第15話「澄み渡る大空の空気は清浄の印」
とてもとても広く、地平線が見える草原の上に、幾つか浮かんでいる多種多様な物体がある。その多くは楕円形で細長く、地面と平行に伸びていた。
多くの人間はもうリアルで見かけることのないそれは、大型の飛行船だった。
「うわあっ。大きいです」
エリンは飛行船の下から船を見上げていた。今は飛行船へ乗船するためにプレイヤーが行列をなして並んでいる最中で、傍にはレッドとアンジーもいた。
「あまり見上げていると列から抜けるぞ」
「大丈夫ですよ。小学生ではないんですから。それよりもこのイベントがランキングに関係あるのは本当なんですか? ただの集団参加するレイド系ミッションにしか見えませんよ」
レッドを含む3人が飛行船に乗る理由。それは新しい大型イベントへ参加するのに必要な条件だったからだ。
イベントの概要によれば、これから参加者は新大陸へ向かい、新たに発見された王国の調査をするらしい。
「これは期間限定ランキングレイドミッションと言ってな。参加者はイベントのゴールに向かってスタートし、期間中イベント圏内(けんない)での総合得点やダメージ、補助、回復のスコアのランキングを競うんだ。後、ゴール順位もあるな。もちろん、騎士団や冒険者ギルドのようなコミュニティごとのランキングも競えるぞ」
「なるほど、それなら今回初めて参加する人にもチャンスがあるんですね」
「ああ、期間限定ランキングは後々普段のランキングの順位にも加味(かみ)される。つまりこのイベントは大型のランキング戦みたいなものだな。しかもだ。今回はそれだけじゃない」
レッドはエリンの前で人差し指を立てて、強調した。
「この大型イベントのすぐ後に、公式の騎士団と冒険者ギルドを含む総合コミュニティランキング戦がある。これは4か月に1度しかない、重要なコミュニティランキング戦。おかげでこの大型イベントに本腰を入れない、不参加の上位コミュニティは多いときた。これは大チャンスなんだよ」
レッドは大げさに言う。確かに上位コミュニティがいなければ、下位のランキングにいるレッドやエリン、そしてアンジーにも期間限定ランキング内に入り込める可能性がある。
いや、それだけではない。
「エリン、お前が俺の騎士団コミュニティ『黄金の羊騎士団』に参加してくれたことには感謝している。ただ、このコミュニティで活動しているのは実質ここにいる3人だけだ。他の奴らは自由気ままでな。中々連絡も取れない」
「ということは、コミュニティランキングの方は、難しそうですね」
「ああ、だからだ。俺達は個人ランキング上位……、エリンの場合は違うな。個人ランキング1位を目指してパーティを組む!」
レッドとエリンが盛り上がっている中、アンジーはあまり明るい顔をしていない。何か心配事がありそうだ。
「どうした? アンジー先生。さっきから暗い顔をして」
「だっての……。周りを見てみるんじゃあ、レッド……」
レッドがアンジーに勧められて周囲を確認した。
「あそこにいるのは、チャン・ドレッド。ランキング12位の大手『数多(あまた)の寄る辺亭(べてい)』ギルドマスターだし。隣で話しているのは、あのヴァンも所属しているナンバー2の騎士団、ランキング34位の『白獅子騎士団』騎士団長、ユルト・アーバン。2人とも個人ランキング上位なんじゃあ……」
「ドレッドのとこはロマン重視だしな。アーバンは自由参加らしいし。そのくらい強い方がやりがいもあるってもんだ」
「やりがい……? じゃあ、向こうにいる奴を見てもそう言えるンゴ……?」
アンジーが指さす方向を向くと、レッドの目が驚愕(きょうがく)の色に変わった。
「――んなっ!? ケリー・スィフト! 紅い死神か!」
ケリー・スィフト、赤い頭巾と紅いマスクに隠れた金髪が印象的な女性だった。マントには白い花弁を散らした黒い髑髏(どくろ)が描かれ、別格のオーラが漂(ただよ)っている。
「個人ランキング81位、コミュニティランキング1位の『暁のドラゴン亭(てい)』所属、17階幹部10階。マジものの上位勢じゃねえか!」
「えっ!? 『暁のドラゴン亭』の!?」
レッドの前や後ろにいた並び待ちのプレイヤーも同じ方向を向き、口々に呟(つぶや)く。それは驚嘆(きょうたん)だけではなく、上位に食い込むのが難しくなったことに対する諦(あきら)めの声も含まれていた。
「いくら上位コミュニティが参加していなくても、これじゃあ上位は難しいンゴ……。『暁のドラゴン亭』は構成員がほぼランキング1000位以下……。数人いるだけでランキングが全然違うンゴ……」
アンジーは苦悶(くもん)し、老齢(ろうれい)の婆(ばあ)さんみたいに呻(うめ)いていた。
ただしレッドは同じように落ち込んではいない。それどころか増々(ますます)燃え上がる様子を見せていた。
「ランキング81位か。どうせいつかはたどり着く通過点だ。今のうちに体感しておくのも悪くないな」
「おろ……? レッドは昔みたいなことを言うようになったんじゃなあ……。エリンの影響じゃろなあ……」
「昔なんて言うな。俺は未来に生きてるんだ。ほら、列が動き出したぞ。さっさと乗った乗った」
レッドが言うように前の行列が動き出す。レッド達3人はそれぞれ様々な気持ちを抱きながら、飛行船『アントワネット号』に乗船した。
アントワネット号は非可燃性ガスを入れた風船部分は白く、風船が吊り下げている木造船は地肌のままで、雲を帆(ほ)にした船のようであった。
乗船したプレイヤー達は木造船部分に乗り込み、船内でくつろぐか、甲板(かんぱん)の上で大空を満喫していた。
「船旅も悪くないンゴね……」
アンジーは船体の縁にある手すりに掴(つか)まり、レッドやエリンと共に流れる雲や青空、眼下に広がる大海を眺めていた。
アントワネット号から下に広がる海まではかなり遠く、水だからといって落ちて助かるわけもない。ここはある意味、逃げ場のない孤島なのだ。
「俺はさっさと新大陸に上陸したいがな。まあ、たまにはゆっくりするのもいいか」
「そう、ですね……」
エリンだけ、船旅を楽しめていないのか暗い顔をしている。初めは高所が苦手だと思っていたが、手すりに近づけるところを見るに別の悩みがあるらしい。
レッドはそんなエリンの複雑な心境に気付いたようだった。
「アンジー先生。ちょっと他のプレイヤーに聞いて、大型スクリーンに例のものを映さしてもらえるよう、交渉してくれないか?」
「なんじゃあ……? 別に構わんけど、突然何を……? ああ、そういうことですか……」
レッドがこっそりエリンを指さしたのを確認したアンジーは、納得したように頼みを承知した。
アンジーが手すりから離れて他のプレイヤーに頼みに行ってから、レッドはエリンに声を掛けた。
「どうした? 浮かない顔をして。心配事か?」
「えっ、いえ何でも……。違います。本当は、自信がないんです」
エリンはボーっと下を向いて、悩みを打ち明け始めてくれた。
「私、決闘に勝利した時は舞い上がってました。ランキング3300位のヴァンさんに勝利して、万能感にひたっていたんです。でも3300位はまだまだ上があるって、さっきアンジーさんが上位プレイヤーを見つけた時に気付いたんです」
エリンの言う通り、まだランキング11万位のエリンではランキング1000位以下の兵(つわもの)に勝てるかどうか確信はない。苦戦するどころか、あっさり負ける可能性さえある。
エリンはそれが怖いのだ。上位のとの埋められない実力差を、今回味合わされるかもしれない。そんな未来を恐れて、足がすくむのだ。
レッドはエリンの杞憂(きゆう)を知り、少し考えて結論付けた。
「だけどよ。楽しくないか?」
「楽しい、ですか」
「少なくとも俺が新米の時、競う仲間や敵がいた。ランキング上位を目指して、必死に仲間の強みを吸収し、目の前の敵と戦い、充実した日々だった。そして気づけばランキング上位、そんなものだ」
レッドは懐かしそうに眼を細め、語った。
「エリンだって自分が少しづつ強くなるのを、楽しんでいただろ。ヴァンとの決闘で、それが証明されて、喜んだはずだ。何も変わらない。上位の奴らにも同じように挑戦して一喜一憂して楽しめばいい。それが俺達プレイヤーの特権だよ」
勝って楽しむ、強くなって楽しむ。その逆も次の挑戦のための経験と思い、楽しむ。何度も何度もやり直しはできるし、その際の試行錯誤(しこうさくご)はNPCにはできないプレイヤーだけのものだ。
ランキングを競うのは大事なことだが、楽しむこと。それこそがゲームにおいて忘れてはいけないことだ。
「無理に、とは言わないよ。だからその時は少しプレイングから離れるのもいい。どうにもならない時は辞めてしまうのもアリだ」
「や、辞めるなんてことしません!」
「ほう、それは心強い。だけどな。俺はエリンが志(こころざ)す限り、応援し続ける。そいつがどうにも、今の俺の楽しさみたいでな。
エリン、お前も楽しめ。俺がそうであるように。お前が突き進む限り、そして立ち止まる時も付き合ってやるからな!」
レッドは自分に似合わないと思いながらも、ぎこちない満面の笑顔をエリンに向けた。
「そうですね。そうです。私が楽しまなければ、ゲームをプレイしている意味がありません! 私、目が覚めました!」
エリンはあっさりと立ち直った様子になり、両手でガッツポーズを作った。
「乗船の皆さま、ランキング更新が始まるんだよおおおおおお……!!!」
急に大声量で注目を浴びたのは、看板のセンターにいるアンジーだった。
言葉と同時に、アンジーの後ろの大型スクリーンにランキングがざっと並び。船上にいた皆の視線が集まった。
しばらく流れるランキングの順位、その時エリンは自分の名前を見つけて叫んだ。
「8451位! 8451位です! 私1万位内に入ってしまいました!」
「おめでとう、エリン。1万位以内なら十分ランキング上位勢だ」
「やりましたよ、私ーーーーー!」
そのままランキングが流れると、ヴァンの順位は下がり、1万位圏外になっていることがわかる。けれども、それに対して誰も気にしてはいなかった。
「私、このまま爆走します。期間限定ランキングも1位になって、駆け上がりますよ!」
エリンの宣言に、周囲のプレイヤーも楽しそうに沸きたつ。それなら俺も、いや俺も、と自分こそはランキング1位を目指すと公言し始めた。
それまで上位ランキング勢の登場で沈んでいたプレイヤー達は、エリンの喜びと共に活気を取り戻したのだ。
「だよな。やっぱゲームはこうじゃなくちゃな」
レッドはエリンと、エリンの周りのプレイヤーの盛り上がりを見て、かつて隆盛を誇った時代を思い返していた。
――ドオンッ。
いきなり船の横から爆発音が轟(とどろ)き、全員何が起こったのか分からず、慌てふためいた。
最初に異音がどこから来たのか判明したのは、甲板の右を見ていたプレイヤーだった。
「隣の船から火が出ている! 事故じゃない! 隣の『アンリ号』が攻撃されているぞ!!」
船旅はまだ海の上、誰もが安心しきっている中での強襲(きょうしゅう)であった。
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