ジョーカー・バード

 タールベルグの中層から上層に伸びる外壁エレベーターはかなり近代的なものだ。ケージは与圧されていて立坑も外側がガラス張り、スピードも速く、揺れや加速度もかなりマイルドだった。

 そんなわけでいい乗り心地だと思っていたけど、上層に着いて扉が開いたところで面食らった。甲板の断面が見えたのだ。つまりケージの床より甲板の方が1mくらい高くなっていた。かと思えばすぐに沈み込んで今度は甲板の方が低くなった。

 そう、塔が揺れているせいだ。

 まるで船から岸壁に飛び移ろうとしているみたいだった。ケージ自体も上下に揺れていた。

 エレベーターの立坑は塔の外壁を支えにしているけど、躯体としては独立している。塔のしなりに合わせるために外壁との接触面が上下にスライドするようになっているのだ。ケージの方は甲板に合わせるようなプログラムが入っているようだけど、あんまり揺れているとついていけなくなってしまうのだろう。アルルが見たら気絶しそうだなと思った。


 クローディアは甲板の方が下になったところで甲板に飛び移った。かなり揺れているはずなのだけど、甲板の上で感じる分にはさほどでもなかった。上層の農業区画は密閉空間なのでなんとなく安心感もある。

 ガラスで囲われたエレベーターホールの外側には野菜栽培室がドーナツ型に広がっていた。種蒔きから収穫まで人の手は借りない。これも塔がもともと持っている機能だ。野菜の他に穀物、畜産、魚介養殖とそれぞれ階層が分かれている。


 階段を上り、二重扉を開けて外に出る。高度5000m超の空気はさすがに冷たい。

 塔の外壁に突き出した階段をさらに上る。

 足元遠くから「カン……カン……カン……」とハンマーで鉄板を打ちつけるような音が聞こえていた。踏板の間から下を見る。目を凝らすと煙突の下にワイヤーを垂らして宙吊りになっている黒い人影が見えた。下の甲板や上のキャットウォークに他の人影もいたけどジャンパーの色が違っていた。やっぱり宙吊りがボスだろう。さっさと休憩を切り上げて作業に戻ったらしい。

 小さな甲板をいくつか経由してラウラの家の前に出る。気象レーダーを取りつけた鉄骨の櫓が立っているのが目印だ。この甲板より先には階段は伸びていないし、上に甲板もない。

 端に立って下を覗き込んでみると中層甲板が霞むくらい遠くに見えた。ここまで飛んでこられないわけじゃないけどかなり疲れる高さだ。それに上空に行くほど大気が薄くなるから、同じ高度差でも高度の高い方が上昇がやりづらくなる。


 クローディアは一応玄関の呼び鈴を押した。返事はない。くぐもった音が中で響いているのがかすかに聞こえるだけだった。家の周りをぐるりと回る。どの窓も雨戸で閉ざされている。

 カイとクローディアがベイロンに行っている間にラウラは忽然と姿を消してしまった。ラウラは島で唯一魔術について知識のある人間だった。彼女は姉のアルルに託してカイに魔術用の杖を授けた。どういうわけでそんなことをしたのか、カイに魔術の才能があると思っているのか、そのあたりはクローディアとしても聞いておきたいところだったけど、今はお預けだった。


 ラウラの家は気圧対策で壁や窓が厚く造られている以外は普通の家と同じだった。屋根は赤く、屋根はレンガ調で、雨樋や日陰に慎ましいコケが生えていた。屋根にも生えているのはカラスのフンが栄養になるからだろうか。

 家主がいなくなってもカラスたちはラウラの家に集まっていた。20羽くらいだろう。レーダーマストや屋根の軒にとまってクローディアに期待たっぷりの視線を注いでいた。


 風の弱い場所を探して少し歩き回る。家の南側がいい具合だった。

 クローディアは中層の商店街で買ってきた雑穀のパフを袋から開けて甲板に撒いた。カラスたちはバタバタと飛んできてパフを食べ始めた。1粒ずつ摘むのではなく、顔を寝かせて嘴の横で一気に挟む。なかなか器用なものだ。

 カラスたちは日によっては中層まで下りてきて生ゴミを漁っている。そういう時は大きな獲物を見つけた1羽をみんなで追いかけて争っているけど、今はだいたいまんべんなく撒いたので分散して比較的平和に食事していた。

 

 小麦粉や野菜など基本的な食材は塔の自給システムが供給している。ただそれを加工したり調理したりするのはあくまで島民の役割だ。食材そのものは金にならないけど、料理には手間暇がかかる。その労力を売るわけだ。タールベルグの生活にもお金は必要だ。

 クローディアは決してカイからお小遣いを貰っているわけではない。ほとんどはアルルの伝手だけど、屋根の雨漏りや煙突の修理、島の人々から頼まれる仕事がいくらかあって、そのお駄賃があれば数日分の買い物には困らなかった。ハシゴもホイストもなしに高所作業のできる天使は塔の上ではとにかく重宝される存在なのだ。それがよくわかった。


 撒いたパフはものの3分で8割方消え去って、満足したカラスからマストや屋根の上に戻りつつあった。

 中でも1羽よく懐いたカラスがいて、その子は人の手に乗ってでもエサが欲しいようだった。フリフリ歩いてきて、クローディアがしゃがむとその膝にぴょんと飛び乗る。そのままだと爪が太腿に食い込むので、この時はツナギの袖を解いて膝まで被せておくことにしていた。

 カラスというのは結構大きな鳥だ。乗られればずっしりと重いし、両手で抱えられるかどうかというくらいの真っ黒い体はかなり迫力がある。

 カラスは嘴を開いてゴロゴロと喉を鳴らす。クローディアが1つずつパフを摘むと、嘴の開きを調節してきちんと指を避けてパフを食べる。黒い舌でもって口の中で少し転がしてから飲み込む。

 クローディアが額や首筋を撫でてやると、カラスは気持ちよさそうに目を瞑った。どれだけ長く撫でられていても構わないといった感じだ。その表情を見ていると撫でている方もどれだけ撫でていても構わないという気分になってくる。

 試しに背中を撫でるふりをして翼の下に親指を差し入れてみた。するとカラスは何かに気づいたように目を開けた。かといって嫌がるわけではなかった。ただ顔を上げてじっとどこか遠くを見つめていた。

 手首のところをそっと押し上げて翼を広げてやると、風切り羽根は綺麗に生え揃っていて独特の光沢があった。手触りは滑らかで、それでいてどこか角のある感じだ。自分の翼によく似ているとクローディアは思っていた。

 脇の下は綿毛が薄くなっていて根本の方が白っぽかった。カラスもただ真っ黒ではないのだ。もう少しよく見ようと思って指を差し込むとさすがにくすぐったかったのか嫌がった。翼をバタバタして指を噛もうとする。前に脚を触ろうとして嫌がられたことがあるけど、同じような反応だった。

「ごめんごめん、もうしないよ」クローディアは喉を撫でてカラスをなだめた。

 暴れたせいで綿毛が舞っていた。クローディアは風に流される前に綿毛を捕まえて目の前で回してみた。やっぱり軸の方が白っぽかった。

 ラウラもこうやってカラスたちと時間を潰していたんだろうな、とふと思った。

「ねえ、ところで君たちはラウラがどこへ行くか聞いたりしてないんだろうね」クローディアは訊いた。

 カラスはクローディアの顔色を窺うだけで特に何も答えなかった。

「カイの魔術がどうとか、君たちに話したりしなかった?」

 沈黙。

「まあ、いいや。私にも君たちの言葉はわからないからね。君が私の言ってることを理解まではしてないってことだけは理解できるけど」

 人には人の言語があり、カラスにはカラスの言語がある。それは声や言葉ではないかもしれない。クローディアは本物のカラスには名前をつけなかったけど、たぶんそれが理由だ。


 風向きが変わって風が入ってきた。クローディアはパフの袋をしっかりと閉めた。

「じきに嵐が来るよ。君たちもどこかへ隠れた方がいい」

 いくら風が強いといっても今日が初めてではないだろう。そういう時カラスたちはどこに身を潜めているのだろう。

 見回す限り構造物は塔と甲板とレーダーマスト、それにラウラの家しかない。まさかラウラの家に押し入るわけでもないだろう。どこかに塔の中に入れる通風口か何かあるのだろうか。中層まで下りて甲板の間に入り込むのだろうか。それとも頑なにマストと屋根から動こうとしないだろうか。必死に風に耐える姿を想像するのはちょっと面白かったけど、上空の風の強さを考えると現実的じゃなかった。


 西の方から飛行機のエンジン音が聞こえてきた。空そのものを震わせるような輸送機の音とは違う。ジェットエンジンじゃない。ベイロンのエアレースで聞いた音と似ていた。レシプロ機だ。

 ベレットが風に乗ってものすごいスピードで塔の南側を通り過ぎ、東側でターンして西に鼻先を向けた。今度は風に逆らっているので全然近づいてこない。まるで凧みたいだ。

 右主翼の半分と胴体後部に迷彩がなく、防サビ塗料だけの赤茶色だった。ネーブルハイムでキアラに切り落とされた部分をスペアパーツとありあわせの材料で修復したせいらしい。そう、ヴィカのベレットだ。

 嘘か本当かわからないけど、彼女はバカンスでタールベルグに滞留しているのだ。その移動手段がエトルキア空軍払い下げのベレットだった。プロペラは機首に1つ。胴体が長く主翼の幅が狭いのが特徴だった。


 ベレットは塔の周りを半径700mくらいとってぐるぐる回りながら高度を下げ、輸送機のいない滑走路を選んでひょいっと着陸した。横風のせいでかなり横滑りしながら降りたのでタイヤから白い煙が上がっていた。

 ラウラの甲板からならわざわざ端まで行かなくても中層甲板が見えるのだ。

 カイたち飛行少年のせいで飛行機にも慣れてしまったのか、カラスたちは全然気にしないで羽繕いをしたりレーダーの裏の配線をつついたりしていた。

 なついたカラスも撫でられながらちょっと目を開けて音のする方を見ただけだった。こういう時カラスという生き物は比較的不遜な反応を見せることが多い、とクローディアは思う。同じくらいの鳥なら猛禽でももう少し神経質だろう。

 

 7,8分経って誰かが階段を上がってきた。なんとなくそんな気がしたけど、案の定ヴィカだった。


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