火葬

 レゼは飛行機が聞こえる街だ。日中ほぼ絶え間なく空が震えている。ベイロンに似ていた。深夜に限って音が止むのも同じだった。クローディアはそっと布団を抜け出し、窓を開けてインレの方角に飛び立った。

 インレにはもう生活の灯りはないが、航空障害灯は明滅していた。月明かりに浮かぶシルエットで十分判別できる。

 雲が月の前を横切り、虹色に光る。鳥の姿、声もない。静かな空だった。

 防空レーダーなら天使の大きさでも影を捉えられるだろう。何か反応があれば低空に潜って引き返そうと思っていたけど、幸いインレに到達するまで特に動きはなかった。もしかするとブンドの天使もしばしば夜中に活動していて、空軍の方も相手をするのが面倒なので黙認しているのかもしれない。

 ジョギング程度の呼吸で約20分。やっぱり塔間距離が近い。この距離を渡るのもギネイスとキアラはままならなかったのだから確かに翼は偉大だ。


 シピの部屋の位置を思い出して外から当たりをつけ、窓の桟にどうにか足をかけて張り付き、中が寝静まっているのを確かめてから窓を軽く叩いた。シピに開けてもらおうと考えていたからだ。

 ところが錠が外れたままになっていて、ガラスに手を当てたところでするりと開いた。おかげで危うく足を踏み外しそうになった。だいたいどうしてベランダをつけないんだろう?

 落下防止のため窓が開くのはせいぜい20cm。頭を差し込んで通るのを確認、肩を上下にして、いわゆるナイフエッジでその隙間を押し通った。腰骨が引っかかったけど、背面の方へ体を捻ると膝まで抜けた。床に叩きつけられそうになるのを翼と腕で受け止めた。

「スー?」シピが訊いた。

「違う。クローディア」肘を打った。腰にも窓のサッシがぐりぐり食い込んだ感触が残っていた。クローディアは後ろ手に窓を閉め、あちこちさすりながら答えた。

「アークエンジェル」とシピ。

「違……わないけど、ディアナは?」

「ここにはいません」

「ここって、インレ?」

「いいえ、この部屋です」

「別の部屋か」

「もうすぐ戻ってきます。何の用です?」シピは半身になって肘で上体を押し上げ、翼を伸ばしてヘッドボードの上の明かりをつけた。黄色くて仄かな常夜灯だった。

「ギネイスの体をどこへやったのか聞きに来たの」

「なぜ? あなたのために命を落としたから、ですか」シピは眠そうな半開きの目を向けていた。

 クローディアは窓の横の壁に背中を預けた。

「彼女はたぶん私の血縁なの」

「たぶん?」

「会っていたとしても生まれてすぐだから覚えてない」

「では、系譜上の親戚ですか」

「家系図をたどってようやく見つけた遠い親戚、みたいな?」

「ええ」

「親姉妹キョウダイのことも知らないのだから、私には系譜も何もない。自分の名前を書いて、それで終わり。その名前だって、誰かに貰ったものじゃないし」

「浮かんでいる」

「そう」

「それでなぜ血縁だと思えたのですか」

「ディアナは何も言わなかった。でも輸血できるくらい血が似ているわけだし、『強くなったわね』って彼女が言ったの」

「ギネイスはあなたを知っていた」

 クローディアは頷いた。

「知りもしなかった肉親を会っていきなり失うって、どんな気分なのでしょうか」シピの訊き方は微妙だった。素朴な疑問のようにも嫌味のようにも聞こえた。

「赤の他人が死んだのとそう変わらない」クローディアは答えた。

「でもあなたは骨を拾いに来た」

「ただ、場合によっては愛せる相手だったのかどうか、それだけは気になる、かな。私を知ってるってことは、私を捨てることに反対しなかったってことなんだ。でも、黒羽が嫌いなら力試しみたいなことなんかしないで素直に殺しに来ていただろうし、そこがつながらないんだ。何か事情があって、なのだとしたら、それくらいは知っておきたい。そう思うの。腑に落ちないから」

「生きていれば話せたのに、ですか」

「まあ、ね」

「いい親戚かどうかわからないから、とりあえず弔っておきたい、ですか」

「それもある」

「他に何か?」

「その方が後腐れがないと思うの」

「どう違うんでしょう?」

「カイは気づいていたんだと思うの。その上で私の奇跡を優先して、ギネイスがスローンに向かったっていうのをディアナに伝えたんだ」

「ああ、あなたが気にかけてるのは本人云々ではなくて、彼のことなんですね」シピは納得した。「彼に生殺与奪の権利があったのですか」

「捕まった時に行き先を聞き出してきたの。生かして会わせたかったら黙っていたはずでしょう」

 シピは何も言わずに頷いた。

「それに、死んだギネイスを見た時、すごく取り返しのつかないような顔をしてたの。黙ってても表情は素直な人だから」クローディアは続けた。

「あなたが弔わなければ、彼の中に禍根が残るから」とシピ。

「そう」

「直接聞かないのですか」

「べつに問い詰めたいわけじゃないから」

「誤解かもしれません。例えば、あなたとの約束を早く果たしてしまいたい一心だった、とか」

「私との関係をさっさと片付けてしまいたい、か」

「そういう不安もゼロではないはずです」

「それだけだったなら、あんな顔はできない。気持ちはわかるけど、たぶん、間違いなくそうなのよ」

 なぜだろう、シピには本心を話すことができた。シピはギネイスの一件に何の利害関係も持っていないから、だろうか。あるいは、もともとアークエンジェルが嫌いな相手に何を言ったところで株が下がることはないと思っているからかもしれなかった。

 少し眠気を感じた。

「私も決してあなたたちを仲違いさせたいわけではありません」シピは横になった。腕が疲れたのだろう。


 もうすぐ戻ってきます、という話だったのに、ディアナが来るまでそれから30分ほど待たされた。もしかしたらシピは警戒してご主人さまに会わせまいとしたのかもしれない。まあ、それにしては当人は10分くらいですっかり眠ってしまって、明るくしておくのもかわいそうな感じがしたので明かりを消しておいた。

 ディアナはそっと扉を引いて部屋の中に踏み入れ、そこで「ヒッ」と息を吸った。最大限シピに配慮した反応だった。

「ちょっと、あなた黒いから見えないのよ」

「翼は畳んでる」とはいえ黒いチュニックを着ているのは実際だった。

「レゼから飛んできたの?」

 クローディアは頷いた。

「GC(迎撃管制)も怠慢ね、まったく」

「レーダーの死角を縫ってきたの」

「あなたの奇跡、マイクロ波も見えるの?」

「嘘」

 沈黙。あまり面白いジョークではなかったようだ。

「それで?」ディアナは手招きして廊下に呼び出した。空調が唸るような音がかすかに充満していた。

「ギネイスの体をどこへやったのか聞きに来たの」クローディアは聞いた。

「それだけ?」

「まずそれを聞かないと焼くのかどうかわからない」

「今はルナールにある」ディアナの受け答えは、隠すのも面倒くさい、といった感じだった。

「わざわざ魔術院に運んだのね」

「貴重な検体だもの」

「バラバラにしちゃったりドロドロにしちゃったりしたわけではないんでしょうね」

「ないない。貴重な検体だもの。焼くのは明後日。明日ここの最後の引っ越しが終わる。そのあと。あなたも来る?」

 クローディアは頷いた。



 2日後、ギネイスの体は妙にテカテカしたプラスチックの箱に収められていた。彼女はスローンで打ち合った時よりも二回りくらい小さく見えた。ミニチュアみたいだ。ラテックスの手袋をはめた納棺師が手と足の位置を直していた。

 反天使主義の中心地域にあってなお葬送の儀式は葬られる者の信教に従って行うことが認められていた。クローディアはサンバレノ式のやり方を知らなかったが、ディアナは心得ていた。文句はともかく、棺の閉め方や手順などもエトルキア式とは違うらしい。

「エンジェルたちに聞いたの。あの国のことだからアークエンジェルとなるとまた違うのかもしれないけどね。それは知らないわ」とディアナ。

 この日ばかりは彼女も黒い軍服だった。通常のダークグレーのものとはまた別に儀仗用に艶のある黒の制服が用意されているらしい。


 ベンチで待っている間、案の定カイは何も言わなかった。何か言うべきことを考えている感じではあったけど、結局言うべきではないという気持ちの方が勝っているようだった。クローディアもあえてほじくり返そうとはしなかった。

「私が灰を撒いてもいい?」そう訊いただけだ。伝わるべきことは十分伝わっただろう。

 カイは頷いた。「ディアナに話してみる」


 塔の火葬炉はあえて少しだけ灰を残すように設定されている。完全に跡形もなく燃やし切るのではなく、かといって骨の形を残すのでもなく、きめ細やかな灰だけが残る。儀式的なものだ。最後に灰を撒いて死者を空に還すのがエトルキア式だという。灰を箱や壺に入れたまま保管しておくのは推奨されない。ルフトやサンバレノでも同じではないのだろうか。

 灰を入れたばかりの壺を抱えてその温かさを感じながら上層甲板に上がった。塩湖みたいに乾燥した水色の空だった。雲はない。なんだかそういう色の球体の内側にいるみたいだった。

 視線を下げた時、甲板の端に天使が待っていたのを見つけた。

 ジリファだった。クローディアはスローンの戦闘の最中で視界の端に入れた程度、顔を覚えているというほどではなかったが、カイが「ジリファだ」と言ったのでそうなのだろう。クリーム色のショートカット、サンバレノの白いローブ、それにメガネをかけていた。本当にそこにいるように見えるけど、ホログラムのようなものだ。実体はない。

「そうか、あなたはギネイスを慕っていた」

 カイが申し訳なさそうに言うと、ジリファは頷いた。それからじっと壺を見つめた。

「もしまともな火葬でなかったら、たぶん気が済まなかっただろうと思うの。エトルキアを見直すべきなのか、それともあなたたちがいるおかげなのか……」

「なぜ、今日、ここだと?」

「待っていたの。炉の煙突から煙が上がればわかるし、焼くならルナールかインレだろうと思って」 

 カイは振り返ってクローディアの目を見た。

 そうか、ジリファの能力なら始終姿を隠したまま葬儀を見ることもできたはずだ。実際さっきまでの様子だって見ていたのかもしれない。今姿を現したことには意味がある。

 クローディアは壺の蓋をとった。ジリファは顔を近づけて覗き込んだ。それから両手を壺に当てた。

「温かい?」クローディアは訊いた。

「温かいの?」と訊き返すジリファ。やはり感じないようだ。

「ええ、温かい」

 ジリファは手をクローディアの手の甲に移した。触れられた感触はなかった。

「あなたのために彼女の命が奪われた事実を私は容認することはできない。かといってそれを拒絶するのは彼女の死の意味も拒絶してしまうことになる。あなたはもう紛れもなく彼女のものになった。大事に生きなさい」

 私が彼女のものになった?

 彼女(の血)が私のものになった、ではないのか? クローディアは訊き返しかけた。

 でもその前に納得した。ジリファは血筋のことを言っているのだ。血液そのものというより、もっと概念的なものだ。

 クローディアは壺の中の灰を手で掬った。ほとんど粉だ。そのまま外へ手を振り抜くと灰はすぐ風に乗って舞い上がっていった。しばらく風で手を冷やす。まだ長く触れていると火傷しそうなほどの温度だった。

 ジリファは灰が風に混じって見えなくなるまで行方を目で追っていた。

「ジリファ」クローディアは呼んだ。

「何?」

「ギネイスが私の……いや、私がギネイスの何だったのか教えてもらえない?」

 ジリファは目を伏せた。

「生憎それについては私も知らないの」

「でも、少なくとも、あなたの方が真相に近づける場所にいる」

「そうね」ジリファは俯いたまま左右の足に重心を移し替えて少し悩んだ。「そう、また話しましょう」


 

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