カリオン・ウィッチ

 ジェットバイクという乗り物がある。とはいえ塔の上で生きる人間の乗り物なので車輪はなく、代わりに小型のジェットエンジンを収めたポッドが胴体後部の左右に取り付けられている。三胴構造になるわけでバイクというよりトライクだ。エンジンの両側には小さな翼がついているけど、操縦は専ら体重移動で行うらしい。

 ある意味極限まで小型化した戦闘機であり、場合によってはジェットテールを跨がれるようにしたもの、という解釈もできる。乗り物としてはあまりに簡便だし、パイロット――ライダーと言った方がいいだろうか――も剥き出しだし、エンジンが止まった時の滑空性能も悪いので、島を渡る移動に使うのはかなりの命知らずだそうだ。あとでカイが色々解説してくれたことをまとめるとそんな具合だった。


 つまるところ南の空から飛んできた黒い機影はジェットバイクだった。中層甲板の上で速度を落として機首を上げ、いわばウィリーの状態でほぼホバリング、スキッドを甲板につけて着地。持ち上がっていた機首が前に倒れ、前脚のサスペンションが盛大に沈み込んだ。

 ステップに立ち上がっていたライダーはハンドルで腕立て伏せをするみたいに前のめりになって衝撃を逃した。ハイになっていたエンジン音が消え、掃除機のような吸気音を残して無音になった。

 ライダーはそれこそバイカーらしいジェットヘルメットにサングラスをかけ、黒いレザーのロングジャケットに刺さりそうな爪先のブーツを履いていた。

 ライダーは人々の注目を浴びながら片足を甲板に下ろしてヘルメットを外す。襟の後ろに手をやってジャケットの内側に仕舞い込んでいた髪を引き出す。長い黒髪が扇のように広がり、太陽の光できらきら輝いた。

 もうその時点で察しがついていないではなかったけど、サングラスを外したところで彼女・・がラウラだということがはっきりした。一度よけた前髪が再び顔にかかり右目を隠した。いかにもライダー風だと思ったけど、ヘルメットとサングラスがなくなってみると長いジャケットと尖ったブーツは魔女にぴったりの恰好だった。

 ラウラはサングラスを持ったままクローディアを見つめていた。人々も何も言わずに彼女を見つめていた。どちらも待っている。まるで睨み合っているみたいだった。

 ラウラは島の他の住人たちとは距離を置いているようだ。それは最初に会いに行った時のカイの反応などから十分理解できた。

 クローディアは歩いていった。

「ふうん、まだこの島にいたんだね」ラウラは言った。

「あなたはどこに行ってたの? 魔術を使える人間がもう1人でもいればもっと楽だったかもしれないのに」

「そう思ったから急いで帰ってきたのさ。でもフーブロンで足止めを食っちゃってね。悪かったね」

「私に謝っても仕方ないでしょう?」

 振り返ると住人たちはまだじっとラウラを見ていた。アイゼンに向ける漠然とした視線とは違う。もっと刺々しくて冷たい視線だった。なぜ今頃戻ってきたのか、と彼らも思っているのだろう。

 それを見てクローディアはむしろ自分の負の感情が引いていくのを感じた。ラウラは仲間外れにされようとしているのだ。でも、どこかは知らないけど、出先からこの嵐の中を突っ切ってタールベルグを助けに戻ろうとしていたのは本当なのだろう。それは褒められていいことのはずだった。

「この島の人たちにはもともとあまり好かれていないからね」

「好かれてない? 縁が薄いだけじゃないの?」

「この島の人間たちはある意味至極現実的なのさ。別の国だとか別の世界だとか、そういった遠い場所を思う想像力が欠如しているよね。なぜだかは知らないけどね。まあ、そんなことを考えられるくらいならこんな島に居残っちゃいないってことかな」ラウラはそう言って片手を広げた。「それでもって島で一番呪術的な存在が私だろう。死人が出ると呼ばれるのさ。それに下で死人に一番近いところにいるのが姉さんだ。看取ったあとまでやらせるのは可哀想じゃないか」

「お葬式はラウラの担当なのね」

「まあね。わかったろう? 『ほら、しかばね食いのカラスが帰ってきたぞ』ってあの目は言っているのさ」ラウラは住人たちの方を顎で指してニヤニヤした。


「このジェットバイク、ラウラの?」カイが塔の方から息を切らせて走ってきた。お待ちかねのラウラが戻ってきたのだ。走りたい気持ちも理解できた。

「ああ」

「スパルタン・コメット! 残骸なら見たことあるけど、こんなに綺麗なのは初めてだ。こんなものが同じ島にあったなんて」

「家の下に隠してたのさ。甲板が、こう、パカッと開いて、カタパルトで飛び出すんだよ。秘密基地みたいだろう?」

「おお……」カイは子供みたいに感動しながら排気口や計器盤を覗き込んだ。

 ジェットバイクは全体が黒く、機首から胴体下部にかけてが燃料タンク、サドルの下からエンジンの間がトランクになっていた。持ち物を吸い込んだりしないようにだろうか、空気取り入れ口は機首の下にあって、胴体下を回り込んでエンジン前までダクトが伸びていた。エンジン横についた三角形の翼はスパンの真ん中でかくっと上に折れ曲がって逆ガル型になっていた。

 いずれにしても前部が細く後部が膨らんだ形はなんとなく箒を思わせないでもなかった。機械仕掛けの箒だ。魔女にはぴったりの乗り物だった。

「秘密基地を見に来るかい?」

「もちろん」とカイ。

 ……いや、魔術について聞きたかったんじゃないの?


 ラウラはバイクで、クローディアとカイはエレベーターで上層に上がった。外壁のエレベーターは問題なく稼働していた。眺望のいいガラス張りの竪坑はいささか汚れてはいたけどヒビも入っていなかった。中層以下と違って中層から上層に向かう外壁エレベーターはもともと塔に備え付けのものだ。フラム時代の人々も中層以上は人間の暮らせる環境になると予想していたのだろう。静粛性やインテリアは内壁エレベーターと同レベルで、カイがいつも使っているエレベーターとはほとんど真逆と言っていい乗り心地だった。

 ラウラのバイクはさほどエンジンが強くないようで、垂直上昇ではなく螺旋状にぐるぐると距離を稼ぎながら上昇していた。エレベーター組は甲板からケージに乗るまでのハンデがあったからラウラの方が上に見えていたけど、もし同時にスタートしていたらエレベーターの方が早く着いていたかもしれない。


 上層は塔備え付けの農業甲板が広がっているので都合外壁エレベーターも塔の内側に発着している。内部エレベーターとの距離も20mほどしかない。ドアが開くと一面ガラス張りの温室が目に飛び込んでくる。燦々と日が照っていた。外側の窓も無事のようだ。そこで気づいたけど、高空は風速が速い代わりに空気そのものは薄いのであまり重たい浮遊物は飛んでこないのだろう。下層や中層より外傷は受けにくいわけだ。外傷は・・・、だ。

 クローディアは違和感を覚えた。昨日ヴィカと来た時はリンゴの木が整然と並んでいたのに、今は違う。斜めっている幹が見えた。何本か根こそぎ倒れているのだ。そうか、制震装置がダウンした間に揺さぶられて倒れたのだろう。この高度だと根元からの距離は5㎞以上になるし、塔本体が細い分相応にしなりも大きくなる。相当酷い揺れだったに違いない。

「大丈夫だよ。幹が折れたわけじゃない。あれくらいならクレーンで起こして元通りにできる。むしろ折れないように下の土を軟らかくしてあるんだ」カイが説明した。

「前にもこういうことがあったの?」

「ううん。実際に見るのは初めてだよ。農業プラントの解説ビデオがあるんだ」

「アーカイブ?」

「うん」

 階段を上っていく。野菜や穀物の階層は特に問題ないみたいだ。でも悪い予感がした。

 外界はまだ風が強い。制震装置がきちんと機能しているのだろう、その割に揺れはほとんどなかった。夜の間の揺れに比べればほとんど揺れていないのと同じくらいの揺れだった。カイは寒さにジャンパーの前をしっかりと閉めてポケットに手を差し込んで先を歩いていく。要は手摺を掴まなくても階段を上がれるくらいのレベルだった。


 塔からサルノコシカケ状に張り出した小さな甲板を辿って上っていく。ラウラは先に到着して開けた甲板の上で待っていた。周りには早くもカラスたちが集まってエサをねだっていた。ラウラはじっと手を開いて何にも持っていないことをアピールしていた。秘密基地というのは彼女の家がある甲板とは別の甲板にあるのだろうか。

 そう思ったけど、違った。

「全部飛ばされちゃったね」ラウラは言った。

 よく見ると甲板には家の基礎を支えるためのボルトが突き出していた。右手の端の方に見えるのはレーダーマストの足だろうか。そういえば甲板から見える景色もラウラの家から見たものと同じだった。昨日まではこの甲板に家とレーダーマストがあった。でも今はない。

 全部飛ばされちゃったね、というのは、つまり、全部飛ばされてしまったのだ。

 風のせいではないだろう。揺れによる遠心力に耐えかねたのだ。

「もしかして、制震装置が止まったりしたのかい?」ラウラは訊いた。

 クローディアは頷いた。慰めの言葉も浮かばないくらいだった。

「やれやれ。結構大事なものも入ってたんだけどね、全部パーになっちゃたね」

 ラウラは大きく溜息をついて腰を上げた。甲板のハッチを開ける。そこだけ甲板が四角く掘り込んであり、ジェットバイクを収める空間になっていた。壁面には部品や工具が並んで……いたのだろう。今はほとんど床に落ちていた。

「怪我人もいるだろう。使える薬もあったんだけどね。まあ、いつかはこんなことになるんじゃないかと思ってたんだ。仕方ないさ」

 ラウラはバイクの翼をぱたんと折り上げ、ハッチの一辺から折り畳み型の細いクレーンを起こしてアームを広げ、サドルの後ろにあるポイントにフックをかけてバイクを吊り上げた。動力は巻き上げだけ、旋回は手動、動かす度に全体がギクシャクするという代物だった。位置を合わせ、揺れを止め、角度を合わせてフックを下ろす。ずいぶん危なっかしい工程だけどバイクはしっかりとハッチの中に収まった。

「でも、ここじゃ生活はできない」

「うん。しばらくは姉さんのところで世話になるかね」

 ラウラはバイクのトランクからボストンバッグを引っ張り出して肩にかけた。温室を抜け、塔内部のエレベーターを呼んだ。アルルはまだ中層の診察室にいるはずだ。外壁を回っていくより手っ取り早い。

 ケージの中では誰も特に何も言わなかった。基本ダルそうなラウラは落ち込んでいるのかどうか読みにくいのだけど、落ち込んでいると思って差し支えないだろう。自分の家が吹っ飛んだら誰だって落ち込むに違いない。どこに行っていたのか聞きたい気持ちはあったけど、ラウラは話したがらないだろう。話すとしても本当のことを言うことはないような気がした。さっきバイクに食いついたカイの話に乗ったのはたぶん話を逸らしたかったからだ。訊いても無駄だろう。


 結局アルルは診察室にはいなかった。怪我人たちはみんな起き上がって思い思いに過ごしていた。完全にもぬけの殻になったベッドもあった。この分だと家に戻っているのだろう。内部エレベーターで78階まで下りてエアロックを出た。思った通りアルルは家の窓のシャッターを開けていた。

「姉さん」

「ラウラ、帰ってたの?」

「さっき着いたんだよ。上に行ってみたんだけど、家が丸ごと飛ばされちゃってたんだ。こっちは大丈夫?」

「待って、丸ごと?」

「そう。丸ごと。すごい揺れだったみたいだね」

 アルルはそれを聞いてぶるっと震えた。

「そうだね、こっちは見た感じ大丈夫そうだ」

「うん。中は何ともない。シャッターがひしゃげて開けづらくて」

 ラウラはシャッターのへこみを指で触り、胸のホルダーから小さな杖を出して自分の手首に当てた。

「潜かなる風の精よ、我が掌上に空なき場を与え給わん」

 ラウラがそう唱えるとシャッターに当てた指の中で光が歪み、へこんだ部分がボコっと外側に膨らんできた。杖を離して拳で少し叩いて形を整えるとほぼ元通りになった。

 やはり便利なものだ。そういえばこの姉妹が並んでいるのを見るのは初めてだった。顔立ちは似ているけどラウラの方が少し面長だろう。背丈は同じくらいで、体の線はラウラの方がいくらか細かった。でもそれは服装のせいかもしれない。ラウラは人間にしてはかなり薄着な方だった。


「姉さん、島の人たちはみんな無事だったのかい?」ラウラはシャッターを開けたところで訊いた。本題だ。

 アルルは首を振った。

「死者は」

「2人」

 アルルは名前は言わなかった。ラウラがそこに興味がないことはわかっているのだろう。

「葬式は」

「明日の朝」

「服を貸してもらえるかな。悪いけど持ってないんだ」

「いいわ、入って」アルルはラウラを家の中に招き入れた。

 


 

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