塔と塔のつながり

「ギネイスにとって私は何だったのか」

 クローディアはジリファにそう訊いた。血のつながりを意識していなければ出てこない言葉だ。

 カイは胸の内側が強く縛られるように感じた。クローディアなら察しているんじゃないかとは思っていた。でも改めて確認してしまうと複雑な気持ちだった。横になるとその苦しさが全身に回ってしまいそうで、ベッドの縁にしばらく座っていた。なぜかカーテンは開いたままで、隣の塔の赤い灯火が夜空にやや霞んで見えた。

「私ね、カイにトドメばっかり任せてきちゃったなって思ってるの。フェアチャイルドも、ギネイスも。あと、アイゼンの時は結果的にやらなかったけど、やらせようとしてたのは確かで……。全部私のことだったのに」クローディアはベッドで横になってカイに体を向けていた。

 カイは話すことにした。お互い打ち明けよう、と言われているみたいだった。

「ジリファに拐われてギネイスに会った時、彼女は君のことを訊いても知っているとは答えなかった。彼女はもう虚脱状態ではなかった。本当はそうなのにそうじゃないって答えなきゃいけない。そんな感じだった」

「ギネイスが知ってるって答えたらカイはディアナには言わないつもりだったのね」

 カイは少し留まってから頷いた。

「ギネイスはそれをわかった上で俺を放してスローンに向かったんだ」

 カイが本当に言いたくないのはそこだった。肉親だということだけではなくて、彼女があえてクローディアに血を献じたのではないかという考えの方だった。

「和解を望まず、あくまで私と立ち合おうとしていた。カイは彼女の思いを汲んだのね」

「立ち合う……なぜ面と向かって腰を据えて話そうとしなかったんだろう?」

 クローディアは首を振った。

「私に許しを求めるならそうしていたかもしれない。でも、たとえ私を捨てたことに負い目を感じていたのだとしても、一度そうなってしまった以上、なかったことにはできないと思ったんでしょう」

「じゃあ」

「私は許してない。許すとか、許さないとか、そういう気持ちじゃないのよ。私が知らないことなんだもの。でももし許しを求める態度だったら、疑っていただろうし、嫌悪していたかもしれない。もっと積極的な『許したくない』になっていたと思う」

 それを聞いてなおさら自分の選択が重く感じられた。ギネイスが選び取ったのは最後の最後に残された選択肢だったのだ。

「強制的に生かしてやることだってできたはずなんだ」カイは呟いた。

 クローディアはまた首を振った。

「それじゃディアナと同じよ。煉獄で生殺しにされていたのと変わらない。カイにはあの人と同じになってほしくない。カイはギネイスに逃げ道を用意して、選ばせようとして、でもギネイスはあえてそれを選ばなかった。私にはそれで十分だよ」

 後ろから黒い翼が伸びてきて右肩に当たった。風切り羽のやや硬い感触が手の甲にこそばゆかった。起き上がったクローディアの影が窓の外の隣の塔に重なって映った。

 

「君だって自分の家族のことを知りたいはずだったんだ。思いあたらないわけじゃなかった」

 カイは振り返ってベッドに膝をついた。クローディアとの間の空間は黒い翼に囲われていた。

「約束を優先したのは間違いない。でも君とのつながりを失いたいとは思ってないんだ」

「もし私が気づいてなかったら、血縁のことをバラすのはショックなことだって、そう思って黙ってたんでしょ?」

 カイは頷いた。

「私も迷ってたの。どっちの方がカイが楽だろうって。でも、ジリファにはどうしてもあれを言いたくて」

 カイはまた頷いた。

「ギネイスの灰を撒いた時ね、なんていうか、しっかり悲しかったの。タールベルグでも灰を撒いたでしょう。嵐に命を取られた人たちの。人が死ぬのって悲しいことなんだなって、ふうん、って思ってたの。知らない人の死。ギネイスのもそうだと思ってたの。でも、なんか違って」

「血がつながってるんだ」

「なんでそれだけで?」

 カイは死んでいった家族や飛行機仲間のことを思い出した。

「つながりっていうのは切れたりなくなったりすると悲しいんだ。そういうものなんだよ」

 カイはクローディアを抱き寄せた。やはり華奢な体だ。たとえ強力な奇跡が使えてもそれは変わらない。

 首筋に冷たいものを感じた。初めて触れる彼女の涙だった。



 およそ1週間の滞在の間、メルダース家ではほぼスピカが食事を用意した。彼女は揚げ物が大好きで、肉でも魚でも野菜でもメインになるとほとんど必ずフライになって登場するのだった。しかも衣と油の分量が規定の倍くらいあって、胸焼けしてなかなか眠れない毎日だった。

 買い出しの方はどちらかといえばメルダースの仕事だった。休暇の都合もあるのだろう。スピカは平日は仕事に出かけた上で帰ってきて料理していた。自分の食べたいものを食べたいゆえに自分でやっているわけだ。

 カイは何度かスーパーまでついていったけど、レゼは実に他の島の産品が豊富だった。ラベルにきちんと産地が書いてあるのだ。もはや魚ならここ、肉ならここ、というレベルではなくて、マグロなり羊なり、細かな種類によってそれぞれ特化した島があるようだった。メルダースによると島1つまるごと1軒の農家が所有していることもあるし、養殖企業が複数の島を傘下に持っている、ということもあるらしい。なんだかルフトの航空産業を思い出す話だ。それともルフトの食品産業も同じような構造になっていたのだろうか。ベイロンも案外辺境だから、そういった仕組みは見えにくかったのかもしれない。


 一度、早く帰ってきたスピカと買い出しに出たこともあった。スピカの買い物はとにかく安いもの手当たり次第といった感じで、一つ一つ吟味しながら回るメルダースとは違っていた。カゴに入れるスピードは速いが量も多いのでかかる時間は同程度、帰りの荷物は倍だった。手は痛くないか、と縦貫道路を渡る手前の広場で一度休憩を入れた。

「ごめん、彼と同じ感覚で買い物しちゃった」

 何のこれしき、と思ったが指先が鬱血して真っ赤になっていた。なるほど、メルダースは買い物袋に鍛えられているわけだ。

 顔を上げるとすり鉢状の砂場に子供がぎゅう詰めで遊んでいた。毎日の光景だ。

 縦貫道路の往来はやはり貨物車が多い。定点観測してみるとそれがよくわかった。

「他の島から来るコンテナが多いね」スピカが呟いた。側面に書いてあるメーカーや商品のロゴで見分けがつくのだろう。

「一見、旧文明と同じ光景なんだろうけど、本当は不自然で、すごく無理をしてるのよね」

「?」

「コンテナって飛行機で運ぶものじゃなかったのよ」

「船ですか」

「そう」

 旧文明には積載量10万トンを超える船があったらしい。スフェンダムのペイロードを500トンとしても200機分、スピードはともかく、燃費もずっと少なかったらしい。地表と海面が使えない現状はとてつもない非経済・非環境を生み出しているわけだ。

「こういう話興味ある?」とスピカは首を傾げる。

「まあ」

 それなら、とスピカは買い物袋の中からヨーグルトドリンクの小瓶を出して1本カイに渡した。公園のフェンスに腰掛ける。

「近代以降、島々が結びつく前の世界は断絶した小さなユートピアの集合体だったかもしれない。ものは塔からの供給で足りていて、全ての住民が自ら塔にアクセスして受け取ればよかった。仲介もなく、他の塔からの輸出入もない。生活の豊かさが個人レベルで完結していたから、他人との価値のやり取りに必然性がなかったんだ」

「でも現実には塔のつながりは回復していった。人々は飛行機を作り、天使たちは島の間を飛び回るようになった」カイは答えた。

「なぜだろうね」

「フラムの嵐が吹き荒れている間に部分的に機能を失った塔があって、他の島の助けがなければ生活基盤が失われかねなかった」

「そう。消極的な理由だね。外に与えれば均衡は崩れる。与えた塔は対価を求める。生き物は得手不得手を伸ばそうとするものなんだ。苦手なものを頑張るのは合理的じゃないからね。合理的な生き物の方が繁栄する。繁栄した人間の末裔たる私たちもまた無意識のうちに合理性を好む生き物なんだ。水が美味いとか、風がいいとか、そんな微妙な条件の違いから他の島に勝るところを伸ばして、勝られるところは頼って、やり取りが生まれた。やがてそのやり取りを得意とする人々が現れて、やり取りそのものに価値を求めるようになった。ものと価値の流通・集積は貧富を生み、行き過ぎた価値志向は塔の中にまで侵食して、インフラに対価を求めるルフトのような社会を生んでしまった」

「根本的には塔の機能喪失がいけないわけで、それさえなくなってしまえば島同士のつながりは必要なかった、ですか」

「必要はなかったでしょうね。機能を修復して島々の完結力を取り戻そうというのが、一応はこの国の理念」

「それにしては、王家があって、軍があって、国境線を大事にしてる」

「だから、『一応』」

 つながりの中で天使と人間の軋轢が生まれ、お互いの領域を区切らなければならなくなった。それがエトルキアとサンバレノという国家の起源、両国の対立の起源なのだろう。だから枠組みを守るのためのコストが必要になる。

 スピカと話しているとやっぱりルフトに渡った天使たちとは全然価値観が違うのだろうと感じたし、エトルキアに住み続ける理由も理解できるような気がした。スピカはエトルキアの本質的な哲学に共鳴して、ひいてはその復権を目指しているのだ。そのためにはエトルキアと対立する立場ではだめだった。だから軍人をやって人間社会に同化しているのだ。

「全ての島が自己完結して、つながりを持たない。そういう状態がエトルキアにとっての理想型。旧文明の人々が考えた塔の世界のあり方。資源と環境は保たれ、格差は生じない。人と富の集まりすぎた、レゼのようないびつな島もなくなる」スピカは改めて整理した。

「それはそれで、なんというか、つまらなそうだ」

 カイはケネシスを思い出した。つながりと特化がなければああいう島はあり得なかったはずだ。ケネシスに住宅地を築けば少しくらいはレゼの人口を吸収できるかもしれない。でもそれはおそらくエトルキア社会全体にとってほとんど何のメリットも生まない。ケネシスが提供している夢と娯楽を奪ってしまうからだ。ベイロンを目指すカイには理解できた。あれは「ここではないどこかへ」という気持ちを抱いている人々に明確なゴールを与えてくれる場所だ。ケネシスが救えるのはレースを好む人間だけだろうけど、あらゆる嗜好を持つ人々にとってそういうものがあっていいはずだ。でなければ誰もが上昇志向を失って、最終的には世界全体が朽ちていくだろう。

 そうか、努力で埋められる程度の格差を俺は肯定しているんだ、とカイは自覚した。

 


 巨人の井戸の実験から6日後、その成功が伝えられた。ディアナからの連絡がまだだったのでカイはクローディアとスピカを見送る形になった。ディアナが迎えに来たのは2人が出発した翌朝だった。


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