第4話
2月の中頃から警鐘を鳴らしていた人はいた。しかし、不安からは逃れたいものだ、だから触れないでいた。バレンタインデーにチョコを自分に買ったりして気を紛らわせた。ほらみろ、世界は以前とちっとも変っちゃいない。
そんな虚しい抵抗も跡形もなく崩れ去る。
既にマスクの買い占めは問題になり、マスクのゴミが町中に見られた。
2月末。これはどうやら事態が深刻らしいとようやく認めた。対岸の火事どころではない。火の粉が降りかかるその前になんとか備えなければならない。そう認めたのは兼ねてからフォローしていた心理学のアカウントからだった。
騙されたと思って来月に向けて備えよ。という趣旨のツイートを見たのだ。
情報を探り、何が起きているのか突き止めようと、中国武漢やシンガポールなどの近隣諸国の状況を調べ始めた。
死者が次々と出て、首都封鎖も免れぬ事態だとようやく察した。しかし、日本まで来るにはまだ時間がある。出来ることをしようと、長期籠城生活に必要な食糧と生活用品、家族を守るために必要なものを買い始めた。
家族からは異色の目で見られたが構いやしなかった。生憎、家を出るために貯めたお金はある。家族に必要な分の量を揃えるには相当に金が掛かったが問題なかった。
この事態の最中、災害が訪れないとも言い切れない。
東北大震災、去年の台風19号の時に近所のスーパーやコンビニ、ホームセンターなどから商品が消えた惨状を思い出していた。
今回は感染症だ。人が同じ場所に一度にひしめき合い、奪い合う光景は感染を広げる格好の的になると考えて、買い占めが起こる前提で事前に備蓄を始めた。
学校や会社が休みになれば、使用される日用品や食糧は必然と増えると予測して、普段必要とされる量より多めに計算した。
しかし、日毎に増える備蓄品の数々に母が苦言を呈した。もうやめてくれ、そんな事態にはならないからと。母は明らかに私の行動から先の事態の深刻さに感づいていた。しかし不安症とも言えるような反応で、私の行動を否定した。
物を置く場所がない、そんなに買っても使えないと、最もらしい言い分で私を咎め出した。私は何が起きていて何が起こるかを説明した。少し私も後ろめたかった。何も起きなければどうなる。無駄な浪費だと後で責められるだろうかと。
母は明らかに衰弱した。嘔吐し、立ち上がるのもやっとという感じで、会社から早退し、家でも寝ていながらビニール袋を側から離さなかった。
母は不安に弱いのだ。と、そう納得するように言い聞かせていた私自身も、不安に弱かった。しかし、この家で守ってくれる人は誰もいない。そんなことは生まれた時から経験済みだった。ましてや政府などあてにならないと考えて行動していた。私はこの家庭に生まれた不幸を背負っていたので、この国の政府がまともに機能しないことくらいわかりきっていた。慣れっこだった。
一人で買い物に行けない近所のお年寄りがあることも考慮して必要以上に備蓄をして、冷凍庫がいっぱいになり、保存食やガスや飲み物などが揃い始めた頃、桜が開花した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます