第30話 閏5月 菊池討伐開始と燃えない蔵

 肥後で蜂起した菊池に対し、阿蘇氏・小代氏・詫磨氏達が討伐をしてくれているらしい。その援軍も決まった所で、これからの史実の大友氏の予定を再確認しておこう。

 さねえもんに史実で起こる出来事を書き出してもらった。


●閏5月20日に豊後から志賀親守、小原鑑元、吉岡長増の3人を大将にして肥後へ出陣する。

●7月11日前 肥後の合志と豊後軍が戦闘。豊後大野の一万田氏ら3名が戦死。


●10月14日 菊池義武を退治。菊池は再び逃亡。

 肥後には小原氏が代官として入る。


●1552年、大友晴英が大内家の家督を継いで大内義長と名乗る。

▲1554年、菊池義武、肥後から豊後に連れ戻される途中、竹田市で死亡。

▲1556年 小原鑑元が大友宗麟に対して反乱をおこし死亡。

▲1557年 大内義長、毛利家に滅ぼされ殺害される。


 ……結末がヒドすぎないか?


 八郎くんが死ぬのだけは回避したいなぁ。

 でも「日本で一番大きい領土(当時)を所有する大名家に養子にいける」というのは魅力的だろう。

「復活不可能なんじゃないか?」とおもえるくらい家臣がバラバラでも…。

 これを回避するのを第一に考えよう。


 というか1554年に何で菊池義武、死んでるの?

「詳細は不明ですが『大友家から逃げられない』と諦めて、捨て扶持を貰うのを条件に豊後に帰ることになったと相良氏の関係者の記録にはあります」

 場所は不明だが河尻とかいう土地をあげると言われたという。

「それで大友家から使者が来て豊後へ向かいます」

 ほうほう。

「ところが、1週間くらい経ってから『義武さんが死にました』って手紙が大友家から来たとそうです」

 ……………それは犯人が分かった気がする。

 まあ、二回も裏切ったんだし仕方ないのかもしれない。

 長増のじいさんもかなり怒っていたし。

 

 まあ、義武はともかくとして、小原は助けられるなら助けたいな。なんで反乱を起こそうと思うのかわからないけど。

 だとすると、今回の大将に小原を加えるのはまずいかもな。別の人にして肥後の代官も別の人にした方が良いのかもしれない。


 そう思ったのだが


「他に適任者がおりません」と長増じいさんから返答が帰ってきた。

 まあ、会社でも『この仕事ならこの人が任されるだろう』と思われていた人間を急に別の役目にするとか、慣例に逆らうことをすれば「左遷か?」とか「上司が快く思ってないようだ」などと噂されるかもしれない。

 つまり、小原さんの出兵は変更不可だし、その出兵の功績として肥後を与えないわけにはいかないのだろう。

 多くの人間や権力が絡むと、滝壺に向かって流れる木のように運命は決まっているのかもしれない。雇われ大名の御神輿に出来る事は少ない。


 だとすれば、小原さんとなるべくコミュニケーションをとって反乱を回避できるよう努力するしかないか。

 まあ、たぶん裏切られるんだろうけど(諦め)

 なんか抜本的な改革でもやらないと、運命通り事はすすみそうな気がするよ。御神輿としては。

 とはいえ、何もしないのも後悔が残るだろうし一応贈り物でもしておくか


 というわけで府内の館にいた小原さんを訪ねてみた。

 小原さんは大神という豊後の豪族の一族だと言う。三つ鱗という関東の北条氏と同じ家紋、通称「トライフォース」の旗を部下たちが準備していた。

 シンプルだけどゼルダ世代にとっては憧れのマークである。

そんな事を考えていると小原氏が出てきた。 

 豊後の大神氏は蛇を祖先に持つと称しているだけあって、頭は卵形で特徴のある顔つきをしている。ただ顔つきは蛇と言うよりもどじょうとかナマズのような愛嬌のある顔つきだ。

「これはこれはお屋形様。戦前に一体何のご用でしょうか?」

 前言撤回。

 忙しいのに邪魔をするな、と言わんばかりの慇懃無礼な態度である。愛嬌がない。

 だが、これくらい2回目の現場監督してた時に出会った気むずかしい大工で経験済みである。

 あのときの大工は、結局契約を切って二度と使わないようにしたが、こちらはクビにはできないのがやっかいだ。

 まあ小原はこれから、死んでも行きたくない地獄の合戦旅行に行くんだし、ご機嫌とりとして武具一式をプレゼントしておこう。

「これは我が夢に現れた仏様より祈祷を受けた武具じゃ」

 そういって、高田の鍛冶が俺用にと試作した軽くて頑丈な鎧をプレゼントした。

 胸の部分には大友家の立派なマークが入っているし、デザインも良いのではないかと思う。


 まあ「こんなもの着れるか」とか言われはしないだろう。


 そう思ったら、小原さんは何故かふるえながら「これは…恐れながら着れませぬ」と急に平伏しだした。

 えー、結構出来は良いはずなんだけどなぁ…

 そんなに嫌なのだろうか?あ、それか鎧は使いなれた物のほうが良いのかもしれないな。なら

「無理強いはしないが、技術の粋をこらした物故、息子に渡しても良いぞ」と言った。

 そうだよな。『貰った服は着ないと失礼に当たる』と考えたら、受け取らない方が良いと考えるか。だったら体力の無い子供の練習用に使っても良いや。軽いし。

 そう思って提案した。

 すると

「ははっ!では当家の家宝として末永く保管させて頂きます!」と神妙に言われた。

 いや、保管せずに使ってよ…


 他にも大友家のマークの入った旗とか渡したら大変恐縮され、晩ご飯までごちそうになった。まあ、よく分からないが少しは親密になれた気がする。

「殿より拝領された、この旗。必ずや隈元の地にはためかせて見せまする!」とまで言われたし。

 まるで「逆賊になぞ仕えるものか」と言われた三国志の武将が、忠誠度が100までアップしたみたいである。ちょっと不気味だ。

「ま、まあ死なないように、命を大事にして励んでくれ」と言うと、感極まったように平伏された。

 そんなにあの旗もらって、うれしかったのだろうか?


 まあ、やる気があるのは良いことだ。

 酒まで貰ってほろ酔い気分で俺は自宅へ帰った。


 そのあと血相を変えた長増から竹田の志賀氏、最初に俺を助けてくれた佐伯氏、あと、義鑑さんが襲われたときに命がけで戦ってくれた部下4名にも同じものを渡すように言われた。

 あれ?俺なんかやっちゃいました?

「大友の杏葉紋は、気安く部下に与えませぬように」と深く深く釘を刺されたんだけど、そんなに重要なものなのだろうか?


 まあ、小原もやる気を出したみたいだし、ある程度の方針が決まったから戦争準備はこれで大丈夫だろう。(食料系は吉弘さんに丸投げした)

 あとやることと言えば決まっている。


 そう、地道な化学実験である。


 水素の取り出し方とかアルコールの作り方を『化学式』として学生時代は教えられた。

 ただ、実際に製造するのは難しい。

 水素をまともな道具も電気も無しに取り出す方法なんて一介の現場監督が思い出せる訳もないし、実習で行った人もいないだろう。

 というか普通、異世界に来たのなら現代の本が何故かバッグに入っていたり、それどころかチート能力で物質を自由に分解、結合する能力とかあっても良いもんじゃないだろうか?

 これくらいのサービスはあってしかるべしだと思う。

 仕方がないので、村の中で「頭は良いけど体が弱く、人付き合いも悪い。一つのことしか黙々とできない」と言われるような人間を税金代わりに集めることにした。

 日本の税金 祖調庸の内の『庸』と呼ばれる人力払いの税金なのだが、基本的には村の力持ちが選ばれる。土木仕事が多いからね。

 なので農作業の役に立たない人間でこの苦役が免除されるなら安いものだと喜んで放出された。


 そこで無月さんの部下に基本的な化学知識を教えさせて、大分にある色々な石で成分検査をして貰う。


 こういうと高尚な事に聞こえるが、サンプルが磁石にくっつくか?火で燃えるか?特定の液体をかけたら溶けたりしないか?などの『地味~』で『暗~い』作業である。

 現代科学とは、この一見無駄で地味な作業から発見された功績によってなりたっているのだ。

 日本の科学技術が落ちたのは、この成果が出るかわからない地味な作業にお金を出さなくなったからだと思う。

 まあ、大勢のローラー作戦でやればまぐれあたりもあるものである。

「この石、『さん』と呼ばれる液体に反応しました…」と言われたのは津久見産セメント用の石である。酸に反応したらしい。

「そういえば、セメントってアルカリ性だから触ると皮膚が溶けるって言ってましたね」とさねえもんが言う。

 あ、完全に忘れてた。

 セメント用石灰石=建築材料。と認識していたので化学の材料に使うという認識に欠けていた。

 えーと石灰の石だからたぶんCO2が入ってそうだな。

 まあ、これだけだとアルカリ性の性質が出ないようなので燃やしたり他の物質と組み合わせたりして何が出来るか確認していこう。

 答えを知っていても、こんなに大変なのである。ノーヒントの手探りで化学を発展させた先人は本当に凄いと思う。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 それだけだと「殿は役立たずを集めて遊んでいる」と言われそうなので、コンクリート製の蔵を造ることにした。


 まず地面を50cmほど掘って鉄筋を設置した基礎に、コンクリートを流し込む。ベタ基礎と呼ばれる、この時代的に贅沢で頑丈な基礎がこれで完成した。


 これに基礎から飛び出した鉄筋と壁用の鉄筋をくっつけて型枠と呼ばれる板で囲った。この扉や窓の部分にコンクリートが流れ込まないように加工した板をセパレート(通称セパ)と呼ばれる均等の間隔をあける器具で固定して、高さ1mずつコンクリートを流しては、隙間が無いように木の棒でかき混ぜる。

 コンクリートは粘りけが強いので、スープを混ぜるようにぐるぐるとではなく、棒状の杵で突くように砂利を押し込める感じだ。

これをしっかりしとかないとジャンカと呼ばれる空洞が出たりクラックと呼ばれるヒビが入りやすくなる。

 最終的には化粧セメントで上塗りするので表面は隠れるが、強度的にヒビは少ない方がよいだろう。

 一日目に基礎を作り、敷地中に入らないようにして2日目には壁を1m、3日目にはさらに1mと継ぎ足して5日目に完成させた。

 1mずつなのは一気に壁を作るとコンクリートが自分の重みで下から漏れ出す時があるためと、圧送機(いわゆるポンプ車)がないので、足場を組むためである。


 実は家というのは外側だけなら結構簡単に作れる。

 木製の家でも大工の上棟(柱を立てて屋根まで作る作業)などは雨が入り込まないように1日で終わらせるのが基本である。

 現代建築が時間がかかるのは、配水管や電線・エアコン用の穴など、細かい部分を細工する必要があるからだ。

 テレビとか電話線を引く場合、専用の業者に来て貰う必要があるし、水道も田舎だと個人の水道や温泉まであるので手続きが面倒くさい。思い出しただけで胃がキリキリしてきた。

 だが、水道も電気もテレビも電話も土地計画法もこの時代なら、作るのは非常に楽である。

「なんか最後、存在しなくても守らないといけない法律がありませんでしたか?」

 さねえもんがジト目で言ってくるが、地震対策はきっちりしてるよ。

「本当ですか?」

 本当だとも、何しろ今回の作業、工期も予算も自分で決定できるのである。うるさい上司や最低限の金さえも値切ろうとするお客もいない。下請け…じゃなくて職人さんも素人ばかりだけど素直にこちらの指示に従ってくれている。

 これで良いものができないわけ無いじゃないか。

 豪雨の中、上司から「コンクリートを打て」とか下請けから「こんなに工事がとびとびになったらウチは赤字だ」と文句や指示を出されない。

 これだけでも精神的に楽である。毎朝雨が降らないかドキドキしながら目を覚まさずに済むのだけは有難い。

「建築業って大変なんですね…」

 仕事は夏や冬じゃなければ楽しいけど、失敗できないというプレッシャーや、多くの変人がからむという点は最低の仕事といえるだろう。

 特に『●チ屋の工事は一人人柱が必要』などという非人道的格言まで飛び出す業種なので回避した方が良い。

 うん、またちょっと呪詛が漏れ出しちゃったな。


 というわけで、コンクリート製の蔵が完成した。

 漆喰は無しの、むき出しコンクリート造り。木材を一切使わず、扉は鉄製である。

「これは…なんでしょうか?」

 とベッキーや臼杵が唖然として見ている。

 まあ、そうだろう。

 石だけで出来た蔵なんて、この時代には存在しないからな。

 ふだんなら難癖付けるような他の家臣も異様な建築物を前に言葉が無い。


 ここで、一ついたずら心が働いた。


 単に石製の蔵と言ってもピンとこないだろう。もう少しコンクリート製建物のすばらしさをアピールしても良いだろう。なので

「これはな、絶対に火事にならない建物だ」と言った。


 これを聞いて家臣たちは「そんな建物が出来るわけがないでしょう」と言い出した。

 いや、全部石で出来てるんだから燃えるわけがないだろ。

 そう思ったが建物は燃えるものと思いこんでいる老害…もとい家臣たちは納得しない。


「なら、実際に燃やしてみるか?」と俺は言った。



 一時間後。

 油壺を投げつけて火矢を射たり、たいまつで直接燃やしたり、炭火焼きされたり、戦国時代で思いつく限りの放火活動をされた蔵が、何事も無かったかのように鎮座している。

 いや、煤で真っ黒になった。

 デモンストレーション用とは言え一日で汚れたのは悲しい。

 特に「あの青二才に吠え面をかかせてやる」と言わんばかりに執拗に、たんねんに、念入りに、何度も何度も火をつけた家臣A(末裔の方のプライバシーに配慮しております)。絶対に忘れねぇ。覚えてやがれ。


 急な温度変化で所々ヒビが入ったようだが、躯体くたいはビクともしていない。無骨な半寸の異形鉄筋(高田の鍛冶師作成)のおかげである。恐ろしく頑丈な蔵が出来たのは確かだ。

 このコンクリート製建物の評判が広がれば、将来的に俺が『防衛用の城を作りたい』と言っても納得してくれるだろう。

 木造だらけで燃えまくりの日本建築で燃やそうとしても燃えない家なんてそうそうあるものではない。これで防御に特化した国が出来るはず…………と、思ったのだが

「これなら戦場で打ち壊されない壁が出来そうですなぁ」とは言わず

「柵として基礎部分を弱く作り、坂道に向けて落とせば十人は殺せますな」とか「幾つかの石を丸く固めて落とせば山城では麓まで敵を礫殺できますな。早く固めらる方法はないでしょうか」などと言い出した。

 いや、鉄筋とかセメントに砂利とか、運んだり作るのに時間はかかるし戦闘には向かないの見てたでしょ?何で人殺しに利用しようとするの?戦闘民族なの?

 あきれる俺に、さねえもんが

「この時代は、いかに敵を殺すかが基本思想ですからねー」と言う。

 捨ててしまえ、そんな思想!


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 実際にコンクリートが安定するには1週間ほど欲しいのですが墨俣一夜城みたいなインパクトが欲しくて急ピッチで完成したと言い張りました。

 ある意味欠陥住宅ですね。

 ちなみに現代のコンクリート城は漆喰の内側でコンクリートの酸化が進んでボロボロになっていたという記事がありました。本当ならコンクリート建築は漆喰よりペンキの方が長持ちするみたいですね。風情もあった物ではありませんが…


ちなみに大友家の家紋は鎌倉時代から続く名門の家紋という事で人気があり、相当な功績を挙げても滅多に下賜されない由緒正しいブランド品です

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