第22話 ようやく


「ユナ……!」


 俺は慌ててユナに声をかける。

 ユナの身体はボロボロで、あちこちから血が流れていた。

 かなり危険な状態だろう。


「ハルト…………おねがい……コホッ」


 ユナは息を切らし、血を吐きながら俺の名前を呼んだ。


「ユナ! 無理して喋らなくていい! 傷が開いちまう!」


 そう言い、俺はお姫様抱っこの形で抱いていたユナをそっと地面におろした。


 すると、ユナは白い手で弱々しく俺の手を握ってくる。


「お願い……。あいつを倒して…………」


 ユナが俺の手を握りながら、今にも消えてしまいそうな声でそう言ってくる。


「……任せろ。ユナは安心して休んでてくれ」


 俺は微笑みながらユナにそう言った。

 そしてユナの手をそっと置き、立ち上がる。



 ……俺が森でゴブリンを探すのに手間取っている間に、街が大変なことになっていた。


 急いで駆けつけたら、たくさんの冒険者たちが満身創痍の状態になっていた。

 特にユナの怪我がひどかった。全身から危険な量の血を流している。

 すぐに処置をしないと手遅れになってしまうかもしれない。


 ……俺がもっと早く駆けつけられていたら。

 もっと早く街の異常に気付けていたら。


 ダメな自分へ腹が立った。


 だけど。

 それ以上に。


 俺は悠々と空を飛ぶ黒龍を睨みつけた。


 あいつを許せない。



「ユナをこんな姿にしたのはお前か」



 昂る感情が抑えられない。

 身体が燃えるように熱い。

 今にも怒りでどうにかなってしまいそうだ。


 一歩一歩、黒い龍へと近づくごとに、さらに怒りの感情は高まる。


「お、おい! 誰か知らないが逃げたほうがいい! あの怪物には誰も勝てないんだ!」


 近くで誰かが叫んでいる。

 しかし怒りで頭に血が上っているせいで、ただの言葉の羅列としてしか脳に入ってこない。

 俺はさらに歩みを進めた。


 すると、空を飛んでいた黒龍が、口から黒い魔力の渦を放ってきた。


 俺は拳を構える。


 ──スッ。


 黒い渦に向けて拳を叩きつける。


 パァン!


 俺の拳がその黒い渦に当たると、黒い渦はまるで風に吹かれた煙のように掻き消えた。


「……は、はぁ?」


 周囲から唖然とした声が聞こえてくる。



 俺は地面を蹴り、空飛ぶ黒龍のもとへと跳躍した。


 一瞬にして、黒龍へ手の届く距離までに近づく。



 こいつがユナをあんな姿にしたのか。

 ユナを苦しめ、いたぶり、死ぬ寸前まで追い込んだのか。


 ここへ来るまでの間、跡形もなく破壊されていた『夜の騎士団』のギルドを見た。

 街に何人もの死体が転がっているのを見た。


 こいつは、俺たちの希望が込められた大切なギルドを壊し、そして何人もの人々の命を奪っていった。



 俺は拳を構える。


 ──スッ。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!」



 全力を込めた拳を黒龍の背中に叩きつけた。



 ──パァンッッ!



 鼓膜を突き破らんばかりの破裂音が戦場に鳴り響く。



 拳に伝わる確かな手ごたえ。



 ──黒龍の背中に巨大な穴があいていた。



 まるで時間が止まったかのように、辺りが静けさに包まれる。



 やがて黒龍は重力に従って自然落下をはじめ、大きな音を立てて地面に墜ちた。



 しばしの時が流れるが、もう黒龍が動く様子はない。



 決着の時だった。



 その光景を前に、誰もが唖然とした表情を浮かべて、何も言わずにいる。



「…………やりやがった」



 静寂の中、誰か呟きを漏らす。


 それを契機にしたかのように、驚きと喜びが混ざり合ったような歓声が巻き起こった。



***



「すごい……! すごすぎる!」


 ルークは目の前で起こった、衝撃的な光景に目を見開いた。


 そして息一つ切らさず地面に着地した黒髪の男を見つめる。


 見たこともない人物だった。


 いや、ほんの少しだが、どこかで見た気がする。

 たしか『シュナイダーズ』に加入面接を受けに来ていたような……。


 そこでルークは首を振った。


 まさかな。こんなとんでもない人がうちに入ろうとしてたわけがない。


 しかし本当にすごいものを見てしまった。

 誰もまともにダメージを与えることすらできなかったあの黒龍をたったの一撃で倒してしまった。

 目の前で見たにもかかわらず、にわかには信じがたい光景だった。


 ──この出来事は必ず伝説になる。


 ルークは確信していた。

 自分がその伝説の目撃者だ。

 あの男は一体何者なのだろう。ギルドは? 一体どんな魔法を使ったのだろう?

 気になることがたくさんあった。


 だが。何よりもまず彼に伝えなければならないことがある。

 ジャンさん、ソフィア、ルーシャ、ジャック、ジュリア。彼らの仇を討ってくれたことへの感謝だ。



 彼は、俺の恩人だ。



「ありがとう──」



 ルークは亡くなった仲間のことを思い出し、そして戦いの決着がついたことに対して、こらえきれずに思わず涙を流した。



***



「お、おおおおおおお! 僕の黒龍が倒された!」


 街から数十キロ離れたとある場所にて。


 二十代前半の若い男が、街の方向を見つめて一人で叫んでいた。


 鮮やかな青色の髪、この世のものとは思えないほど綺麗に整った顔。

 男は細身の体に、紳士風のネイビーの背広を着ている。


 興奮して胸の前で握りしめられたその右手の甲には羊のタトゥーが入っていた。


 その男は熱狂冷めやらぬ様子で声を荒げる。


「すごいッ! すごいよ! まさか剣聖でもない神級魔法使いでもないやつが僕の黒龍を倒すなんて! しかも一撃で! すごすぎる! 誰だよあいつ!」


 男はハアハアと息を切らしながら言葉を紡ぐ。


「黒龍を倒すのはアイリーンかターニャ……それかルッツあたりだと思っていたけど」


 そこで一旦言葉を区切り、男は自身の頭を抑えながら地面にかがみこんだ。


「あー、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいッ!」


 地面に向けて呟き始める。

 かと思うと今度は急に立ち上がり、両手を天に向けて広げた。


「最高に面白いやつが現れたッ! 嗚呼! 苦労して黒龍を召喚して良かったっ! 興奮が止まらないよ! んんー! 法悦ほうえつッ!」


 男は空を仰ぎ、焦点の合っていない目で、叫んだ。


 そしてそのまま、ピタッと動きを止める。


「……我慢できないッ。ちょっとだけ会いに行っちゃおうっと!」


 男は残像を残し、消えた。


***



「ユナっ!」


 黒龍が動かなくなったのを確認して、俺はユナのもとへと急いで駆け寄った。

 ユナは苦しそうな表情のまま気を失っている。


 息はしているが、危険な状態だ。

 出血しすぎているし、全身の生傷がひどい。


「まずい……」


 こんな時、治癒魔法が使えたらユナを治すことができるのに。


 クソッ。


 こういう時に心底魔法が羨ましくなる。


 ハルトは周りを見渡した。


「誰か、治癒魔法を使える人はいませんか!」


 ハルトが叫ぶ。

 しかし周りの者もユナと同じように怪我をしている人がほとんどだ。

 誰も治癒魔法を使っている余裕などなさそうだ。


 クソっ、どうしたらいい。


「ひどい傷だねぇ」


 誰かが俺の隣からユナの様子を覗き込んできた。


「ああ、このままじゃまずいんだ……」

「本当だねぇ。この傷は、ここにいるようなクソ低級魔法使いどもには治せないだろうねぇ」

「そうなのか……。ん?」


 優しい口調のわりには口が悪い。つーかこいつ誰だ。


 俺は横を向いてみる。


「んふ」

「……誰?」


 そこには、にこりと爽やかに微笑む奇妙な男がいた。

 青い髪に、端正な顔立ち。

 なぜか小綺麗な背広を着ている。


「その子、僕が治してあげようか?」


 青髪の男は微笑みながらそう言う。


「できるのか!?」

「僕を誰だと思ってるんだい? まあ見てなさーい」


 そう言い、青髪の男はユナに両手をかざす。男の手元が淡い緑色に輝き始める。


 俺はじっとその様子を見守る。


 すると、みるみるうちにユナの傷が癒えていく。


「お、おお……!」


 俺は思わず声を漏らしてしまう。

 すぐに、ユナの身体からすべての傷が消え去った。


 なんて高度な治癒魔法なんだ。


 普通、あの傷をこんな簡単に治せるか?


 魔法に関してあまり知らないから何とも言えないが、この男の魔法はすごく高度なものの気がした。


「よし、できた! しばらくすれば目を覚ますと思うよ!」


 青い髪の男はそう言った。


「本当か!? ありがとう! あんたは恩人だ!」


 俺は頭を下げてそう言った。

 見た目は怪しいけど、どうやらいい人のようだ。


「いいよいいよ。ねえそんなことよりさ! どんな魔法を使って黒龍を倒したの!? 君は何者!? ギルドはどこに入ってるの!?」


 青髪の男は急に前のめりになり、大量の質問をぶつけてくる。

 なんだこの人近いな……。


「ま、魔法は特に使ってない。俺の名前はハルトで、ギルドは『夜の騎士団』に入ってるよ」


 俺は若干のけ反りつつも、男の質問に素直に答えた。


「魔法は秘密かー! 残念! まあいいや。ハルト君かぁ。いい名前だねぇ。法悦ほうえつだねぇ。『夜の騎士団』? 聞いたことのないギルドだなぁなんでだろ」

「ほ、ほうえつ……? ああ、『夜の騎士団』は最近できたギルドなんだ。ぜひ覚えといてくれ」

「なーるほど!」


 青髪の男はそう言い、ようやく俺から離れた。

 ふう。やたらとテンションが高い人だなぁ……。

 なんてことを思っていると、男は何かを思いついたような顔になって、口を開いた。


「ねえ、今度『ミライール王国』においでよ! いいものが見られるよ!」


 まるで無邪気な子供のように男はそう言った。

 『ミライール王国』? 聞いたことない国だな。まあ一応この人は恩人だし、頭には留めておくか。


「ああ、わかった。ところであんたの名前は?」

「本当!?来てくれる!? うはー! 来てくれたら絶対楽しくなるなぁ楽しみ!」


 男は嬉しそうに飛び跳ねている。

 まじで変わってんなぁこの人……。

 そして、動きを止めて言葉を続けた。


「あ、僕の名前? そうだなぁ。

 ……羊男とでも名乗っておくよ」


 男は薄く笑いながらそう言った。


 羊男。


 俺はとっさに男の手の甲を見る。

 そこには羊のタトゥーがあった。


「……ッ!」

「じゃあまた君に会えるのを楽しみにしているね」


 その言葉を最後に、羊男は消えた。

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