カウントダウン

岡田 荀

1 はじまり

 人生は長い。ゴールが見えないのに走り続けなければならない。僕はそれに疲れてしまった。数少ない友人には新しい仕事でモスクワへ行くことになったと伝えた。送別会をやろうと言ってくれたけれど、そんなのはごめんだ。来週出発で準備が忙しいと言って断った。小さい鞄をひとつだけ残し、残りの家財道具は一切捨てた。リサイクルショップに売ろうかとも考えたけど、手元に金を残して何になる。僕はどんどん軽くなっていった。人生は積み重ねだと人は言う。でもさ、積み重ね続けたらいつかその重さに耐えられなくなる時が来ると思わない? それが、正に今。正に僕。積み減らしたその先に、何かあるのだろうか。

 

 東京から約四時間。飛行機とバスを乗り継ぎ、やっとたどり着いた。ここにいる人達は、誰も僕を知らない。だから何も気負う必要はなかった。僕にはもう戻る場所がない。空港にあった黒色のベンチ。町へ行くために乗った赤いタクシー。そこから見える若い木々のわしゃわしゃした音。潮の匂い。その全部をどれもこぼさず記憶に留めようと思った。なぜだろう。憶えていたって意味なんかないのに。


 到着した時、あたりはすでに暗くなりかけていた。想像していたよりずっと小さかった。腰くらいまで生えた葦がうっそうとしていて、その間を縫うように水が流れている。一つのヒカリがすーっと僕の前を横切った。あ……僕が見たかったのはこれだ。その向かう先に目をやると、数個のヒカリがすでに飛び始めていた。写真で見るよりずっと小さい。まだ暗くなりきっていない空にそれがくるくると舞い、まるで早く暗くなるようにおまじないをかけているみたいだった。僕は少し短い草の上に腰を下ろし、目の前にいるその踊り子たちを見つめた。


 どのくらい時が過ぎただろうか。街灯のないこのあたりはいつの間にか真っ暗になっていた。そこで初めて、地面についていた腕がしびれていることに気付いた。立ち上がろうとしたその時、

「うわおっ、幽霊!」

声を上げると、目の前の幽霊が言った。

「幽霊がおるわけなかろうもん。こがんところで何ばしとるとか」

幽霊がにっこり笑った。話しかけられるまでその存在に全く気が付かなかった。

「あ、あの、僕、ここにホタル見に来て。もうすぐ死ぬから、ホタル、その前にどうしても、見たくて、自分の目で」

慌てた僕は、まごついて余計な事を口走った。幽霊は目を丸くして言った。

「でも、あんたの寿命は結構長いよぉ」

なんで、初対面のばあさんにそんなことがわかるんだ。僕は更にパニックになった。

「僕、このホタルと一緒の寿命になればいいなって。あの、えっと、そう思ってるんです」

そう言いながら、隣でほんわり光っている一番弱そうなやつを指さした。

「それじゃあ、こやつと一緒にしようかね」

ばあさんはにっこり笑ってツユクサの葉にとまっていたホタルを片手で捕まえ、もう片方の手の平を僕の背中にあてた。

「カウントダウン!」

そう叫んだ瞬間、背中が燃えるように熱くなった。

「さぁ、お前さんの寿命はこやつと一緒になったよ。今日、さなぎから成虫になったばかりだ。残り二週間。好きなように生きなさい」

あっけにとられていると、ばあさんは僕の手にソレを渡して闇に消えていった。

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