僕が大人を嫌いになった日。

村木 諸洋

僕が大人を嫌いになった日。

 私は、大人が嫌いな子供であった。なんとも、可愛げのない話ではあるが、そのきっかけは、自分の中では明確にあり、未だに忘れることはない。

 時は遡ること、中学二年のことである。冬休みに入る前だか、明けた後だか、その辺りだったと記憶している。毎年この時期になると、次年度の生徒会役員が決められる、生徒会役員選挙が行われる。新三年生、すなわち今の二年生たちの中から候補を募り、同一役職に複数の立候補があれば、生徒たちによる選挙が行われるといった、どの学校にでもあるような、至って平凡なイベントだ。私のいた中学というのは、至って普通の公立中学であった為、生徒会役員選挙だとか、そういった行事事には、特に関心が向けられていたわけではなかったし、私もその関心がなかった生徒の中の一人であった。

 私の中学生時代を顧みると、それはそれは悲惨なものであった。私は、田舎出身である。学校の周りは、田んぼで埋め尽くされ、その中に校舎が聳え立っている。かつて、インターネットの航空写真でその周辺を見渡した時、私は開いた口が塞がらなかった。まるでアイシャドウのパレットのように、綺麗に整備された田んぼが一面広がっていたのである。それはそれは、良く言えば壮大な景色であり、悪く言えば何もない。私の住んでいた市は、(それでも一応は「市」であった)映画館やボウリング場は勿論のこと、ケンタッキーやスタバなどといったハイカラなものは何一つないようなところであった。(最近、カラオケのまねきねこが出来たらしいのだが、田んぼのど真ん中に立地しているため、航空写真で見てみると、それはそれは滑稽に見えて面白い。)人口は、約七万人といったところだろうか。そんな田舎であったので、私の通っていた当時の中学は、そこそこに荒れていた。この荒れていた時の話は、また別の機会にでもしようと思う。「悲惨」と記述したのは、私の記憶が確かならば、入学して二日ほどで先輩に目を付けられ、気が付いたら、入学式から一週間後には、校長室の、ふかふかではありながら、ところどころ革の捲れた、恐らく長いこと整備されていないであろうソファに座っていた。勘違いされたら嫌なのだが、勿論、被害者としてである。そして性格というものも、あまり良いものではなかった。勉強は人より出来たが、センスが悪く、常につまらぬボケを多発したりするような、扱いにくい厄介な人間であったと自覚している。あまり真面目とは言えず、勉強面以外での評価は、ぱっとしないものであった。当時の中学に、T先生という、四十半ばほどの変わった先生がおり、私はその先生の物真似が多少上手かった。それで当時仲が良かったT君(T先生とイニシャルが被ってしまったのは仕方があるまい)の家で遊んでいた時に、T先生の物真似で友達に電話をかけまくった。当時はケータイなんて代物は持っていなかったので、勿論固定電話だ。そして、そのことがS先生という、小さくて口やかましいおばさんの小耳に挟まり、放課後の教室でT君とともにひどく怒られたのを覚えている。が、当時の私たちは、T先生の声で、「ちゃんと勉強してますか?」と冗談交じりに電話をかけて、最後にネタバラシをして終わるというものだったので、悪いことをしているという認識がなく、何一つとして反省していなったはずである。T先生、S先生、その節は申し訳ございませんでした。ただ、S先生だけは、(この件だけに限らず)未だに嫌いではあるが、建前として謝罪の意を示そう。

 さて、話を戻す。まあ、なんとなく分かるかとは思うが、私がその生徒会役員選挙に立候補することになったのだ。しかも、生徒会長としてである。そのきっかけを私に与えてくれたのは、先ほどのT君だった。T君が私に、「僕が副会長をやるから、会長をやってよ」と持ち掛けてきたのだ。別に、断る理由などなかったので、私はそれを快く引き受けた。小学生の頃から、学級委員などをやるような子供ではあったので、別にそういう仕事が嫌いなわけではなかった。そうと決まれば話は早く、そのまま二人で、職員室へと向かった。職員室に入り、生徒会担当の先生の所へ向かって、開口一番こう告げた。「生徒会長に立候補します」その瞬間だった。比較的物静かだった職員室がいつになくざわついた。その先生には、「え?本当に?」と言われた。だから私は、「はい」とだけ答えてやった。T君も、副会長に立候補する旨を伝えた。T君は物腰柔らかく、生活態度も真面目であった為、すぐ飲み込まれていた。だが、どうやら私は違ったようだ。ここで初めて、「どうやら自分は入ってはいけない領域に足を踏み入れようとしているのではないか」と勘付いた。偶々ではあるが、その職員室の中には、I君という男の子もいた。I君は、野球部に所属し、真面目で勉強も出来(とはいえ私の方が出来たが)、爽やかで誰からも好かれるような、優等生という言葉がぴったり当てはまる好青年であった。そのI君が一言、「僕も会長に立候補しようかな」と小さく口にした。その瞬間、周りにいた先生達が、「立候補しなよ!」「君なら戦っても勝てるよ!」とI君を囃し立て始めたのだった。そのとき、私は不思議な感覚に包まれた。自分が違う世界にいるかのような、違う世界につまみ出されたかのような、何ともいえない感覚であった。ただ、一つだけはっきりと、自分自身に訴えかけてくる、明瞭な感覚があった。それこそが、私は、この人達、すなわち大人が嫌いだというものだった。どういう風に形容すれば良いのかは分からない。ただ、どうも悔しかった。自分が否定された感じがしてならなかった。多分、その先生達は、そんなことをもう覚えていないだろうし、当時だって別に悪気なんてなかったのだろうけど、弱冠十四歳が経験するには、少しばかり重すぎる経験だった。私はよく、自己肯定感が低いと言われることがある。そのきっかけが何かと聞かれれば、この経験が非常に大きな比重を占めていることに間違いはない。教師という職業は、難しいものだなと常日頃から思う。一少年少女の人格を形成する上で、非常に大きな役割を担っているのだ。誰しも、小学校や中学校のときの先生に言われた言葉や行動が、断片的に記憶に残っていたりするだろうし、ときには自分の行動の指針になっていたりもするだろう。そういう意味では、私の受けたショックというものは、今も尚、私を取り巻き、私を構成する要素として存在し続けている。

 その翌日辺りに、とある先生に呼び出され、ポストが空いている体育委員長への変更を打診されたが、私は頑なにそれを拒んだ。何故、I君に打診するならまだしも、先に立候補した私が、そうやすやすと変更せねばならないのか納得が出来なかったからだ。一度やると決めて立候補したのだ。最後までとことんやってやると心に誓った。

 ただ、ここからはあまり面白くない。一度は立候補をしたI君だったが、結局、部活動との兼ね合いで、自ら立候補を取り下げたのだった。正直、人望から考えても私に勝ち目はなかったので、少し安堵したとともに、なんだかやるせない思いになった。まあ、人望なんて言うが、所詮中学生の投票なんて、卒業アルバムに載るような、つまらん人気投票と同じようなものである。ほら、こういうことを言っているから、人望がないのだ。いくつになっても嫌な奴は嫌な奴のままだ。そんな自分に辟易する。とはいえ、無事に誰とも競うことなく、生徒会長になることが出来たのだった。

 生徒会長になって初めての仕事は、一つ上の学年の卒業式で、在校生代表として送辞を読むことだった。当時学校には、M先生という国語の女の先生がおり、この先生だけは、私のことを気に掛けてくださり、大変お世話になった。この卒業式の送辞や、後に受けることになる、高校の推薦入試の為の志望理由書なんかも、すべてこの先生に指導していただき、幾度となく添削やアドバイスをいただいた。お陰で、送辞の内容は大変素晴らしいものとなり、私はそれを式で、一度も噛むことなく読み上げてやった。読み終わったときは、そのM先生への感謝の思いで心が溢れていたことを今も覚えている。お世話になった先輩方、申し訳ない。もう時効だろうから許してほしい。

 その式が終わった後のことであった。H先生という、体育の先生がいたのだが(少し小太りで、口ひげを蓄えていた為、裏で生徒からはマリオと呼ばれていた)、その先生が私の名前を呼び、廊下の端の方から近づいてきた。授業以外ではあまり話したことがなかった為、少し意外だった。廊下なのでクリボーは出てこない。私の傍までやってきたH先生は、いつになくにこやかな表情を浮かべ、私の肩をぽんと叩き、「いやあ今日の送辞良かったよ。見直したよ」と言った。なるほど。私はどうやら、見直されるほど先生達からの評判が悪かったらしい。そりゃあ、あんな扱いを受けるのも頷ける。念のため言っておくが、H先生は普段は職員室にはおらず、体育教官室という煙草と珈琲の匂いが染みついて、余程の理由がない限り入りたくない部屋におり、あの日も例外ではなかった。

 実はというもの、あの送辞を読み終えた日から、H先生だけでなく、少しずつ他の先生達からの、私に対する見方が変わったなというのが感じ取れた。どうやら、私の「真面目さ」に、徐々に気付き始めたらしい。とはいえ、あの日感じたあの感覚が消えることはないし、忘れることもない。そして今でも偶に、思い返すときがある。古傷が痛むというやつだ。そして今もなお、私は私である。だが、あの日大人を嫌いになった私は、今やもう大人になってしまった。まだまだ若いと言い張りたいが、二十歳を超えた辺りから、徐々に大人としての自覚が出始めてきている。もし今の私が出来ることがあるとすれば、私の周りから、私のような思いをする少年少女を生み出さないことぐらいだろう。十代というのは、とても繊細で、難しい年ごろである。しかし、皆それを経験してきて今がある。もっと、寄り添ってやるべきだろうと私は思うのだ。聞いているか。当時の先生達よ。

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