肩身

「全員揃った」ヴィカがホールの中の頭数を数えて言った。

 ディアナは腕時計を見て、それからわざと音を立てて椅子を引いた。

「定刻前ですが全員揃ったのでミーティングを始めます。起立」

 集まった全員が三々五々一度立ち上がる。総勢20人あまり。現場に残っている人員を加味すると実数の半分から6割程度だろう。軍人は軍服、院士は私服の上にお揃いの黒いジャケットを着ている。

「礼」ディアナは全員が黙って姿勢を整えるのを待って号令をかけた。

 全員が軽く頭を下げ、着席する。ディアナは立ったまま残った。

「他でもない。集まってもらったのは副官が到着したからだ」ヴィカは座ったまま前置きした。

「私事により遅れて申し訳ありません。本題に入る前に、まず、謝罪を。件の脱獄を許したのは我々警務隊の責任です。本件の対象となる天使3名は逃しましたが、これに呼応して同様に脱獄を試みたエンジェル5名はレジオンにより全て捕獲、独房に戻すことができました。協定に則った迅速な展開にこの場を借りて感謝を表します」

「前置きだな、お姫様」ヴィカが小声で茶化す。

「誰が姫よ」ディアナは言い返しながら席に座る。

「では報告から」

 ヴィカが訊くと数人が手を挙げた。ヴィカは一番早かった1人を「そこ」と指名する。

 女だ。ディアナも面識がある。警務隊(=軍警)の人間だ。

「首都周辺近距離路線の監視、フライトプランの精査を進めています。昼前に個別に報告した通り、今朝アンカー・ロジスティクス社のチャーター便がレゼからフェスタルに飛んでいます。アンカー586便、0822レゼ発、0858フェスタル着、届け出通りの運行でした。ブンドが天使の移送を図る際は専らこの輸送会社を利用する、との情報に基づいてフェスタルにて臨検、積荷の全数検査を行いました。が、不審なものは見当たりませんでした。なお積荷の届け出は酒類の空瓶、実際でした。フライトプランの提出・受理は昨日16時台であり、脱獄後のタイミングに当たります。ですが、同社のプラン提出は平均して前日15時頃であり、また連日2便程度はチャーター機を運行しており、いずれも際立った数字ではありません」

「実際、対象が乗っていたのに捕捉できなかったのか、それともただのブラフなのか、どちらだと思う? いや、もちろんどちらでもない、ということもあるだろうが」

「……ブラフだと思います。カードとしては弱すぎる気もしますが、どうも不自然です。ブンドが脱獄のことを知らないはずがない。もし無関係ならむしろそのタイミングでのプラン申請を止めさせてもいいはず」

「逆に平静すぎる、か」

「はい」

「他のハブ空港の監視も行っているか?」とヴィカ。

「はい。周辺15の島で旅客機・貨物機問わずレゼ発便の客室・荷室の開放には空港保安部隊を立ち会わせています。他の空路のプラン、トラフィックも確認していますが、異常ありません」

「今の報告について何か意見は」

 1人が挙手する。軍服に軍警の腕章なし、ガルドの隊員、ヴィカの部下だ。

「その便、アンカー586についてはレゼ空港で僕のユニットも監視していました。ブンドのシンパ2名がアンカー社の職員に接触していたのを確認しています。ただ物品の受け渡しはありませんでした」

「可視光による監視か」

「パイロットが機体に乗り込むところを超指向性サーモセンサーで撮影しています」

「うん」ヴィカは頷いた。「他に。次の報告でも構わない」

 順番を考えたのだろうか、ヴィカは院士を指名した。

「個人用のマルチセンサーカムは15台確保できました。後ろに置いてあります。この層の地下で試しに使ってみまして、天使こそ捉えませんでしたが、全く照明なし、赤外線・紫外線帯域カット状態でホームレス3名を認識しました」

「有用か」

「はい。対象が人間並みの体温を放熱しているなら20メートルほどの距離で確実に捉えられます。ゴーグルタイプで使用感も悪くありません」

「よし。運用はレジオンに任せる」

「あと、不可視の奇跡は帯域が限られているということだったのでXバンドの3次元マッピングレーダーを持ってきました」

「マッピングレーダー? 出力は」

「20キロワット」

「うん……、戦闘機のレーダーとは比べ物にならないが、目の前で浴びたら十分有害なレベルじゃないか。アンダーロア(最下層以下)に持ち込むには取り回しがなあ。空港の臨検に回すか」

「そう思ったんですが、空港で電波ものはだめだと言われ――」

「ああ、それはそうだ、確かに。アビオニクスが狂いかねない」ヴィカは苦笑いした。

「使おうが使わなかろうが、あるに越したことはないでしょう」

 魔術院というのは要するに先端科学・技術の牙城だ。レジオンはその中で戦闘能力に長けた院士を集めた実力組織だが、学者的な気質は共通している。軍人とはやはり少し違う。


 ヴィカは残りの報告を聞きながら名簿にマークをつけ、挙手が止んだところで机の上を滑らせてディアナに渡した。

 ヴィカは立ち上がってディアナに目配せする。ディアナは名簿を見て、彼女がチーム分けをやっていたのだと理解した。書き出せということだろう。マーカーを取ってホワイトボードに書きつけていく。

「話の流れで察しをつけている者もいると思うが、30人体制でアンダーロアの強制捜査を行う。作戦開始は40分後、10個ユニット各3名に分け、主塔エレベーターを使って同時にB70階まで降下する。なるたけ大掛かりな展開をやるなという市からのお達しだからね、公共交通を使うことにする。到着後は担当の区割りに従って最下層を目指してもらいたい。あくまで捜査だ。戦闘は売られた場合に限る。売らせるのも厳禁だ。むろん対象を見つけた場合は例外だ。連絡と包囲を重視するが、のんびりしていれば姿をくらます。――いや、言い直そう、対象を見つけた場合、第一に連絡を行え。包囲ののち確保が目標。ただし気づかれた場合は逃げられるくらいならその場で仕留めて構わない。相手は3体ともアークエンジェルだが、戦闘に特化しているのは3分の1だ。各個渡り合える程度の実力はあるメンツだと信じている」

 ディアナは場の空気が殺気立ってくるのを感じた。

「アンダーロアの作戦になる。各自マスクの手入れはよくしておくように。改めてになるが、市当局との取り決めにより小銃ライフル及び長杖ロッドの携帯は行わない。各々拳銃ハンドガン、あるいは携杖ハンドワンドを携帯してほしい。また、戦闘服及びそれに類するものの着用も認められていない。全員今の服装のまま、防弾装備は中に着用できる範囲で頼む」

 ヴィカはそこまで言ってトーンを落とした。

「……不便なものだ。いや、不便なだけならいい。場合によっては危険を冒すことになる。外地の作戦ならただの非合理だが、ここはレゼだ。人が多い。市としては先の追撃戦で十分すぎるほど混乱を味わったと認識している。これ以上平穏な生活を乱すくらいなら天使の2,3人くらい放っておけと、そういう考え方だよ。行政だけじゃない。同じ考えの住民も多いはずだ。我々はあくまで見られている。甲板の上ではそれを忘れるな。この作戦を狩りのように捉えている者もいるだろうが、見境のない野蛮な言動は許されない。いいな?」

 ヴィカは一瞬だけ反応を待って「いいな?」と繰り返した。「はい」と返事が湧き上がる。

「では各員、支度にかかれ」


………………


 レゼの主塔エレベーターは複雑だった。いや、1基1基はただのエレベーターだ。ただ、甲板の上下の重なりが微妙にずれているせいで竪坑の位置によって降りられる階層がバラバラだった。第22層の場合、甲板の根本に10基あまりドアが並んでいるうち、端と端を比べると共通の停止階は12、22、23、34、45、つまり22層を除けば全周甲板の中上層、中層、中下層、最下層だけだった。何も考えずに乗ると目的の層を通り過ぎてしまうことがある、ということだ。


「とは言っても生活機能はアクセスのいい全周甲板に集中している。あえて他の甲板に、というのは親戚や友人の多い住民に限った行動だよ。基本的にはどのエレベーターに乗っても不便はない」とメルダース。

 カイとメルダースは2人で45層に向かおうと甲板の内側に向かって歩いていた。メルダースの言う「ブンドの知り合い」に会うためだ。

 エレベーター前の広場に着いたところでカイは階数表示がレゼ独特の45層構成に合わせてあることに気づいた。新しく層ができる度にプログラムを書き換えてきたのだろうか。いや、そもそも新しく層ができる度に行政の区割りを組み替えてきたのだから、もっと大掛かりなことをしてきたんだ。プログラムくらい大した問題ではない。

 新しい甲板の竣工というのはこの島の人々にとってお祭りのようなイベントだったんじゃないだろうか。というかそうやってオメデタイ印象付けをやっておかないと、周辺の甲板への日当たりの影響や地価の変動などネガティブな側面だけがクローズアップされてしまうはずだ。どうしてこんな姿になったのか、つくづく不思議な島だ。


 待っていると上からケージが下りてきて扉が開いた。先客が3人、うち2人は軍服。メルダースは何も言わずに乗り込む。他の住人もあと2人乗ってきて15人乗りほどの空間が半分埋まった。

 45層のボタンはすでに押されている。あとの住人――中年女性2人組は23層のボタンを押した。

 エレベーターに軍人が乗っているというのはこの島では普通のことなのだろうか。何しろ初めてなので全くわからない。いずれにしてもメルダースが全く無関心なので同じようにしておくのがいいのだろう。カイは努めて澄まし、ドアとドアの境目に目を固定しておくことにした。

 おしゃべりしていた女性2人は次の中層で降り、そこからまた3人が乗ってきて中下層で降りた。ドアが開く度に与圧の調整が入り、ぽかんと鼓膜が動くのを感じた。カイは耳抜きをする。

 中下層からは軍人たちと5人きりで、誰も何も言わず、ほとんど身動きすらしない。まるでケージの中の空気がアクリル樹脂に置き換わってしまったみたいに窮屈だった。ただ階数表示と下向きの矢印だけが四角いインジケーターの中で光っていた。


 最下層、軍人が初めて動いた。ドア開ボタンを押して先に出るように促す。カイとメルダースは甲板に降り立った。

 だがそこでドアが閉じる。軍人たちは降りてこなかった。

 メルダースは振り返って階数表示を見上げた。表示は45で止まったまま、矢印は下向きに流れている。

「下に行ったな」メルダースは呟いた。

「下?」

「アンダーロア。赤い腕章をしていた。軍警と、もう1人は魔術院のレジオンだった。共同で捜査チームを組んだらしい。ブンドのガサ入れをやるつもりだろう。しかも正面から入らないということは不意打ちだ。嫌なタイミングに居合わせてしまったものだ。カイ、よく黙っていたね。いい判断だ。場合によっては我々も関係を疑われることになる。それは我々にもブンドにも、さらに言えば彼ら軍警にもメリットがない」

 メルダースは待ち合わせの喫茶店に向かって歩き始めた。

「なぜエレベーターなんか使うんです? ヘリでもなんでも、もっと人目につかない移動方法があるはずなのに」

「禁じられているんだよ。おそらく行動や武装を市によって制限されている。国内だからね。服装もそうかもしれない。人目を避けるなら平服を着たいはずだ」

「市?」

「確かにこの国は軍事独裁だよ。しかし独裁国家だからといって自浄機能を欠如しているわけではない。軍の実権は王府によって与えられるものであり、その構造はそっくり縮小して都市レベルにも写されている。いわゆる『市長』というのは軍人が務めることはないし、ほとんどの場合王族の血縁が当てられる」

「王族と軍隊なんて簡単に癒着しそうですが」

「人民は武装している」

「?」

「民衆の不満というのはすなわち実力だよ。我々は杖を持っている。杖は武器であると同時に生活用品であり、何者もこれを取り上げることはできない。魔術という国家の拠り所を自ら破壊することになる。エトルキアにおいて一個人は決して矮小なるものではない。市民に実力による弾劾の権利を握られた市長は大勢の顔色を窺うのが得意な人間でなければ務まらない」


 メルダースは空港前のカフェに入ってエスプレッソを頼んだ。店内はとてもナチュラルに「天使同伴可」席が線引きされていて、メルダースは迷わず普通のテーブル席に座った。今この時に少しでもブンドとの関係性を匂わせるわけにはいかないのだ、とカイは理解した。

 テーブルの横には腰高の窓があって、表通りの様子を見渡すことができた。全域がほぼ倉庫で占められる最下層でも、エレベーターとターミナルを結ぶ目抜き通りにはささやかな商店街が成立している。造りは広々としているが、どこか殺伐とした雰囲気はタールベルグを思わせないでもなかった。

「通りの向かいに看板のないビルが見えるね。あれがブンドの事務所だよ。あの下に天使たちのスラムがアリの巣のように広がっている」とメルダース。

 古びたビル、何の変哲もない建物だ。ポスターやビラどころか表札すら掛かっていない。

 メルダースは時計を見た。

「さて、間もなく約束の時刻だ。やはり何かのっぴきならない状況のようだね。いささかお気楽な男だけど、ルーズな性格ではないんだ」

 カイはさっきの軍人たちがこの甲板の下で何をしているのか想像した。メルダースの意見に則るなら、手荒な真似はしないはずだ。

 ……しない、だろうか。断言できないんじゃないか。

「軍は民衆の顔色を窺う為政者によって行動を制限されている」カイは呟いた。「市民や民衆などと呼ばれた人々の中に天使は含まれているんだろうか」

「いない。含まれていない。ただ、含まれるべきだと考える人間たちは含まれている。ゆえにブンドのような共同体が存続していられる」メルダースはブンドのビルをじっと見つめながら答えた。

 


 

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