紫陽花の花言葉④
―――さっき見えた、あのアザ・・・。
―――ちょっとした怪我というには、あまりにも酷かった。
目に焼き付いた光景が離れない。 それでも『手伝って』と言われたため、追いかけようと立ち上がった。 柄のボタンを押すと、お気に入りの傘が大きな音を立てて開く。
「わわわッ!?」
すると突然、大きな青い影が天井から大きな音を立て落ちてきた。 呆然としてしまうが、それが青の少女だと分かると慌てて手を差し伸べる。
「だ、大丈夫・・・?」
「痛ッ・・・。 驚いて足を滑らせちゃったわ」
「ご、ごめん・・・」
青の少女は差し出した手を掴むことなく、一人で立ち上がる。 優紫の手は、虚しくも宙に置いていかれてしまった。
「うじうじした奴って嫌いなのよ。 あー、もう。 ちょっと休まないと。 桃が来たらすぐに教えて」
彼女はそう言うなり、ベンチに横になった。 どのくらいそうしていたのかは分からない。 おそらく、大して時間も経っていないだろう。
沈黙に耐えかねた優紫は、背中を向けている少女に声をかけてみることにした。
「・・・あ、あの」
「何?」
「青のお姉さんの家庭も、大変だね」
「は? いきなり何よ」
「僕は親に捨てられた経験がないから、青のお姉さんの気持ち全てを、分かることはできない。 ・・・でも、もし自分が実際に見捨てられたと思うと悲しくて、凄く寂しいと思う」
青の少女はそれを聞いて、ゆっくりと身体を起こした。 まるで睨み付けてくるような眼を、優紫は直視できない。 それでも話すのを止めなかったのは、自分の考えを素直に伝えたかったからだ。
「青のお姉さんが言っていたこと、今では分かるなって思う。 ・・・仲が悪い夫婦なら、離婚してもいいっていう話」
「へぇ。 じゃあ貴方は、桃よりも私の意見に賛成してくれるっていうわけね?」
「あ、いや、そうじゃ、なくて・・・」
「あー! もう! うじうじうじうじ! ハッキリしてよ、じれったい!」
「ひゃ、ひゃいっ! 桃のお姉さんが言っていたように青のお姉さんと違う意見も当然あるから、それもできれば受け入れてほしいっていうか」
「何よ、結局どっちつかずじゃない。 まぁ、自分の意見を言えただけいいわ。 ただ私は、考えを改める気はないけど」
「変えなくても、受け入れてくれるだけで・・・」
優紫の言葉を遮るように、青の少女はこう言った。 腕を組んでいるのは、自分の意見を変えないというアピールからなのだろう。
「それよりも。 どうして私の事情を知っているの? 白から聞いた?」
「・・・うん。 えっと、ごめんなさい。 ・・・怒ってる?」
「別に。 いつものことだし。 それが、白のいいところでもあるから」
「いいところ?」
「人に嘘はつけない。 人の事情や自分が思ったことはすぐ口にする。 それがいいこともあれば、悪いこともあるんだけど」
「お互いのことをよく分かっているんだね」
「まぁね。 私たち三人は、幼い頃からずっと一緒にいるから」
優紫が初めて三人を見た時姉妹なのかと思ったのは、長い時間一緒にいたからなのかもしれない。 三人の性格は、全くと言っていい程違っていた。 特に青と桃は、よく喧嘩をしている。
それでも一緒にいるというのは、青の考えからは反しているように思えたが、優紫からは何も言えることがなかった。
「貴方が考えていることは何となく分かる。 でも、夫婦の喧嘩と私たちの喧嘩はまるで別物よ。 確かに桃とは全く意見が合わない。
だけどお互いに・・・少なくとも私は、桃のことを嫌ってはいないから」
「三人は仲がいいんだね。 じゃあ、一つ聞いてもいい?」
「何よ?」
「・・・さっき、白のお姉さんの足に酷いアザが見えたんだ。 ただの怪我、っていうわけじゃないよね?」
ずっと気になっていたことを質問した。 すると青の少女は立ち上がり、ゆっくりと辺りを見回す。 おそらく、白の少女がいないかを確認しているのだろう。
「それは白に直接聞いてって、言いたいところだけど。 私のことを話したなら、私も話していいか。 あの子ね、父親からDVを受けているのよ」
domestic violence. 略してDV。 社会問題にもなる英文字であるが、まだ優紫に意味は分からなかった。
「DV?」
「そう。 家庭内暴力」
「暴力!?」
「それは白だけではないわ。 白のお母さんも殴られているの」
「そんな、酷いッ・・・」
絶句した。 あの痛々しいアザが、父親から受けた暴力によるものだなんて。
「服の下はアザだらけよ。 パッと見では分からないところを殴る蹴るするんだから、酷い上に卑怯よね」
「・・・二人は、抵抗したりしないの?」
「できるわけないでしょ。 大人の男の人は力が強い。 それに父親の稼ぎで生活をしているんだから、いなくなったら生きていけないのよ。 だから痛みを我慢して、二人は耐え忍んでいる」
「お父さんは、二人のことをどう思っているんだろう」
「さぁね、私が知るわけないわ。 家族なんて無価値よ。 大方、ストレス発散のためのサンドバッグだとでも思っているんじゃない?」
「そんなの酷いよ!」
「それでも白は、両親に離婚はしてほしくないみたい。 私からすれば、全く意味が分からないんだけど」
優紫は自分の悩みがちっぽけに思えた。 青は両親に捨てられ、白は父親に暴力を振るわれている。 自分の両親も喧嘩をよくしているが、手を出したりといったことはない。
「あ! 青、こんなところにいたのね!」
「やばッ! 逃げなきゃ!」
白の少女に手を引かれ、戻ってきた桃の少女が声を上げた。 その言葉を耳にし素早く立ち上がると、青の少女はすぐさま走り去ってしまう。
「あ、待ちなさい! あー、もう、疲れて足が動かない。 白、代わりに青を追いかけて!」
「分かった分かった。 全く、桃を捕まえてきたと思ったら。 ちゃんと優くんと、ここで待っているのよ」
白の少女はそう言って、青の少女を追いかけていった。
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