空飛ぶスポーツドリンク

むち

出題編

暑い夏の放課後だった。高校二年生の僕は、女子バレー部を取材するために体育館を訪れていた。とはいえ僕は新聞部ではなく、生徒会書記を務めている。例年、監査の関係で部長に話を聞いているけれど、今年は普段の部活風景も記録しておくことになったのだ。僕はこの役目をできれば避けたかったけれど、会長の命令には逆らえない。

 

 蒸しかえるような暑さの体育館には、バレー部員の掛け声が響いている。僕が挨拶をすると、部長は練習を抜け出して応じてくれた。部員に何か指示をして、コート横の僕の方へ。練習はサーブ打ちっぱなしへと切り替わったようだ。

 僕らのいる場所は体育館の北側に位置していて、背にはステージがある。正面方向である南側には女子コートがあり、その向こうに男子コートと正面出口が臨める。

 僕から見て右手、体育館西側の壁際には、ポニーテールの女子生徒が立っていた。少し自信なさげで新入生っぽいから後輩さん(仮)とする。きっと怪我やら転入部員やらで見学しているのだろう。


 女子バレー部の部長は小柄ながらたくましさを感じさせる人だった。運動部らしいベリーショートと、熱量を感じる大きな瞳が印象的だ。「リベロ」というポジションらしい。

 僕は部費の使い道や活動についていくつか質問をした。といっても、既に書類で答えてもらっているから、形式的なものだ。それでも部長は快く対応してくれた。

 丁度最後の質問が終わって、部長がペットボトルのスポーツドリンクを飲み始めたとき、サーブの流れ弾が飛んできた。僕は反射的に身構えたけれど、


「おっと」


 部長は握っていたボトルのキャップを捨てて、ボールを左手で受け止める。その動作がとても余裕に溢れていたから、僕は感心した。


「はは。やはりコート脇ではゆっくり話できないね」

「いえ、十分です。今日はありがとうございました」

「良かったら練習を見学してってよ。五時十分に一度休憩があるから……あと二十分くらい。どう?」


 僕はしばし考える。どうせ生徒会室に帰っても急ぎの仕事はない。会長にネチネチと小言を言われるくらいだろう。それだったらバレー部の練習を見学した方が報告書も詳しくかけるしいいかもしれない。

 「よろこんで」と承諾する。部長はサムズアップしてペットボトルのスポーツドリンクを流し込んだ。そして口を離すと、壁際で見学していた後輩さんにボトルを投げた。



 「ああ!」。口の中で悲鳴を上げる。部長は蓋をしないまま、ボトルを放ったのだ。僕はこの後起こるであろう大惨事を予見した。回転する開け口からドリンクが零れ、その先の後輩さんと床をベトベトにする。すでに投げられたボトルを静止するすべはなく。僕はただ悲劇を見守ることしかできない。


 しかし、実際の光景は予想とは大きく外れていた。


 ボトルは回転しながら、小さな放物線を描いて後輩さんの手に収まった。その中身を零すことなく。


「その辺に置いといてくれ」


 後輩さんも呆気にとられたようだったけれど、ボトルを見て頷いた。その様子で僕も事情が分かった。このボトルは中身が空だったんだ。飲み終わったボトルだから部長は気軽に放ることができた。後輩さんは受け取った後それに気づいたから大した動揺を見せないんだ。

 そう結論づけて、僕は自分の観察に満足した。普段はこうした謎を生徒会長に相談しているけれど、今回は必要なさそうだ。


 後輩さんはボトルを足元に置くと、部長の落とした蓋を回収しにいく。蓋はコート脇に落ちていて練習の邪魔にはならなそうだったけど、ゴミが落ちていて気になる気持ちは分かる。だから彼女が空のはずのペットボトルに蓋をしたときも、ゴミを纏めただけだと気にならなかった。


 それから、僕は後輩さんと同じく壁際に立って練習風景を見ることにした。僕の左2mに後輩さん、その左足元に件のペットボトルが置かれている。

 それにしてもここは暑い。コート正面で見学しやすいものの、体育館の西側で丁度窓もあるから、西日がよく差し込むのだ。さっき部長と話していたコート脇はステージ前だからまだ涼しい方だった。


 後輩さんも同意見だったのだろう。一度正面出口からエントランスへ出た彼女は、戻った後には立ち位置を左へ修正していた。窓の下を避けて日陰に立ったわけだ。僕も右側の日陰へ移動する。結局、僕らの立っていた場所には部長のペットボトルのみが残されたのである。

 

 そのまま特に何事もなく見学を終えて、休憩時間に入った。結論を言えば、『ペットボトルが空だった』という考えを打ち砕いたのは部長だった。彼女は後輩さんの足元に置かれた例のボトルを掴むと、それを口元に当てたのだ。部長の喉がなる。


「ぷはー」


 僕はまたしても混乱した。つまり、ペットボトルにはまだ中身が残っていたのだ!


 この事実によって、僕の推理は役立たずになったかに思えた。しかし、一方で全く動揺を見せていない後輩さんを見て、僕はもう一つの考えに思い至った。さっき後輩さんが外に出たとき、僕はコートの方しか見ていなかった。だから全く気づかなかったけれど、あのとき後輩さんには何か持ち物があったのではないか?それに、体育館のエントランスにはたしかあれがあったはずだ。僕はタオルで汗を拭く部長に礼を告げる。


「今日は見学させてもらってありがとうございました。バレー部の熱量をしっかり報告書に書けると思います」

「おう。会長によろしくね」


 ニカっと笑う部長にお辞儀して、エントランスへ出る。そして予想通りそれを見つけて、僕はにやりと笑った。

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