蝶のように舞い、蜂のように刺す!【3】

 

 夕暮れのロウソクに灯る炎の色に似た茜色の空に、鳥の群れが山方向に飛んでいく姿が見えた。雲の流れは穏やかで、川辺の水面も静かだ。時折、魚が浮上しているのが見えた。

 川の向こうでは釣りをしていたお爺さんが片付けをして帰ろうとする姿が見えた。その後を野良猫がついていっている。顔見知りなのだろうか。

 ──穏やかだ。穏やかな夕暮れ時だ。このまま家方向に向かって帰りたい。


 ……課題のエプロン、縫い目がガタガタだからやり直して再提出するように言われちゃったんだ。帰ったら家の押し入れからミシン出して作成しなきゃ。あーぁ、なんで学校の授業に洋裁なんてあるんだろ。やだなぁ。

 

 クラスメイトの綿貫さんから助けを求められた翌日の放課後に私は、例のSNSの相手が訪れるであろう河川敷に来ていた。話をつけるために綿貫さんにメッセージやり取りをしてもらい、相手を呼び出したのだ。

 待機姿勢で仁王立ちしていた私の背後でスマホをいじっている人物に胡乱な視線を向けると、相手が気づいて薄く微笑まれた。


「……それで、なんで兄ではなくて嗣臣 つぐおみさんが来てるんです?」

「琥虎はデートに誘われたんだって。俺はその代理」


 近所の進学校の制服を着た黒髪眼鏡がヘラヘラと笑っていた。制服を着崩すこともなく優等生ぶったこの男、我が兄・琥虎の友人である。

 真面目が制服着て歩いている風に見えるのに、不良の兄とお友達なのである。決して○び太とジャイ○ンの関係ではなく、対等なお友達なのである。


 どんなお友達だと言われたら、まぁ…不良グループ仲間なんだな。この人は世間体を気にして学校では真面目ぶっているが、ちょいグレタイプの隠れ不良なんだ。

 よく知らんけど、むしゃくしゃしてる時に兄・琥虎と出会って不良に目覚めたとか。だけど具体的にどんな不良行為をしているのかは不明だ。

 この人、今は眼鏡と長い前髪で目元が隠れて見えないが、それを外すと少女漫画の王道のごとく、メガハイパーイケメンなご尊顔をお持ちなのだ。

 以前、何故視力がいいくせに眼鏡着用して、そんなモサモサした格好をしているのかと質問したら、「女の子にモテて困っちゃうから」と世の中の男性を敵に回すような発言をしていたんだ。なんかムカつくよね。そこでシラけた顔をしても許されるはずである。

 身長も高くて、167の私の頭半分くらい高いので、多分…180は超えているはずだ。


 …だが、成績でいえば私だって負けてないと思うな。中学の担任から嗣臣さんが通う高校をすすめられたけどそれを断ったんだ。

 今だって私は学年トップレベルなんだ! 女子校といえど、うちだってそれなりにレベルが高いんだ。すごいだろう、私は努力の人なのだよ!


「それで? そのお友達を悩ませている男はいつ現れるの?」

「そろそろだと思うんですけどね」


 私は待ち合わせ時間の15分前から待機していた。危険なのと、不良な兄を見られたくなくて当事者である綿貫さんはここにはいない。用を済ませたら事後報告をする事になっているんだ。

 来るのかな本当に。さっさと話が終わればいいんだけど……

 

 ──ジャリジャリ…と土を踏みしめる音が聞こえ、私と嗣臣さんはぱっと前へと目を向けた。

 視線の先には事前に写真で顔を把握していた例の脅迫男がいた。…その背後には悪そうなお友達を引き連れていた。


「…あぁ? ユイじゃねぇな…まさかあの女」


 その男は、私が雪花女子学園の制服を着ていること、この場に綿貫さんがいないことで大方のことを察したようだ。

 私をきつく睨みつけると、つばを飛ばす勢いで怒鳴ってきた。


「テメェ! ユイはどこだ! 俺はあの女を呼び出したはずだぞ!」

「代理で来た。これ以上彼女を脅迫するのは止めて欲しい。彼女は怖がっているんだ」

「はぁぁん!? オメーにゃカンケーねーだろ!」


 随分イキっているようだ。これは綿貫さんの手に負えないな。

 後ろにいるのは…綿貫さんを脅して、逆らえないようにさせるために仲間たちを連れてきたのか……やることダサいなぁ。


「アイツを出せ! じゃねーと痛い目見るぞ!!」

「出さない。そっちがその気なら、尚更綿貫さんを出すわけには行かない。だってあんたひどいことするつもりでしょ」


 そんな事してなにが楽しいんだか。歪んだ男の性癖ってやつかね。


「あのクソ女! 逃げやがって!」

「いや、脅迫されたら逃げるに決まってんじゃん。あんた何様のつもりなのよ」


 逃げることは恥ずかしくない。このような輩にぼろぼろになるまで利用されるいわれはない。逃げることは戦略的撤退、自分を守るということなのだ。

 私は冷静に正しいことを指摘したつもりだけど、相手にはご理解いただけていないようだ。


「うるせぇよ! 何だお前は男連れて! なんだよ、そこのガリ勉、ヒョロヒョロして弱っちそうだなぁ。ボディガードのつもりか?」


 嗣臣さんがとばっちりで罵倒されている。まぁ背は高いけど細身に見えるから…。やっぱりその眼鏡と髪型じゃないか?

 もしかしたら、こんな時に嗣臣さんはその眼鏡を外して「ナ、ナンダ、コノイケメンハー!」と相手を驚かすことに快感を得るのであろうか。

 軽くナルシスト入っているよね彼。 


「この人はお目付け役。もしものことがあった時に対処してもらうのに来てもらったんだよ…」

「チッ…あいつが来ねぇなら代わりにお前が相手しろよ。クソ生意気そうだけど顔は美人だしな!」

「嫌ですけど」


 なにその適当な選択方法、屈辱的だわ。私にも選ぶ権利があるのでお断りします。


「それは困るな。あげはちゃんにキズひとつ付けないように連れ帰れって、琥虎に言われているんだ」


 スッと私を庇うようにして前に出てきた嗣臣さんは優等生スタイルのままで立ち向かっていった。


「あーん? うぜぇ、女の前だからってカッコつけてんのか? ガリ勉は引っ込んでろよ……!」


 だが格好と雰囲気でナメられていた彼は、脅迫男の暴力に襲われそうになっていた。ヤツの悪いお友達は笑ってこちらを野次っている。傍から見たらきっとカツアゲのシーンに見えるに違いないだろう。

 イキリにイキった脅迫男は、嗣臣さんの制服のネクタイを引っ張ると脅しをかけるかのように顔を近づけてニヤついていた。


「痛い目見たくないだろ? 痛いの怖いだろ? …嫌だったら、この女置いてとっとと帰りな」

「……」


 嗣臣さんの眼鏡の奥の瞳がスッと細まったのがグラス越しに見えてしまった。


 あかん。ただでさえ面倒事に巻き込んでいるのに、嗣臣さんの拳を汚すわけにはいかん。嗣臣さんこう見えて普通に喧嘩したことあるからね。なんかどっかのイキリ軍団と去年の夏あたりに喧嘩したって兄貴が言っていたもん。血の雨が降るぞ…!

 このままだと大変なことになる…! 


 私は慌てて2人の間に割って入った。嗣臣さんのネクタイを握っている脅迫男の手を手刀でスパンと叩き落とすと、その胸ぐらを力任せに引き寄せる。

 

「あげはちゃ…」


 嗣臣さんが止めようとする声が聞こえた気がしたが、もう後には引けぬ。

 歯を食いしばると、身体を大きくのけぞらせ……ゴチっと思いっきり頭突きをかました。


「…いってぇぇー!」

「…これ以上に痛い目見たくなければ、去れ」

「ふざけんなこのアマ…!」


 ズキズキと痛む額を抑えながら、脅迫男を脅迫返ししたが、相手は逆上してしまったようだ。頭に血が上った奴がこちらへ手を伸ばして来るではないか。このままでは殴られてしまうな。

 脅迫男の間合いに入ると、私はずいっと近づいて密着した。右手は相手の胸倉をしっかり掴み、左手で相手の肘を握った。ギョッとした脅迫男の腕を引っ張って相手の重心を崩すと、足を踏み出し腰を捻りながら、相手の足首を狙う。 

 そして一気に払い投げた。


 いい感じに技が決まった。脅迫男はいとも簡単に吹っ飛んだ。

 ズシャアと音を立てて地べたに倒れ込んだが、ちゃんと受け身は取れたようである。コンクリートではなく、土の上だから衝撃も最小限に抑えられたであろう。

 脅迫男は、なにが起きたのかわからないようで、夕暮れ空を見上げて目をパチクリさせていた。


「いい加減にしな! こんな事して恥ずかしいと思わないのか! …そりゃあね、綿貫さんにも至らぬ点があったと思うよ。だけどあんたのやっていることはそれ以上にダメだ!」

「……」

「綿貫さんに脅迫するんじゃない。これ以上、恥を晒すな!」


 これは暴力じゃない。緊急回避である。私は別に有段者ではないので、正当防衛の範囲に収まると思う。

 私はなんとしてでも話し合いで解決したかったのだ。だけど、コイツが暴力に訴えようとするから。

 仕方のないことなのだ……


 脅迫男は土の上に大の字になって未だに呆然としている。返事はない。


「お。おい…やばいぜ…」


 反応したのは彼ではなく、その悪そうな友達だ。

 何故かその中のひとりがお化けを見たかのように私を見てくるのである。

 青ざめ、カチカチと歯を鳴らしていて恐怖におののいている。…1人だけ異様だ。


「……おい、あの女…三中の【紅蓮のアゲハ】じゃね!? 喧嘩売るとやべぇぞ!」

「その二つ名を呼ぶなぁ!!」

 

 ちょ、お前その二つ名誰から聞いた! ていうかどこにそんな噂が、それ以前に何故私の顔が広まっているんだ!!


「あいつの兄貴マジやべーんだって! 中学・高校を血と恐怖で支配した上に、隣町の毒蠍を壊滅させたらしい…!」

「はっ!? なにそれやべぇじゃん!」

「おい、ジュン、女のことは諦めろ! あのアゲハはやべぇ…この地区に住めなくなるぞ! 妹に手出しした奴は尽く潰されていくんだ。早い所逃げるぞ!」


 脅迫男のお友達は、脚色した噂を好き勝手に吐き捨てると、足を縺れさせながら私の前から逃げ去ってしまった。

 取り残された私の頭上をカラスが「カァ」とひと鳴き。…行き場を失った手は力なく宙を切った。


 強いと勘違いされているみたいだが、大体兄とその友人のせいで名前が独り歩きしているんだ。

 私、なにもしていないのに……こんなの、中学の時と変わらないじゃないの……


「…良かったね。解決したみたいで」


 乱れたネクタイを直しながら、嗣臣さんが笑顔で声を掛けてきた。

 これは……良かった……のか?


「いやいやいや。よくねーよ!」


 なんで私まで危険人物みたいになってんの? 私は喧嘩したり人を脅迫したりしてないからね!?

 言ってしまえば、私よりこの人のほうがやばいからね? 兄たちがなにしているかとか知りたくないけど、その毒蠍っていうヤンキー集団からケンカを売られて壊滅に追い込んだの、この人も一枚噛んでるからね?

 こんな人を殴れなさそうな優等生ぶった男のほうが危険だから! なんで私がすごい爆弾抱えた女みたいな扱いされないかんの!?


「でもあげはちゃん、無茶はしないようにね。あげはちゃん女の子なんだしさ」

「ご心配ありがとうよ!」


 だけど今さっきのは仕方のないことでしょ! じゃなきゃあの脅迫男、血を見てたよ!? あいつ、ヤバい人に喧嘩売ってたんだから!

 ……ついでに兄の擁護するけど、たしかに兄は不良として君臨していたけど、人道に反することしてないよ!?

 先生に反抗的だったり、学校サボったり、校則破ったりはして、決して良い生徒ではなかったけど、人として間違ったことはしてないと思う!

 そう信じたい!(希望)


「なんでこうなる!」


 お淑やかなレディになりたいと思って女子校に入学して早半年。だけどその道は果てしなく遠い。


 私が淑女になれないのはどう考えても周りのせいだ。そうに違いない! そう信じている!!


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