深読み「信長公記」
麒麟屋絢丸
前書、太田牛一のこと
「深読み信長公記」として、信長公の一次資料として人気の『信長公記』に於いて、ここ可笑しいぞ?というポイントを攻めてみたいと思います。
『信長公記』の著者、太田牛一は、本名を太田又助(和泉守)信定といい、大永7年(1527)に春日井の安食で生まれたとされています。
次男以下だったのか、一旦仏門に入っていますが、還俗し斯波氏に出仕、天文23年(1554)7月、斯波氏が守護代織田氏に討たれた際、名古屋城へ逃げ込み、柴田勝家の下で斯波氏の弔い合戦である安喰合戦を戦い、その戦功により同年、信長公の直臣になっています。
そこから、馬廻の弓衆に取り立てられ、鷹狩のお供など勤めた後、官吏としての能力を認めれ、目出度く近習となります。
その後、丹羽長秀の行政対策の与力として本能寺の変を迎えます。
一時期、隠居をしていた牛一ですが。秀吉に召し出され、官吏系の職務の傍ら、様々な軍記などの著書を残しました。
その中の一つが『信長公記』です。
豊臣政権、徳川政権下で書かれた著作物には、その時々の献上先への配慮、記憶違いなどがあり、正確さには問題があるものの、その他の家史、日記に於いても、憚られる事は、曖昧に書かれていますから、一級資料としては間違いないでしょう。
通説の裏事情を探る!という事で、エンターテーメント的に捉えて頂いて、結構です。(個人的には本気だ)
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