おぞましいカタルシス

 天使3人に寝袋1つ。それでも人間の男モノなので入り込もうと思えば入り込めないこともなかった。むろん最初はジリファも外で眠ろうとしていた。ただ、寒さはともかく、風に飛ばされてくる砂が背中に当たるわ羽根の間まで入り込んでくるわで寝苦しいことこの上なかった。


 仮眠をとって再び歩き続ける。フォート・スローンの下に辿り着いたのは夜明け前だった。塔のシルエットが星明りと航空障害灯の明滅で縁取られていた。

「変な形」とキアラ。

 半分から上は軍事島の特徴である主塔をすっぽりと覆う太い構造物なのだが、広大な中層甲板は工業島のそれだった。いわゆるハイブリッドか。往々にして高速機は滑走距離が長い。そのために工業島をベースに改築したようだ。

 哨戒機だろうか。主翼の長い大型機がゆったりと着陸する。さすがにエトルキア北東方面の偵察・哨戒機能を担う重要拠点だ。夜中でも発着がある。


「ジリファはすぐ飛べる状態のシルルスを1機か2機押さえる。用意できたらレフレクトで連絡を」とギネイス。荷物を下ろして手短にブリーフィングを行う。

「2人だけであとから登ってこられますか」ジリファは訊いた。

 ギネイスは頷く。腰高に八面体のクネウスを浮かべ、その上に腰掛けた。

「おお」とキアラ。

「浮いてる」

 自前の翼があるせいか、浮遊系の奇跡を扱う天使は実はほとんどいない。浮遊に使える奇跡でもあえてそういう使い方をすることはほとんどない、と言った方がいいかもしれない。

「ジリファがシルルスを確保したらまずキアラを上に送る。周りの兵士はキアラが排除して。対空兵器は私が叩く。そのあと私も追いつく」


 ジリファは翼を広げて低空でスピードを溜めてから上昇にとりかかった。

 いくら天使でも地表から中層甲板まで3000m以上の高度差を一気に上り詰めるのは容易なことではない。水平飛行で得られる揚力を活かすためにスピードを維持、塔の周囲を螺旋軌道で登っていく。下層高度より上は塔の外側に居住区画が張り出しているので人目につかないようにレフレクトをかける。

 幸い純粋な工業島と同じように開放式の甲板が設けられていたので、着地してしばらく徒歩で階段を上った。翼を動かす筋肉がくたくただった。ギネイスのように移動に使える奇跡を持っていればよかったのだけど、あいにくレフレクトには物体の運動に作用する力はない。

 まだ夜中の3時台。起きている人間は少ない。明かりもほとんど灯っていない。ジリファはずんずん高度を上げ、最後は再び空中から回り込んで飛行場に上った。


 先ほど着陸した飛行機の点検だろうか、甲板中心部の格納庫のシャッターが薄く開かれ、そこから黄色い光が漏れ出していた。

 敵襲を警戒している様子はない。ジリファはそっとシャッターの下をくぐって格納庫の中に入り込んだ。

 中にはクジラみたいに大きな飛行機が鎮座していた。ちょうど鼻先に出たので余計に大きく見えた。機体のあちこちレーダーのフェアリングが張り出していてごつごつした感じだ。警戒管制機か。目当ての機種ではない。この飛行機ではマッハ1も超えられないだろう。的も大きすぎる。偵察機の区画はここではないようだ。

 ジリファは人目を避けて隔壁を抜ける扉をくぐった。格納庫をちょうど半周、北側が偵察機の区画だった。こちらでもやはり早朝番の整備士たちが動き回っていた。ざっと10人。一気に締め上げるのは不可能だし、気づかれずにいるだけでも気を使う。勝手に燃料を入れたり機体を滑走路に引き出したりするのは無理だ。

 逆に言えば、待っているだけでフライトの準備をしてもらえる、というのは確かだ。ただ、それを乗り逃げすればいいという簡単な話でもない。おそらく燃料満タンで出撃するソーティ(任務)はごく僅かだ。シルルスの足をもってしても中途半端な搭載燃料では大洋のど真ん中でエンストして海にドボンだろう。交代か何かで庫内が無人になるタイミングがあるかもしれない。ジリファは待ってみることにした。


 ふとエレベーターハッチが開き、シルルスを1機乗せたリフトがせり上がってくる。リフトが止まった反動で機体ががくんと揺れる、長い機首、四角いインテーク、肩翼配置の後退翼、大口径の排気口。堅実なデザインだ。シフナス戦闘機の設計をベースに、機体強度と運動性を犠牲にして速度と航続距離を獲得したのがこの機種だそうだ。

 一緒にリフトに乗っていたタグカーがその1機を格納庫の外まで引き出す。後を追うように整備員とパイロットが歩いていく。話によるとオーバーホール明けの機体をテストフライトに上げるようだ。どうりで他の機体に比べて塗装が綺麗だった。

 しめた、とジリファは思った。テストを終えた機体は引き続きソーティに入る。テストだけで済ませるより1回分点検の手間とコストを省けるからだ。それは間違いない。とすれば、あの機体は改めて格納庫に入ることなくエプロンで点検と給油を受けるだろう。給油車さえ押さえれば好きなだけ燃料を入れられるということだ。


 ジリファは地表にレフレクトを飛ばしてキアラとギネイスの前に姿を現した。ギネイスはキアラがリュックサックに詰めてきたカルパスの封を次々と千切って口に詰め込んでいた。

「お腹減ったんだって」とキアラ「あとでパンだけ食べるのつらくない?」

 ギネイスも何か言ったが口が塞がったままなので全然聞き取れない。タンパク質が取りたくなった、とか、そういうことだろう。いつ出番が来るかわからないから急いでいるのだ。ちょっと微笑ましい光景だ。

「今シルルスが1機離陸したの。あの航法灯、見える? テストフライト。たぶん20分くらいで戻ってくるから、そのタイミングで分捕る」ジリファは説明した。

「よしきた」とキアラ。

「エプロンが北向きだから塔の北側で待っていて」

「ラジャー」

 ギネイスも口をもぐもぐさせながら頷いてリュックサックを持ち上げる。


………………


 テストフライトの間の20分で急速に日の出が近づき、塔の上層にはすでに朝日が差していた。コントラストで石膏像のようになったシルルスは目算300km/h以上のスピードを維持したまま機首を上げて滑走路に飛び込んでいく。その様子は地表からもはっきり見ることができた。キアラは何度かジャンプしてウォーミングアップにかかる。

 間もなくジリファのレフレクトが再び現れると同時に「来て、格納庫の中で注意を引いて」と指示。

「ラジャー、パワーズ」キアラは答える。

 ギネイスが砂の上に片膝をつき、右腕を砲身に見立てて仰角50度ほどに構えた。腕の軸線に引力場がある。そこに飛び込めば上空に向かって撃ち出される。撃ち出すものは何も楔に限らない、というわけだ。

「飛んで」とギネイス。

 キアラは翼を広げて跳躍、力場に飛び込む。途端に足が持ち上がり体がぐるぐると回転し始める。力場の軸と体の重心が合っていないのだ。

 とりあえず手足を広げて回転を鈍らせ、翼で空気抵抗を調節して飛行姿勢を安定させる。まるで急降下のような速さで塔の外壁が流れていく。そういえば上昇するという感覚もない。いわば重力のベクトルを捻じ曲げているのだから、実際空に向かって落ちている・・・・・のだ。

 頭上にはすでに青く抜けた空がある。白い雲が浮かんでいる。上層に張り出した対空プラットフォームのあちこちで朝日が反射して黄色く輝く。

 中層甲板までのラスト10秒をカウント、力場を抜けて甲板の上に着地。駐機場にシルルスが見えた。場所は間違いない。滑走路を渡り、エプロンを駆け抜け、開いたシャッターの中に飛び込む。

 外にいた整備員たち数人はキアラに気づいたものの、ただぽかんとしているだけ。まるでどう対応すべきかわかっていない。

「天使か」

「おい、警務隊を呼べ」

 格納庫の中にいる人間たちも決してすぐには行動を起こさない。逃げ出すことも捕まえにかかってくることもない。身の危険を感じないのか? ナメてかかっているのか? それともあまりに唐突なせいで自分の認識と目の前の状況が噛み合っていないのだろうか。

 ともかく不思議な感触だ。むろんこちらとしては時間稼ぎができればそれでいい。

「インレから逃げ出したとかいう」

「ああ」

「あれじゃないのか」

 さすがにキアラに向かって直接訊いてくる人間はいない。警戒心が欠如しているわけではない。きちんと全員手を止めている。

 そう、ただ無関心なのだ。何か重篤な厄介事が舞い込んできたのは理解している。が、できるだけ関わり合いになりたくない。そんな心の表出に思えた。

 悪くない。彼らは無害だ。

 互いに見合って動かない。その間に朝日が中層の高度を超え、甲板の上を明るく染めていく。


 背後でエンジン音。こちらに気を取られていた整備員たちをジリファが静かにノックアウトして給油車を奪ったようだ。

 シャッターの近くにいた1人が音の原因を確かめようと開口部に近づく。キアラはさっと踏み込んで3本指の剃刀カルテルスをその整備員の前に翳した。

 整備員はのけ反って足を止める。

 キアラは垂直に立てていた刃を整備員の首の高さで横に寝かせた。言葉など必要ない。出ようとすれば斬る、命はない。そういう合図だ。

 整備員はのけ反ったまま後ずさりして近くの機体の前まで戻った。格納庫の中の整備員たちはキアラを等距離で囲むように立っていた。隙を見つけて組み伏せようとでもしているのか。

 キアラはカルテルスをそのまま前に振り出し、切っ先を1人1人に向けた。

「武器を持て人間ども。かかってこい。股から真っ二つにしてやる」

 もちろんそんな挑発に乗る整備員はいない。ようやく敵意を理解したのか、数人が後ずさりを始めた。

 そして間もなく、奥の通路に銃を持った警務隊が現れた。銃声と銃弾が格納庫のあちこちで跳ね返る

「おい、機体に当てるんじゃない」

「見境なしかよ!」

 整備員たちは悲鳴を上げながら頭を低くして一斉に逃げていく。

「聞け、人間。もう一度言う。天使に関心のない者は去れ」キアラは5本指の大判のカルテルスで射線を遮りながら声を張った。「残りは殺す」

 だが敵弾は止まない。

 なら、もうやってもいいはずだ。そうだろう?


 キアラはシルルスの機首にかけられたタラップを足掛かりに機体の背中に上り、垂直尾翼を蹴って通路に飛び込む。相手は5人。もう懐に入っていた。相手の足の間に踏み込んで2本指のカルテルスを振り上げる。電撃のような震えが手足の先端に向かって走る。そう、雪辱の感覚だ。

 カルテルスの刃は宣言通り相手の股から肩へ走り、破裂した心臓からそれこそ水風船を割ったように血液が迸った。まだ人間の意識に囚われたままの右手がサブマシンガンの引き金を引き続ける。

 左手も2本指の構え。マシンガンを上から切りつけ、刃を下から返しながら左手の1人をやはり下から斬り上げる。

 その間最初の1人の半分・・を正面の盾にしておいて、残った3人を両手で順に切りつけた。


 制圧までほぼ15秒。銃声は止む。被った血が顎と指先から滴っている。

 キアラは腹の底から大きく息をついた。気管が痺れるような空気の流量と速さ。おぞましいカタルシス。ここにいた5人が自分に対してどんな感情・意見を抱いていたかなど知る由もない。彼らはただ天使を籠絡する人間たちの代理人――生贄に他ならなかった。

 そうだ。こんなところで悦に浸っている場合ではない。キアラは緩んだ口元を拭った。

「いけない、いけない、ジリファが無防備になってるじゃないか」

 キアラは格納庫の外へ戻りながら甲板が大きく振動していることに気づいた。何の揺れだ? そして外を見てびっくりした。一度は朝日に照らされたはずの世界が一面の砂塵で覆い尽くされていたのだ。

 ジリファは給油車の荷台に寄りかかって悠然としていた。悪い事態ではない、ということか。彼女が絞めた整備員たちは給油車のキャビンに押し込まれていた。

「なんなの、これ」キアラは訊いた。

「もうすぐ降ってくる」ジリファは片手をちょっと持ち上げて真上を指差した。

「降るって、何が」

隕石メテオリテ


 舞っていたはずの砂がまるで水に流されたように一斉に落下して甲板の上で「ざざッ」とものすごい音を立てた。キアラは顔を上げる。再び晴れ渡った空におかしなものが浮かんでいるのが見えた。岩、あるいは、土の塊だろうか。

「……地下から引っこ抜いたのか」

 ジリファは頷く。

「本質的に流星メテオリテクネウスは別の奇跡なの。クネウスはメテオリテに扱いやすい精度と規模を与えるためのアタッチメントのようなものに過ぎない。ただ単に破壊力を求めるなら、メテオリテの本領はこういう使い方」

「ドでかいクネウスじゃダメなわけ?」

「たぶんあんなに大きいのは彼女でも無理」

「ふうん」

 空中の岩塊は自由落下を上回る加速度をもって降ってくる。衝撃波で周囲の雲を弾き飛ばし、細かな破片を撒き散らしながら塔の上層や甲板のあちこちに次々と衝突していく。無作為に見えて塊の芯の部分は対空プラットフォームや甲板を支える桁やアーチを的確に射貫いていた。

 岩塊と塔の破片がまぜこぜになって甲板に降り注ぐ。が、エプロンに置かれたシルルスの周りには全く無傷な円形の空間が出現していた。

 その中心にはギネイスがいた。力場を使って破片を弾いているのか。見えない何かにぶつかった破片が軌道を変える。見えない? いや、衝突の一瞬その一点が黒く点滅する。落下してくる物体を弾くなんて生半可な力ではない。そのせいで光まで一緒に曲がっているのだ、と気づいた。

 依然ギネイスはふらっと立って頭上になんとなく手を翳しているだけだ。まるで何の造作とも思っていないような……。

 キアラは思い知った。これがドミニオンの力であり、この国――あるいは「塔」に対して彼女が抱いていた屈辱の重さなのだ、と。

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