第39話 科学無双の狼煙

 大分には曲(まがり)という地名がある。津守と言う地名の近くにある土地で平安時代に成立した曲別府の開発者の勾氏からついた名前だと伝わる。

 森岡小学校の近くには曲大仏なんかもあったりする。

 実はここ、大友宗麟の私有地だったと宣教師が記録している。

 どうも『津守』という地名は『港の防衛所』という意味があり、水運の要所だったようだ。そんな重要地点なので大友家が直轄で押さえていたそうなのだが

「工場完成」

 広さ50平方m程の土地にベタ基礎、コンクリ柱の建物を立ててみた。

 うむ、クラックも起きてない、ほれぼれするような仕上がりだ。

 工期もギリギリの予算も無い工事だと、ここまで建築が楽しいものだとは思わなかった。

「アンタ何やってんですか」

 さねえもんが疲れたようにつぶやく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 最近俺はアホみたいなメンツで当主に罪を擦り付けようとする老害たちに愛想が尽きた。

 もう、あいつ等への配慮なんて知らん。

 なので俺は化学実験を一歩進めることにしたのである。

 長増に頼んで優秀な鍛冶師を2人ヘッドハンティングしたので、造りたい装置はその場で出来る。もう少し河川を整備出来たら下郡工業地帯を400年ほど前倒しで造っても良いかもしれない。

 まあ、その前に実験を成功させないと…


 ガラス瓶にいれた液体と、この国では貴重品の鉄釘のカスの固まりを用意する。

「はて、これで一体なにをされるのですか?」と科学関係者のリーダーである無月さんが問いかける。

「こうするんだよ」

 そういうと俺は用意したガラス瓶の塩酸に鉄くずを投下した。


 塩酸;2HCl+鉄Feである。


 すると、鉄が酸化してたちまちに気体を生み出す。

 酸とアルカリというのは磁石みたいなもので、酸化しやすい物質とふれると、そっちにくっつく性質がある。

 つまり塩素が水素を捨てて鉄にくっついてしまうのだ。


 化学式にすればFeCl2+H2となる。


「あああ、鉄が…もったいない」と数人がうめく。

 実験にダイヤモンドを燃やすような暴挙に写ったのだろう。

 俺も武器とかに使いたかったけど、あいつら老害に良い武器を渡しても感謝すらしないのだから化学実験に使う。豚に真珠を渡しても無駄だからな。

 そんななか、無月さんは目の前の化学反応にだけ興味があるようだ。

「水素は水に溶けにくいから、水上置換法で集めるんですね」という。

 凄い。よくわかったね。たぶん俺よりも応用力がある。

「しかし、これで一体何が出来たのですか?」

若い学者が不思議そうに聞く。まあ水素は常温・常圧では無色無臭の気体だから空気と区別はつかないだろうな。

 そこで対比実験の出番である。

 水素は非常に軽く、非常に燃焼・爆発しやすいといった特徴を持つ。

 なので、空気が入ったガラス瓶に火を近づけても何の反応も起きないが、水素の瓶に火を近づけると激しく反応し、火が大きくなる。

「な、何だ!今のは!」

「急に炎が大きくなったぞ!」

 気体という概念の無い人間にとって空気にも色んな種類があるというのは驚くべき発見だろう。

「はい、今のが水素と酸素の燃焼反応と言って…」

 俺は 2H2+O2=2H2O という式と共に下にこぼれた水を指さす。

「水素と言う物質は火で燃やすと酸素とくっついて水になります」

「な!なんと!」

 学者たちが驚く。当然だろう。今まで地水火風で世の中は構成されてて、仏様がこの世界の決まりを作っているという世界から300年は先の知識を得たのだから。

 先ほどまでの躊躇はどこへやら、興奮して鉄を塩酸に叩きこむ学者さん達。

 はっはっは、気持ちいいまでの驚きっぷりだけど、少しだけ節約してくれないかな。実験成功した小学生のように「ほら見て、ほら見て」と喜ぶ無月さん。

「すごいですね!この妖術は!」

「これは、鉄から水を作る事が出来ると秘術ですか!」

 うーん…ちょーっと違うんだなぁ…。

 固定概念を変えると言うのは難しいようだ。

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 もう一度、化学式とか電子の数を説明し、何故水素が生まれたのか、水素とはどういうモノか?から説明しなおす。机上の学問だとどうしてもイメージがつかみにくいから実物を見てから再説明したほうが良いだろうという判断からだ。

「これで水素の作り方はわかったね」

 そういうと、無月さんが

「ええ、石灰CaCO2を使った方が経済的だという事も分かりました」

 と即答した。

……石灰CaCO2+2HCl=CaCl2+CO2+H2か…

……………先に相談しておけば良かった…………


 まあとりあえず、これならハーバーボッシュ法とかいう方法でNH3、アンモニアを作れるのである。

「そうなると、どうなるんですか?」

「空気から野菜が作れるようになるんだ」

 アンモニアは作物の成長に必要な窒素Nを含んでいる。

 窒素は空気中にもあるが固体にできれば化学肥料として生産力を爆上げできる。

 本来、人口増加で食糧不足に陥るはずの現代社会が飽食の時代などと言われていたのは、この化学肥料と呼ばれるアンモニアの生産による部分が大きい。


「それはすごいですね!」と無月さんが興奮したように言う。

 そして



「で、この水素と空気中の窒素を、どうやってくっつけるんでしょうか?」



「………………あ」

 考えてみたら、どうやって反応させるのかは覚えていない。

 数式で書けば3H2+N2=2NH3となるのだが、ただ空気に触れさせただけではダメだろう。

 なんか特別な行程が必要なのだろうけど、それはわからない。

 なんで高校の化学は最後まで実験させないのだろうか?机上の空論だけでは全く役に立たないじゃないか。

 硝石の作り方とか知ることができれば火薬だって簡単に作れるんだし、戦国時代にタイムスリップしたときの事を考えて、もっと役に立つ知識を教えてほしかったものである。

「そんなテロリスト養成学校みたいな授業できるわけないじゃないですか」とさねえもんが言う。

 うん、確かに爆発物作ったら教師の首が吹っ飛ぶかもしれないな。物理的に。


 余談だが、筆者の母は戦後すぐに不発弾処理を仕事にしていた男性が誤爆出で爆発四散した光景を見たことがあるらしい。

 化学や火薬は危険と隣り合わせなのである。


 材料だけはそろったが、料理の方法が分からない。

 そんな状態で途方に暮れる我々に、無月さんの弟子が色々提案する。

「何か触媒が必要ではないでしょうか?」

「別の薬品を混ぜて反応させるとか?」

 なんか、現代化学の授業を聞いた俺よりも、チャレンジャブルでアグレッシブな提案である。むしろ、色々と実験している分、俺よりも化学への勘所は良いのかもしれない。

「うーん。温度を上げてみるとか?」

「では火をつけてみましょう」

「それはダメ…ああ、遅かった」

 その瞬間、ビーカーはものすごい音を立ててヒビが入った。

 あたりには水滴が残る。

「ちょっとびっくりしましたが、これで完成したでしょうか?」

 急に現れた水滴のにおいを嗅いでみる。無臭だ。

「どうやら、水ができたようだな」

「え?何でですか」

 物事には優先順位がある。

 空気中の窒素よりも水素が反応しやすい物質がある。酸素だ。


 つまり N2+3O2+6H2 = 3H2O+N2+O2


 という水素が酸素と反応して水ができる実験になったようだ。

「つまり窒素だけを取り出して、それと水素を無理矢理くっつける必要があるんですねぇ」

「火をつけてはだめなら電気でも流してみましょうか?」

 そういえば、雷が落ちると豊作になるとか言うし、電気とアンモニアの精製はなんか関係があるのかもしれない。

 ただ、空気放電できるだけの電力が作れるだろうか?

「無理矢理押しつけてくっつけばいいんですけどねー」

「それが出来たら本当にいいんだけどな」

 改めて、みることが出来ない気体を発見し、分解してくっつける作業を完成させた近代の科学者の根気強さには脱帽するしかない。


 そして、実験に失敗して破産する人間にも脱帽だ。


 だが、ここで諦めるわけにはいかない。

 ここで食糧生産が増加出来れば飢え死にする人間が減る。

 

 日本の歴史は大体『幕府が経済政策に失敗する>困窮した武士が借金して没落する>徳政令で借金を棒引きする>金貸しが武士に金を貸さなくなる>食い詰めた武士たちが反乱を起こす』というパターンで鎌倉幕府も室町幕府も江戸幕府も滅んでいる。

 特に江戸幕府は大名たちが『借金を日本政府が肩代わりする代わりに所領を手放す』という人間が多く、経営破たんした藩が多かった事を示している。

「だから、農業生産さえしっかりしていれば反乱も減る……といいなぁ」

「領民のためじゃないんですか?」

うん。領民も大事だけど、先ずは自分の安全が大事だろう。一色さんとか奈多さんとか奥さん達も守らないといけないし。

「まあ、最終的には領民のためにもなるし、良いんじゃないかな」

 だからこそ、早めに結果を出さないと…。普通こういう時は化学の教科書を偶然持ってたりスマホが使えるから未来知識であっさり解決するもんじゃないだろうか?

「はいはい、現実逃避してないで、色々試していきましょう」

そう言いながら、学者さんは水素をお湯で温めたり、金属を突っ込んだり、薬品を混ぜてみたりし始めた。

 

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 この地味で文書映えしない試行錯誤こそが化学の進歩なんで、我慢してください。

 というか、俺ツエ―な文書って書くのが難しいですね。一種の才能だと思います。

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