第55話 ザビエル神父との会談と町おこし
別作品を書いてて間が空き、コメントに返信できず申し訳有りませんでした。
急にPVが延びたり、いいねがついたり有難とうございます。
今回は個人的には楽しく書けました。
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「ずいぶんと早かったですなぁ」
という吉岡の嫌味をさらっと聞き流して「こちら天竺(インド)の方から来られた神主さんじゃ」とザビエルさんを紹介する。
ローマからきたって行ってもわからないだろうしね。
日本人の通訳だった薩摩人の
「おお、それは遠いところからはるばると、大変でしたな」
と、ありがいものを見るように吉岡が拝む。しっかりと勘違いしてくれたようだ。
「はい、みなさんよくそういってくれます」とザビエルさんが答える。
たぶん想像の3倍は遠い所から来ているのだが、九州一の分別者と言われた吉岡でも世界の広さは想像できないだろう。俺も日本しか移動した事がないから無理だ。
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ザビエルさんとの面会は宇佐から日出に歩きながら行った。
ここである程度、豊後の風習について説明し(家に上がるときは靴を脱ぐとか同性愛者を見ても直球で罵らないようにとか)観光も兼ねて山道を通りながら府内へ進む。
え?何で船があるのにそんなまわりくどい事をするのかって?
日出に『ザビエルが通った道』っていう観光名所(西鹿鳴越道)があるからだよ(切実)
城下かれいやハーモニーランドで有名な日出は、二階堂酒造や暘谷城跡があって、平成の大合併でも単独でやっていけるだけの運営資金がある。
杵●市と山●町のように合併したら財政危機となって公共サービスの閉鎖を検討しなければならなくなると言う危険を回避した先見性のある町といえるだろう。
日出は風情のある城下町の匂いを残す観光地でもあり、侍の塾だった『致道館』に200年以上移転先の田舎で放置されていたのを呼び戻した『鬼門櫓』。日本一の大ソテツのある松屋寺、空母 海鷹の石碑、スーパーマーケットの2階に設置された図書館など一風変わった観光物は、好きな人は好きな見所がある町である。
…あれ?何の話をしていたっけ?
ああ、そうだ。ザビエルさんと日出で会った理由だった。
いろいろ見所はある日出だけど、歴史的観光地は限られている。
ここでザビエル神父由来の観光地がなくなったら将来困るであろうという郷土愛ゆえに不便な徒歩の旅をしたのである。
なので山田湧泉という水飲み場に仮の休憩所を作った。
イスの代わりに天辺を削った岩を使用し、将来『ザビエル神父の腰掛け石』とか『ザビエル神父が飲んだ湧き水』などの観光地を作るためだ。
暘谷城跡(予定地)には『ザビエル神父出港の地』という石碑を彫らせておこう。住宅地開発でどこに行ったかわからないなどと言うことが無いようにクソデカい岩で。
観光客増えるといいなぁ…。
そんな未来の観光業への配慮をしつつ、日出を一望しながら会見をする。
髭もじゃに立派な体躯を持つザビエルは
「まずは、このような機会を設けていただきありがとうございます」
と就職面接のような挨拶をする。
「こちらこそ、遠いエウロパからよく来られた」
と言って牛の肉とドングリのパンでもてなす。
「おお。これはこれは」
神戸牛や松坂牛の祖先となる豊後が誇るスーパー種牛、糸福号はまだいないので、味の方は保証しかねるが肉食が忌避される日本では珍しいのではないかと思う。
神父であるザビエルさんは長い長いお祈りをしてから食事をするので、食事の開始と共に肉を焼くバーベキュー方式にしたかったが余りにもアバンギャルドすぎるので懐石料理のように冷めた肉を食べる。うん塩味だけが美味しい。
久々に食べる肉料理は大変気に行ってもらえたようで
「いや、日本では肉食は禁止されていると聞いておりましたが豊後では解禁されているのですか?」と笑いながら聞かれる。
「いえ、ぜんぜん」
仏教最盛期の日本では鶏すら食べるのは忌避されている。
なので山羊の肉を西洋人が食べているのを見て『伴天連は人肉を食べる』という噂を僧たちはまことしやかに語ったという。
ただ、鹿や猪、山鳥である雉はOKらしく、ウサギにいたっては「ウサギの耳は鳥の羽の様だからお坊さんでも食べてOK」という謎ルールもある。要は『上手いものは全部俺たちが食べる』ためにひん曲げられたルールなのだろう。
まあ、みんなが肉を食べたら食糧事情が大変な事になるから少しずつ改善していこうと思うのだが…
こうして相手の風習に合わせた食事をしたおかげかだいぶ気軽に話せるようになったので、本題に入ることになった。
「何故、あなた方は私を呼ぼうとおもったのですか?」
とザビエルさんが尋ねる。
新しいもの好きの日本人から呼ばれた事は何度もあるが、駕籠付の招待を受けたのは初めてだったのだろう。時計や望遠鏡などのチートアイテムをゲットしたり観光名所を作るためなのだが、もう一つの目的もある。
「実は、我が国には神様の使徒…天の使いですね。その方がお主の知恵を借りよと申されておられるのです」
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『神の使い』という言葉にザビエル神父は最大限の警戒を取った。
武士がメンツを大事にするように、宗教家は神様の優越性を重視する。
神も仏もアラーの神も、一番偉い存在が複数存在するのでは教義的に矛盾が生じるからだ。
宗教とは絶対に譲れない者の信仰である。自分達とは違う神を信じる者は例え暴力に訴えてでも認めるわけにはいかない。
そのせいで現代でも戦争が続いている原因ともなっているのだ。
だが、俺はそこまで神様に執着してないので2番でも構わない。宗教なんて夏服冬服の違いでしかないのだ。
あの世が本当にあるのなら、不敬罪で地獄行きは確定だろう。
まあそれがあるのかは不明なので、手持ちのカードを最大限ばらまくことにした。
「これをご覧ください」
そう言われて広げたのは一枚の紙。
「実はうちの偉い人も世界について色々教えてくれましてな」
そういうと、紙に筆を滑らせる。
ザビエルさんには子供の落書きのように見えただろう。だが、ある程度すると俺が何を書こうとしたのか理解した。次第に表情が変わる。
大きな5つの塊。それに小さな点を書き終えると、ザビエルさんは詐欺師と対面するような警戒心にあふれた顔をしている。
「これが我れらの信じる天の使いが告げた、世界の姿です」
さあ、日本と西洋の宗教にまつわる悲しい争いを生みだすかどうかは、この対談に掛っている。これからが正念場だ。
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単なる一枚の紙。そこには子供でも書けるような落書きがある。
だが、それはこの時代の誰もが渇望し、絶対に手に入らない当時の欧州でも把握できてない部分まで書かれた、世界地図が書かれていた。
「ナイルはこの当たりのきりまんじゃろ山という山が源流で、それを乗り越えた先にはゴリラという動物がいる」
知識と言うのは人類の試行錯誤の蓄積である。
現代では常識の様な知識でも、この時代だと数年にわたる過酷な旅と多くの犠牲者を出して成功したナイル川の水源探しの旅は行われておらず、アフリカ大陸は謎に包まれていた。
特にゴリラは19世紀まで架空の生き物と信じられていたのだ。
「あと、極地はどちらも氷で覆われているが、南は大地に氷が積もっているが、北は大きな氷の塊が海に浮かんでいるとお教えくださった」
など、この時代の人間が知らない知識を次々と披露する。
あと「地球って丸いから西にずっと進むと同じ場所に戻りますよね」という事も茶飲み話のようにさっらと披露する。
マゼランの一行が世界一周に成功したのは1522年。今から28年前の話なのだが、その事実を知っている東洋人は俺とさねえもん位だろう。
「…何故、そう思われるのですか?」
疑わしそうな目で問われる。
「それは水平線があるからだそうです」
地球が平面なら富士山やエベレストのような高い山は、遠くの風景として小さくはなっても必ずどこからでも見えるはずだ。
ところが地球は丸いので遠くの景色は視界から消えてしまう。
「これはそちらの昔あった『ぎりしゃ』の学者さんが計算した事もあると天の使いは言っていました」
「!」
第二のプラトンと呼ばれたギリシャの学者エラトステネスは紀元前240年ごろに、エレファンティン島とアレクサンドリアとの夏至の正午の太陽高度の知識を元に地球の全周を計算している。
外国へ向かう船すら持たない日本人がこのような知識を披露したのだ。
「あなた方は、悪魔と契約でもしているのですか?」
とザビエルさんが大変失礼な質問をしたのも仕方がないだろう。日本人なら知るはずのない知識をぶつけているのだから。
唯一神の信徒にとって『自分達より優れた存在を知っている存在』などあってはならないのだ。
だがこれらは借り物の知識である。主にWで始まりAで終わるサイトや雑学本の。
なので『昔の人は遅れてるー』などとマウントを取るつもりはない。だから
「これは神様の忠実なしもべにして、人類に直接知識を授ける事を許された『科学様』のおつげなのです」と説明した。本当に恥ずかしい名前だな。
「それはあなたがたの言う神とか仏ですか?」
ザビエル神父は警戒したように言う。だが
「いいえ。我々が信じているのは神のしもべ。あなた方で言う天の使い(天使)にあたります」
てっきり『我々はお前の神よりも偉い神様を信じているんだ』と言われると思っていたザビエルは肩透かしを食らった気分だった。
「では、その御使いはどなたに仕えているのですか?」
「わかりません」
「わかりません?」
適当に5秒で考えた神様のしもべにそんなものあるはずがない。
なんなら、栄養たっぷりなトマトの神様とかジャガイモの神でも良いのだ。
大事なのは、他人が至高と思いこんでいる既存の神様の縄張りとバッティングしない存在である。
「神様のしもべなのに、神様を知らないとはどういうことなのですか?」
「あなたは、神様をご覧になった事はありますか?」
ザビエルはそう言われて躊躇した。見た事が無いと言えば、そこから因縁をつけられる事が多々あったからだ。しばし逡巡した後に…
「いいえ」
正直に答えてきた。
「わたしも見た事はありません。そして科学様も神様を直接ご覧になるのは許されておらず、ただ『争いを続ける人の世を救うため、ひたすら奉仕せよ』という命令に純朴に従っておられるのです」
科学様は神ではない。あくまで弟子であり、しもべなのだ。
キリスト教などの一神教は至高の存在が決まっている。
だから、仏教も神道も認める事が出来ない。
日本の僧侶も一番偉い神様を祭っているという看板を背負って商売をしているのだから「あなた達の信じている神様よりもっと偉い神様がいる。というかあなた達の信じている神はまがい物だ」と言われたら、宗教というシノギを巡って争いが始まるだけである。
だが、俺が5秒で考えた『科学』という名前の恥ずかしい宗教は、どんな神様よりも下に位置する。
難しい宗教の世界観はわからないが人間の生活に直結した知識を教える現世利益に特化した教えであり、視野の狭い特化した神の道具である。
それゆえに、理論上はどんな宗教とも争いにはならない。
争う前に全面降伏しているからだ。
そのくせ、どんな宗教よりもこの世界の現世利益についてはうまく説明するのである。
『専門バカ』と呼ばれるような、権力争いを鼻から放棄した存在。
さて、この存在をこの時代の西洋人は受け入れてくれるだろうか?
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別府には大友義統の腰掛け岩というのが鶴見のあたりにあったそうですが、昭和40年の宅地開発の際にどこに行ったかわからなくなったそうです。
建設会社、もっと歴史に興味を持って(泣
なお、筆者は権力者から踏み絵を踏めと言われたら踏むし、改宗しろと言われたら改宗するくらい宗教よりも命を優先する人間なので、ある意味傍観者的に宗教は観察見ることが出きるのではないかと思いますが、敬意に欠けている部分は先に謝っておきます。
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