コンカラー・プラン

 エアレース第4戦の舞台、リズキルヒェンはベイロンの衛星島ではない。距離も140km 離れており、行政的にも独立していた。ルフト連邦内の別の都市国家だ。しかし都市国家といっても工業島ゆえに人口は約1500。自治体組織は存在しているしルフト連邦の警察署などもあるものの実質的に全島の工場を所有する航空機メーカー・モラブチェクの1拠点だった。モラブチェクの経営者がフェアチャイルドと懇意にしていたので、ツアー化に際して工場の中で最もベイロンに近かったリズキルヒェンを開いてエアレースの会場として提供することを決めたのだ。

 つまりリズキルヒェンは廃墟ではない。エアレース当日は工場の稼働を停止して全島で観客を受け入れる。出店や土産物店もモラブチェクの利益になるし、中には飛行機を買っていく大物もいる。メーカー側もそれを見込んで機体に値札をつけて飛行場の一角にずらりと展示しておく。しかもモラブチェクは個人用のレジャー飛行機だけのメーカーではない。生産設備を持たない、あるいは持っていても小規模な設計局からライセンスを得て戦闘機から旅客機まで機種を問わず大量生産を肩代わりするルフト屈指の大手企業だった。

 モラブチェクの後援を得て開催する第4戦はベイロンの最終戦に次いで賞金額が高く、最短ラップタイムを更新したMVPパイロットにはプライベートジェットが贈られる。


 ギグリが飛び込み台のような司会演台に立ってそのあたりの口上をやり、1000人近く集まった観客の拍手を浴びながら開会を宣言した。間もなくアクロバットチームのアルサクルがスモークを引きながら滑走路の上空を飛び去り、その間に滑走路に並んだレース機が第3戦の順位に従って次々と離陸を始める。拍手など比にならないエンジンの爆音が声の余韻をにべもなく掻き消す。しかしギグリもまた飛行機の存在など感覚の外に置いたような堂々とした歩みで演台を下り主賓室に戻ってくる。着ているのはマグダが新しく仕立てたアールデコ調の白いロングドレスで、胸元から放射状に織り込まれたスパンコールがきらきらと光っていた。

 綺麗だ、とエヴァレットは思った。大勢に囲まれている時はギグリの美しさがよくわかる。おそらく彼女自身も人に見られるのが好きなのだろうし、フェアチャイルドもそれをわかって人前に出していたのだ。エヴァレットもまた警護役として彼らの関係を傍で見続けてきた。

 やや西風が強く、雲が波のうねりのように流れていた。レース日和とは言い難いが、天候への適応力も求めるのがグランプリツアーだ。レース機はペースメーカーについて1周コースを回り、ホームストレートでスピードを上げてチェッカーパイロンをくぐった。

 リズキルヒェンのコースは大半が広大な中層甲板の上にあり、エアパイロンを立ててかなり鋭いコーナーを連続させた造りになっていた。極めつけは旅客機用の巨大な格納庫を使ったトンネルで、幅はともかく高さがないのでレース機は翼を水平にして通らなければならない。しかし出口にまたカーブが迫っていて、少しでも翼を立てるのが遅れるとコースアウトして大幅なタイムロスに繋がるという代物だった。

 上下の動きは少なく、塔の上層とアンテナの間を背面で抜ける区間があるのだが、見どころと言えるような造りではなかった。団子になったレース機の順位をわかりやすく見せるためのギミックらしい。開放感のある会場とは裏腹に小回りの利く機体有利のコースだった。

 レースはシュナイダーが予言した通り始終ミア・グライヴィッツが主導権を握っていた。彼女はシュナイダーと同型の飛行機を使い、シュナイダーほど圧倒的ではないものの2位を引き離して1位でフィニッシュした。ギグリは小さく溜息をつき、シュナイダーは反応という反応も見せずに2位3位の行方を見つめていた。そこにはかつてのチームメイトだとかいったような贔屓ひいきの気配は微塵も感じられなかった。


 最後尾機の着陸を待って滑走路に表彰台を置き、上位3チーム6人にシュナイダーがメダルをかけ、ギグリが盾を渡した。ギグリに対してシュナイダーはあくまで華のないスーツだった。

 表彰式のあとは優勝パイロットによるエキシビジョンなのだが、客席の裏に入ったギグリとシュナイダーをミアが追いかけてきた。後ろにクイーンたちを引き連れていた。

「身内にメダルをやるというのも少し複雑だったが」シュナイダーが言った。「改めておめでとう」

「ありがとうございます。ようやく一番高い所に立てました」

「次戦も期待している」

 ミアは頷いてショートの前髪を整え、それから「さて」と言った感じでギグリに目を向けた。

「さんざんけなした相手が優勝して残念だったわね」

「貶す?」

「小娘だのチンチクリンだの」

「そんなこと言った憶えはないわ」ギグリはそう言って横目でシュナイダーを睨んだ。「私はクイーン・オブ・クイーンズとして優勝者を讃える。それだけよ」

「クイーン・オブ・クイーンズ、か。ギグリ、そうは言ってもあなたが見ているのは金持ちだけなんじゃない?」

「ふうん?」

「じきにエトルキアの資本で衛星島の生活水準は底上げされていく。レースを見て楽しむようになる。でも、考えてみなさいよ。お金のない人たちがギャンブルにハマりなんかしたら、すぐ自堕落になって生産性のない生活を始めるわよ。大勢の貧民から金を毟ったって、経済も回らないし、保護がかさむだけ。放っておけばそうなる。手を打つのはあなたの仕事でしょ、クイーン・オブ・クイーンズ」

「まるで自分には妙案があるみたいな言い方をするのね」

「そうね」ミアは赤いフライトスーツの前で腕を組んだ。「根本的に娯楽としてのあり方を変えるのよ。ギャンブルではなく、純然たるスポーツにする。観戦料を引き上げて、生で見ることそのものの価値を高めるの。賭けて楽しめないのだから、その欲求は自分でやって満たせばいい。各島に飛行クラブを設立してフライトシミュレーターやグライダーを普及させる。交通省や空軍省の補助も期待できるし、低開発塔の教育事業推進は文化省の方針とも合致する。飛行クラブは学校に併設できるでしょう?」

「ギャンブルをスポーツに。ふうん。あなたも意外と考えを持っているのね。意外だわ」

「意外って2度も言うな」

「でも、あなたの言うようにスポーツ化してきちんと産業化できるのかしら。たとえ税金でも回収の見込みがなければ納税者にシワ寄せを強いるだけ。いずれ市場は枯れていく」

 ミアは背後に控えていたリリスを振り返った。ミアのチームのヴィクトリークイーン、リリスはまだ10代ながらシュナイダーチームの専属となって何度もヴィクトリークイーン(優勝者に付き従って表彰式でレッドカーペットを歩く)を務め、過去クイーンコンテストの大賞経験を2度有する。容姿端麗かつ才気に溢れ、物腰も柔らかい。非の打ちどころのない少女だった。ミアと同じエリスヴィルの出身だからミアの考え方に惹かれるのは別におかしなことではない。

「確かにベイロン全体の収益が減るおそれはあると思います。でも長期的に見れば増えたファンの購買力を強化していくことになる。廃墟の住人は至って自給的な生活をしていますから、稼ぎへの希望を与えることができれば」

「エアレースが民衆化すれば、レースに格調を見出していた人々の一部は必ず手を引くわ。その減収を補うだけの需要を生み出すことができるのかしら」

「5年か6年かければ現状の収益を超えられると思います」

「減っていく方は5,6年かけてくれるわけではないわね。その間の穴埋め、償還にはどれくらいかかるかしら」

「それは……」

「いいわ。この短期間でそれだけ考えたのなら上出来。リリスは本当に頭がいいわね。ミア・グライヴィッツ、あなた、さっきの話は確かに自分で考えたんでしょうね?」

「は、何を言ってるのよ」

「別にいいのよ。レーサーは飛行機と同じように無駄なく研ぎ澄まされているのが美しいのだから、余計な能力なんて不要だわ」

「なっ」

「あら、褒めたのよ。ともかく、そういうことなら、どう、第5戦はあなたたちで回してみなさいよ。ちょうどいいわ。私は手出ししない。会場にも行かない。私がいないことは先に言ってもいいし、当日ぶっつけでも構わない。いずれにしても工夫して盛り上げてみなさい。明後日には今日の売り上げが出るでしょう。第3戦と4戦の平均を上回れば上出来だわ」

「ここ2戦は一部のスポンサーにも敬遠の動きがありました。あとは回復していくだけでじゃないですか」とリリス。

「それを加味して、よ。第一、初戦は本島だし、2戦はクローディアがいた。普段取引のない局まで映像を買いにきたのよ。比較にならないわ」

「ナメられてる」とミア。

「いいえ。私たちには身の程の条件かもしれません。でもギグリ様、いきなり他人に任せてしまって、大会がめちゃくちゃにされる不安はないのですか?」

「他人じゃないわ。あなたたちは身内だもの。クイーン連や大会事務局も補佐してくれるでしょう。選手たちのパフォーマンスを妨げるようなヘマはないと思ってるわ。それに、私なしであなたたちクイーンがどれだけ協力してやれるのか、少し見たくなったの」

 リリスは頷いた。納得したようだ。

「あとは客にアンケートをとりましょう。私とあなたと、どちらがクイーンにふさわしいか。もしあなたが私より票を集めたら、私の立場を譲ってもいい」

「そんな、いいえ、私は別にギグリ様の立場が欲しいわけではないのです」

「私だって欲しがってこの地位についたわけではないわ。いいじゃない、あなたのパイロット様が望んでいることなのだから、従ってあげれば」


 リズキルヒェンの優勝者はモラブチェクの社長からの賞品代わりにディナーへの招待を受ける。出欠は自由だが、ほとんどの場合チームからの圧力がかかって強制参加になる。航空業界の大御所に楯突くことになりかねないからだ。とはいえ食事というのは機体の軽量化のために自分の体重まで削るパイロットには死活問題で、モラブチェク側も気を遣ってあまり量は出さないのだが、それでも「第5戦は必ず優勝者が変わる」と言われるほど曰くつきのイベントだった。

 ベイロンほどではないもののリズキルヒェンにも格式の整ったレストランがあり、2人のパイロット、モラブチェク社長、シュナイダー、ギグリの5人で円テーブルを囲んだ。

 エヴァレットは別会場でマグダとサフォンと一緒に夕食をとっていたのでどんな様子だったのかは把握していなかったが、まあ、あまりいい空気にはならないだろうと踏んでいた。ミアの姉、モニカ・グライヴィッツはフェアチャイルドの命を狙ったし、彼女の右腕を潰してパイロット生命を奪ったのはギグリだ。ただでさえ犬猿の仲だった。実際にフェアチャイルドを殺したのはカイ・エバートだが、殺意による明らかな企図であるという点でギグリはどちらかといえばモニカの方をより恨んでいた。

 2時間ほどしてギグリは3人が待っている部屋へ下りてきた。耳が少し赤く、アルコールが入っているのがわかった。4人掛けのテーブルなので1席空いている。ギグリはエヴァレットの肩にちょっと手をかけてからそこに座った。

「お疲れ様です、ギグリ様」マグダが言った。サフォンも続けた。

 2人もメイド服ではない。ホールスタッフに間違えられるおそれがあるからだ。マグダは黒、サフォンは白黒、いずれもレースを多用したヴィクトリア調のロングドレスで、連作といっても差支えのない似通ったデザインだった。

「あら、料理は同じなのね」とギグリ。

 鴨のコンフィをメインにしたスープとデザート付きのコースだった。サフォンは食べ切れずに余らせていたムースをフォークと一緒にギグリの前に差し出した。

「いらないの?」

「ちょっと多くて」

「サフォン、エアレースを生で見るのは初めてだったわね。退屈じゃなかった?」

「はい。テレビで見るより大きくて、ぶーんって唸りが体の中まで響いてきて、すごい迫力でした」

「それならよかった。素質があるかもしれないわね」

「何の素質ですか」とマグダ。

 ギグリは貰ったムースを美味そうに食べながら会食の様子を語った。ギグリが食べるのはストレスが溜まっている時だ。エヴァレットはあまり口を挟まないようにした。

「あのチンチクリンはまたあの話をしていたわね。モラブチェクが興味津々で聞いていたのは誤算だったわ。自家用機を持てるレベルがこの先数年でどっと増えてくると予想しているのかしら。そう上手くはいかないと思うのだけど。

 ルフトはエトルキアほどの文化投資をしない。できない、といってもいい。ベイロンの文化施設にはエアレースの収益が必要だわ。その知的な豊かさがベイロンのステータスとなって消費を引きつけてきたと私は思うのだけど。それにレゼのような過密状態になればいくら金があってもQOL(生活水準)は天井にぶち当たってしまう。人口容量が少なく、それでいて人と金を集めることができる。今までのベイロンの在り方は理に適っていたのよ」

「結局のところ、廃墟群を再建できればいいんです」とマグダはシャンパングラスを回しながら言った。「ノイエ・ソレスのように、現代技術でも人工地殻を建設することができるなら、塔の再生も夢物語ではないでしょう。彼らは決してエアレースを求めてベイロンに渡るわけじゃないですよね。今はなまじっか移動の手段と気力だけを与えてしまったせいで無秩序に集まり出しているだけで、生活水準さえ整えば移動する意味は薄れる。エトルキアに民衆を扱わせるのはそれこそ愚の骨頂ですよ。それを支持している人間はなぜルフトが独立しようとしたのか、わかってないんです」

「ベイロンの予算規模ではないわね」

「まあ、そうでしょうけど」

「ミアのスポーツ論はそれに対する一つの答えなのよ。でもそれが個々人の消費活動に留まる限り金持ちのためのギャンブル以上の富は生み出さない」

「いずれにしても、問題なのはエアレースの収益がこの先不安定になっていくおそれがあるということです。シュナイダーもあれで根はスポーツマンですからね。文化・学術は案外チョンボをやりかねない」エヴァレットは確実なことを見極めて口に出した。「研究財政は危ないかもしれません」

「私もそう思うわね。何とか守れればいいのだけど」とギグリ。


 エアレースの財政が変わっていくのは止めようがないかもしれない。しかしベイロンの研究施設はフェアチャイルドの個人的な活動ともかなり深く絡んでいた。できるだけ活動は維持したいが、ベイロン政府には任せられない部分もある。これまで通りエアレースや娯楽による収入に依存するべきなのかどうかも含めて我々が考え、水面下で手を打たなければならない。

 とすれば我々の活動指針はこうなるだろう。

①サフォンを無事にアルピナまで帰らせる。

②ベイロンの研究施設の資金源を確保する。

 対応の難易度にはかなり差があるように思えるが、どちらにしても降って湧いた問題だ。これくらい解決できなければ先には進めないだろう、とエヴァレットは思った。


「ねえ、ギグリ様」サフォンが訊いた。

「なに?」

「ギグリ様はエアレースを愛しているわけではないのですね」

「なぜそう感じるのかしら」

「純粋に盛り上がっている人たちはそんなに難しい話をしていないと思うんです」

「そうね。確かにそうだわ。私だって時には純粋に楽しみたい。好きよ。華があるもの。でも、また別の側面を見ると、それは手段に過ぎないのよ」

「手段?」

「そう。世界の謎を知るための、とでも言っておこうかしら」

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