第9話

 ずわり、と何かが吸い出されました。

 ぐらりと揺れる視界にアマビエがうつむきます。

 吸い出されているこれはきっと命で、願いです。アマビエは自分が死ぬのだと悟りました。

 人魚のために。

 人魚のための願いを。

 今までアマビエが無言の内にうけていた、他の人魚たちの望みが、アマビエの命を吸い取っています。

 「アマビエ? どうしたの?」

 なぎが、心配そうにアマビエの顔を覗き込みました。アマビエは辛くてすぐには声も出ません。

 どうして急にこんな事になったのでしょう。

 アマビエにはわかっていました。

 誰か人魚が、願いを使ったのです。アマビエが人魚の願いを叶えるようにと、命をかけて願ったのです。

 アマビエは悲しくなり、同時におかしくなりました。

 結局、人魚とはこういうものなのでしょうか。命をかけて願う以外、何もできないのでしょうか。

 でも、人魚には魚のように泳げる尾があるのです。

 この上なく優美に泳ぐ二本もの尾をもつ者もいます。

 不格好な三本の尾のアマビエでさえ、こうして一人で岩場までやってきたのです。

 「ねえ、なぎ、死ぬのと引き換えに願いが叶うって言われたらどうする?」

 しぼりだすように問います。

 なぎに。

 幼い人の子に。

 「え…死にたくないよ。」

 そう答えて、それからなぎはちょっと考えているようでした。

 「でも、うんと頑張って生きて、おばあさんになったあとで死ぬ時だったら…」

 なぎはしばらく一生懸命言葉を探しました。

 「みんな頑張って幸せになれますようにってお願いする。」

 ああ、それだ。とアマビエは思いました。

 私が人魚のために願う事は、そんな願いがいい。

 「ねえ、なぎ、私の絵を描いて。そしてそれをみんなにみせて。」

 まだ見ぬ赤ん坊を描いたように、拙くても温かい絵で自分を描いてほしい。そしてその絵を見るたびに、思い出してくれるととても嬉しい。

 「そうしたら、きっと病気も治るから。頑張った分、ちゃんと良い事が起きるからね。」

 なぎは目を見開いて、それからこっくりとうなずきました

 「じゃあ行って。それで絵をきっと描いて。早く。」

 なぎが振り返りながらも岩場から離れていきます。なぎがいる間なんとか岩場に体を起こしていたアマビエは崩折れ、そのまま海へと滑り落ちました。

 願いが、アマビエの命を奪います。

 アマビエにできることは、もう人魚のために願うことだけです。

 「私の絵を見るたびに、少し頑張れますように。頑張った分幸運に近づけますように。」

 人魚のために、人のために。

 願いを囁いたアマビエの身体は、虹色の泡になって消えてゆきました。

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