不合理な作戦

 ジリファは甲板の上を駆け回りながらヴィカの背後に照準を向けていた。ライフルはキアラが斬り殺した警務隊の死体から奪ったものだ。

 なぜ唯一翼が無事なこのジリファが飛ばないのか? 飛べばレフレクトで姿を消している意味がなくなるからだ。ヴィカは雷撃を使う。雷ならば照準しなくとも手近な導体に引き寄せられる。見えなくてもこちらを攻撃できる。透明のまま丸焦げだ。近接奇跡しか持たない天使にとって雷撃は天敵といえる。

 レフレクトをかけているのに走り回っているのはなぜか? 姿と銃を消せても、弾が飛んでいけば射線は相手にもわかるからだ。走って場所を変え、狙いをつけ、射撃、また走る。

 しかし相手もどこから飛んでくるかわからない弾を警戒している。ヴィカは空中で一撃離脱に徹して決してスピードを落とさないし、おまけに長杖を大盾に変化させて遮蔽を作っている。かつギネイスの力場を打ち消しながら右手に携杖を持って攻撃している。

 もう2人の魔術師は初手こそヴィカを援護して力押してギネイスの守りを割ろうとしたが、キアラに押し返されて甲板の端まで後退していた。できるだけ端を維持して撃たれる方向を限定しつつ、キアラに対して果敢に近接戦闘を挑んでいる。いずれも見えないジリファに対する対策だ。敵味方の位置が絶えず入れ替わっているので狙いがつけられない。キアラに当てる恐れがある。拳銃とナイフに持ち替えて加勢する? いや、かなり高度な体術の応酬になっている。下手に手を出すのはキアラの邪魔になる。レフレクトをかけたままではこちらがカルテルスの餌食になるかもしれない。

 それに、1対2だがペースはキアラが握っている。間合いが開いたあと先に仕掛けるのはキアラの方だ。魔術師の方は2人とも熱魔術を得意にしているようで、氷の壁でカルテルスを防ぎつつ発火で応戦、さらに甲板を凍らせてキアラの足を鈍らせている。キアラはカルテルスで氷を抉ってグリップを維持している。数分続けても浅い傷を負わせるだけで決め手に欠くのは主に足場のせいだろう。敵は今のところレゼから追いついた3人だけで塔内部からの増援はまだない。格納庫の大扉を含め甲板への出入り口が軒並み崩落しているせいで出てこられないのだ。


 ギネイスはシルルスの背中の上に立ってヴィカの攻撃から機体を守っている。彼女の場合、空中に配置したクネウスで雷撃を無効化しつつ、それを流星メテオリテで撃ち出して攻撃に転用できる。彼女の頭上には次々と新たな楔が出現していく。それでいてなお相手全員を力場に捉えて消費を強いている。全周から迫りつつあるディアナの触媒も例外ではない。しかも彼女はそれを易々と操っている。目はヴィカを追いつつ時折他の敵にも注意を向けているため忙しなく動いているが、足は止めたまま、術式の発動時に体のどこかが力むこともない。まして手など動かさない。キアラのカルテルスは指の形に依存しているし、レフレクトも発動する時に眉間に力を入れている自覚がある。全くノーモーションで奇跡を放つというのはやはり驚異的、上位の天使に匹敵する能力といっていい。そのパワーに釣り合わないギネイスの痩せこけた姿、やや背中が丸まったままの立ち姿がまた凄みを感じさせた。一見戦況は拮抗しているが、その実戦場を支配しているのはギネイスなのだ。

 ジリファは一度給油車の陰に入って息を整える。タンクのメーターは9割ほど回っている。あと2分といったところか。弾倉を交換し、外した方にバラの弾を詰め込む。


 しかしギネイスはなぜカイ・エバートを帰したのだろう? ジリファは昨晩から疑問だった。もし連れてくれば盾として使えただろうし、足手まといだからと縛り上げて置いてきたとしても軍警の対応をいくらか遅らせることはできただろう。場合によっては追手が届くより先に離陸して全く戦闘なしに逃げ切ることだってできたかもしれない。

 とすれば、彼女はあえて戦闘を望んだのだろうか。背景は各々にしても、レゼでは実力行使を制限される、という事情は軍警も天使側も変わらない。誰か叩きのめしたい相手がいるとすれば、オルメトで大勢の天使を殺したヴィカ、あるいはインレ監獄を作り上げたディアナか。

 いや、ギネイスがそんな復讐心に囚われて作戦の意味を損ねるとは思えない。もし囚われていたとしても、その2人が狙いなら覚醒のきっかけはカイ・エバートとの接触ではなく軍警がブンドに乗り込んできたタイミングだったはずだ。

 そもそも戦闘による勝利に意味を見出したわけではないのか?

 おそらく何か見方が間違っている。根本的に……。

 他に考えられるとすれば……そう、例えばカイ・エバートに対して答えた「因縁」という言葉が方便でなかったとしたら? 

 そもそもなぜ黒羽はギネイスの血を必要としているのだろう? カイ・エバートの説明からするに、それはキアラの血ではいけなかった。「ギネイスの方がいい」ではなく、「ギネイスでなければだめ」なのだ。天使の位階は関係ない。それは血液そのものの性質、血液型などの適合性の問題なのだ。適合性が高い、というのは血液の性質が似ているということ、つまり、血縁関係が近いということを意味するものではないのか……?

 本人が話してくれればいいだけなのだ。でも彼女はそれを拒んだ。

「ギネイス、あなたはクローディアのことを知っているのですか?」そう訊いたのは昨晩の寝袋の中だった。

「かもしれない。けれど確証もない。まだ顔も見ていないのだから」

「何か確かめたいのですか?」

「サンバレノに戻ったらゆっくり話しましょう。今は休まなければ」ギネイスはそう言って頭を撫でる。

 たぶんそれはとても個人的な問題で、私たちが知れば作戦遂行に問題を生じかねないと彼女は考えているのだ、とジリファは理解していた。


 ――頭上に影。

 塔の外壁から垂直にほぼ甲板に突き刺さるような鋭さで突っ込んできたそれ・・はほぼ真下にライフルの銃口を突き出し、至近距離まで引き付けてからシルルスの機首に向かってフルオートで射撃、そして本当にギリギリの高度で黒い翼を広げて最低限勢いを殺し、機体の真横に全身で着地した。

 黒羽――クローディアは抱えていたライフルの銃口を再びシルルスに向ける。

 ジリファも銃を構え直す。が、ジリファが撃つより先にギネイスの力場がクローディアを襲った。彼女は重力に押さえつけられ数倍の重さになったライフルを持ち上げることができない。すぐに見切りをつけ、背中から機首の下に潜り込む。銃を立てれば撃てると考えたようだ。

 ジリファはクローディアを狙ってバースト射撃を2回。クローディアは翼で体を跳ね上げて回避、射撃は諦める。最初の1斉射で目的はほぼ達しているのだ。が、ジリファはクローディアをさらにシルルスから遠ざけるために駆け寄る。距離があると流れ弾が怖くて安易に撃てない。

 クローディアもライフルを背中に回して拳銃を抜く。近接戦闘の構えだ。このまま牽制して押し出す。

 ――とそう思った矢先、両者の間にギネイスがすっと降りてきて両者の射線を遮った。

 ジリファは唖然として立ち止まった。それはこの戦闘でほとんど初めて彼女が動いた瞬間だった。

 ギネイスは頭上に楔を浮かべクローディアに向かって撃ち出す。クローディアはそれを避けて間合いを詰め、懐に入って蹴り上げる。

 ギネイスはそれを手で受け止めつつ真上から楔を撃ち下ろす。

 クローディアは体を捻ってローリングで楔を避ける。銃は使わない。献体となるべきギネイスを傷つけたくないからだ。

 ギネイスはすかさずクローディアの額に手を当ててメテオリテで弾き飛ばした。そう、今まで一切使わなかった手を動かしているのだ。


 クローディアは受け身をとって立ち上がり、「なぜ撃たないの?」と訊いた。

 ギネイスは答えない。ただ左前に構え、指先だけで手招きした。かかってこい。そういう意味だ。

 ギネイスは手を抜いているのか?

 ジリファは再び立ち尽くした。想定が及ばなかったわけではない。ただそれは一番考えたくない仮説だった。

 ギネイスこそが黒羽を捨てた当の本人なのかもしれない。あるいはそれは周囲が強いたことであり、彼女自身は黒羽を忌み嫌ってはいなかったのかもしれない。クローディアもまたそこに気づいて確かめようとしていたのだ。

 

 タンクが一杯になったのだろう。燃料供給が自動で止まり、一時的に負圧のかかったホースが僅かにのたうった。

「ジリファ!」とギネイス。

 ジリファは命令に突き動かされるままコクピットに飛び込んでイグニッションシーケンスのスイッチをパチパチと切り替えた。やはりレイアウトはシフナスとほとんど同じだ。

 クローディアが着地前に撃った弾が効いたのか、コーションランプがいくつか灯っていた。サブFCS、レーダーモードの一部、データリンクのフェイル。おそらく単純な飛行そのものには支障ない。外板の破孔も小さかった。

「ギネイス、燃料は入った。飛べます」

「損傷は?」

「問題ない」

「キアラも乗って。私が押さえる」

 キアラは大振りな斬り伏せで魔術師2人の足を止め、シルルスに向かってダッシュ。

 間髪入れず追い縋る魔術師の足元にギネイスが楔を撃ち込む。かつクローディアの格闘を受けながらヴィカの牽制も継続している。

 ギネイスはキアラがコクピットの後席に入るのを見て全方位に強力な力場を生み出した。甲板の上に積もっていた砂が円形の波をなし、クローディアもヴィカも弾き飛ばす。

「早く!」キアラがギネイスを呼んだ。コクピットの縁を叩いて手で煽る。


 ギネイスはメテオリテで自分自身を撃ち出し、空中で背面に一回転して後席の後ろに着地した。

 体が浮かび上がり、腰がシートから離れる。浮遊感というよりは足場が下がって落ちていく感覚に近い。ギネイスの力場がシルルスを浮上させているのだ。初めて自ら味わうギネイスの力場だった。体感の上下感覚と加速度が噛み合わない。自分の肉体をどうすればいいのか、という処理に否応なく頭のリソースを割かれる。

 力場のベクトルが機首方向に変わり、対気速度はあっという間に100km/hを超えた。アラームが鳴り、空気抵抗による破損を防ぐためにキャノピーが自動で閉まっていく。

 が、ギネイスはまだ機体の背中に乗ってブレードアンテナに掴まっていた。

「ギネイス!」

 キアラが叫んで手を伸ばそうとするのをギネイスは拒んだ。さらに力場を追加してキアラをシートに押し付ける。キアラは突然の重力で頭からコクピットの床に突っ込んで前後のシートの間にはまり込む。

 ジリファも外へ出ようとしていたが、体がシートに押さえつけられていて腕を持ち上げることさえできない。キャノピーが閉じ切った直後、ギネイスは機体から離れるとともに長大な力場を形成してシルルスを丸ごと撃ち出した。

 バックミラーの中でギネイスの姿が小さくなっていく。遠ざかっていく。

 ジェットエンジンによる加速とは桁違いのすさまじい力が体を背凭れに押し付ける。何の耐G装備も身につけていない。慣性を受けた血液が体の後方に偏ってブラックアウトに至るのは必然だった。

 そうか、彼女はただクローディアが生きていることを自分の目で確かめようとしただけではなかったんだ。彼女の中にはもっと深い後悔と自己犠牲の意志があった。そう気づいた時にはジリファは気を失っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る