないし――動物っぽさ剥き出しって感じだよね」

「お前の人間嫌いはよくわかった」

「ざっくり切って捨てるよね、リョーマ」


 まあ何はともあれ、ベルカが言いたいことは一つだけだ。


「わたしが思うにだよ。キミがモテないのは原因がある」

「うるせえ」


 露骨に嫌そうな顔をするリョーマを無視し、たたみかけるように暴言を吐いた。


「根暗で時代錯誤アナクロのオタクしかのめり込みそうにないオカルト趣味、これがすべての元凶だぜ?」


 幼馴染みとしてよく知っているのだが、イヌイ・リョーマは体格がいい。中学生にしては背丈もあるし、肩幅から判断してまだまだ伸びしろがある。

 自主的な走り込みなどもしていて、体力も申し分ない。

 だがこの男、新聞部である。

 かたくなに文化系の部活であり、そのうえに題材は都市伝説だの民間伝承と来ている。

 少なくともミドルティーンのコミュニティで異性を惹きつける要素はない趣味であろう。


「オカルトは俺の趣味だ、ほっとけ」

「いやー? 今どき流行らない趣味でしょー? 幼馴染みとして放っておけないなあ」

「お前なー……」


 まあいいや、とあっさり話題を切り上げ席を立つ。

 通学鞄からさりげなくラッピングされた小箱を取り出すと、ベルカはにんまりと笑った。


「はい、バレンタインデーだからね」

「…………ん?」


 完全に想定外だったのか、動きを止めた少年――無理矢理、チョコレートを彼の掌に押しつけて。

 ベルカ・テンレンは天使のように微笑んだ。


「キミはあるのかないのかわからないオカルトより、わたしに感謝すべきってことだよ」


 みるみる顔が赤くなるリョーマを見ていると、こっちまで照れくさくなる。

 さっときびすを返して、足早に少女は去っていく。

 嵐のように。














 イヌイ家の玄関を出て、ふと、疑問が口からこぼれ出た。




「――それにしてもどうして、あんないい奴に彼女の一人もできないのかなぁ」




 最悪である。

 ベルカは本気だった。








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