第163話 龍と会話するための必須アイテム

 上杉謙信は酒好きで有名な大名である。


 酒の肴はもっぱら塩、味噌、梅干しと、幕末に書かれた、あまりあてにならない史料『名将言行録』には書かれている。

 なので肴についてはちょっと疑問が残る。

 だが、酒が好きなのは本当なようで、死ぬ一カ月前の辞世の句には

「四十九年一睡夢、一期栄華一杯酒、(自分の四十九年の生涯はひと眠りの夢であった。この世の栄華が一杯の酒を飲み干す程度のものだった)」

 と酒を絡めている。

 家康が『嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空』『先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ』

 秀吉は『露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢』

 が辞世な事を考えると、死ぬまで酒の事を考えており嫌いな訳が無いだろう。


「…と、いう風に酒好きだから酒を餌に交渉を進めるかと思ったんだけどなぁ…」


「そこまで社会を嘗めてるのは筆者くらいなものですよ(実話)」


 大友家と上杉家は調節的なつきあいはない。

 間接的には大友家が幕府に伝えた火薬の調合比率を、幕府が上杉に教えたのだが、それ以外で書状のやりとりをしたという記述はみたことがない。

 そんな相手とコンタクトを取るにはどうすれば良いか?


 さねえもんが、真っ先に連絡を取ったのは無月さんと、豊後の使僧 勝光寺だった。


 この二人に案内状を書いてもらい、そこから大徳寺と高野山に献金をして長尾氏への紹介状を書いてもらった。


 なんでも謙信さんは天文22年(1553年)9月、初めての上洛を果たし、後奈良天皇や足利義輝に拝謁している。そして、この上洛時に堺を遊覧し、高野山を詣で、京へ戻って臨済宗大徳寺91世の徹岫宗九(てつしゅうそうく)の下に参禅して受戒し、「宗心」の戒名を授けられたという。


「毘沙門天の化身を自称する人間として、師匠たちの仲介を受けたら断るわけにはいかないでしょう」

 と大徳寺から来た無月さんは言う。仏教は厳しい縦社会なのだ。

「幸い大友家は御父上の大友義鑑様の代から親交があります。こちらも話は通しやすいでしょう」

 と、さねえもんもいう。

 なんでも高野山へは宗麟がキリシタンとなった後も書状を送り、キリシタンにちなんだ『府蘭(フラン)』という名を使わず、宗麟名義のままで

「五明(扇子の一種)と杉原紙(和紙の一種)を贈っていただき、確かに受け取りました。遠くにもかかわらずお心遣いありがとうございます。返礼として、「南蛮木綿」を贈ります」

 と礼を伝えている。

 この仏教ネットワークは改修後の宗麟でも維持すべきライフラインだったのだろう。

「人間、普通の人でも知らない人間から贈り物や金を贈られたら怪しむものです。特に長尾さんは金には几帳面だけど(婉曲な表現)清廉で、義というかです。先輩や目上の人の紹介なら断わられないでしょう」

 体育会系体質の人間のような感じだな。


 というわけで、あいさつ状と今度使者を送って良いか確認の手紙を出したのである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 その読み通り、紹介状付きの書状が向こうに届いたら早速、返事が来た。

 

「え~と『見事な酒、ありがたく存じます』」

「おい…」

 しょっぱなの一言がこれかい。

 やっぱり酒、効果あるんじゃん。

「まあ、紹介状がないと飲んで貰えないけど、全く効果がないとは言ってませんよ」

 なんでもこの時期の謙信さんは初めての川中島合戦を終えたばかりなので、一向衆とは事を構える気はなく、鎌倉より代々続く名門 大友家が仲を取り持ってくれるなら願ってもない幸運で御座います。

 と始まり、一向一揆ノッブたちとの和平にも乗り気らしい。だが…


「なんか、えらくへりくだった文書だな」

 謙信こと長尾景虎は1530年生まれ。

 実は宗麟と同い歳であったりする。立場も同じ守護大名なのだが、まるで年上を敬うような礼儀正しさが見て取れる。

「まあ、長尾家は父親の代で守護の地位を乗っ取った形になってますからねぇ…」

 越後は元々、上杉房能(1474~1507年)という人物が守護大名だったのを謙信の父親、長尾為景が房能の養子・定実を擁立して房能に公然と反旗を翻す。

 8月2日に定実・為景の軍勢に拠点を急襲され、兄弟であり山内上杉家当主の上杉顕定を頼り、関東へ向かった。

 しかし、逃れる途上に直峰城に立ち寄ったが為景軍の追撃を受けて松之山に逃れ、8月7日午後2時頃に天水越で自刃した(永正の乱)

 幕府は永正5(1508)年11月16日、上杉定実を越後守護に、長尾為景を守護代に補任した。

 そして1550年2月に越後守護上杉定実が死去。

 嗣子がなかったので越後上杉家は断絶し、景虎は室町幕府第13代将軍・足利義輝から越後守護を代行することを命じられ、越後国主としての地位を認められた。

 奇しくも宗麟と同時期に家を継いだことになる。

 ただ、なし崩し的に当主となったため、19歳の若輩が越後守護に成る事に反対者が続出。

 宗麟以上のハイペースで反乱は恒例行事となったが、これを謙信さんは神がかった軍事能力で説得(婉曲的表現)し、越後を平定したという。

「滅茶苦茶、下剋上でのし上がった家じゃねぇか!」

 悪いのは父親だけど、こちらで言えば一万田とか田原が豊後を乗っ取った感じである。まあ、そうしないと国が混乱するのだろうけど、どちらかと言うと北条早雲とか斎藤道三系の人間なのかよ。

「いわば、幕府のお墨付きがある下剋上を成し遂げたわけですね」

 なるほど。だから武田信玄も調略がしやすかったわけだな。

 

 自業自得って言わないか?それ。


「話が脱線してますけど、今は上杉と一向衆を仲良くさせて戦闘を起こさせない事が第一ですからね」

 それはそうなんだが、上杉に肩入れしたら武田が敵になり、そうなると今川、北条も敵にまわしそうな気がするのだが…。

 と、言うとさねえもんは笑顔で


「そこで、殿に一肌脱いでもらおうと思いまして、今度当主直々にお伺いしたいと書状に書いておきました。返事は『OK』だそうです」


 おい、何さらっと書類偽造して人様を他国に送りこんでるんだ。この佞臣。

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