ブラック・マーダー
エレベーターで格納庫に降りて待っていると、黒いアネモスは全部で8機降りてきた。ヴィカによると普通の戦闘機中隊は12機編成なのだが、特殊部隊なので少数編成にしてあるという。
軍の組織の話を聞いているとなぜだかすごく眠くなった。エンジン音が爆音じゃなかったらきっとその場で気絶していただろう。
その8機に専用機材を積んだ高速輸送機が2機続いて降りてきた。
近くで黒いアネモスを見上げると、確かに一対の垂直尾翼の外側にリアルなカラスの横顔が描いてあって、それが青い円で囲われていた。他の中隊はこの部分の色が違うということなのだろう。
プロストレーターの時もそうだったけど、クローディアは黒いアネモスにちょっと親近感を覚えた。飛行機は黒がいい。べつに飛行機が好きなわけじゃないけど、黒い飛行機なら、まあ、悪くないかな。
「胴体の下を見てごらん」ヴィカが横に来てしゃがんだ。
クローディアも同じようにしゃがんだ。
「普通なら燃料タンクを吊るすところだけど、こいつらは違う。見かけは似てるけどね、あれは魔防壁ポッドなんだ」
「マボー……何?」
「魔防壁。エネルギーシールドと言った方が通りがいいか。あの外殻には出力魔素が練り込まれていて、内側には血中魔素とバッテリーが詰め込まれている」
「それでシールドを発生させられるの?」
「そう。グリフォンのビームを受けきるだけのハイパワーなシールドさ」
「でも魔術は適性のある人間を根源として発生させるものじゃないの?」
「確かに、血中魔素がジェネレーターになっている以上、本来は人間がいないと発動できないのが魔術だ」
「まさか、血中魔素って、あのポッドの中に人の血が入ってるの?」
「いや、いや、さすがにそんなエグい構造はしてないよ。だいたいそんな脆い構造をしていたら兵器として成り立たない。でも、まあ、原理的には間違ってない。人の血に見立てたとても流動性の低いジェルの中に血中魔素を閉じ込めて、人の詠唱を模した信号を送り込むことで発動させるんだ」
「詠唱を模した信号?」
「そう。血中魔素というのは、使用者の声紋を記憶して、詠唱を受けた時に電気信号を発して周囲の他の血中魔素と同調するのさ。声紋の学習は個別だが、信号そのものは誰の魔素を取ってきても共通なんだ。その信号を解析してFCS(火器管制装置)のソフトウェアに組み込んであるわけだ」
「誰かが近くで詠唱した時に誤作動したりしないの?」
「ははァ、鋭い。開発者もそれを考えただろうな。でも声紋は時間をかけて学習させなければならないし、発動の時はかなり近くで詠唱しないと反応しない。かなり近くっていうのは、ここ、声帯とその横の血管の距離だよ」
ヴィカは作業服の襟を開いて自分の喉を指で差した。
「ポッドに抱きついて生活してる人間でもいれば別だろうけど」
「そう、便利なものもあるのね」
「便利だけど、重い。すごい重い。あれだけで1トン以上あるんだ。だからブラック・マーダーのアネモスはその分積める燃料が少ない。他の戦闘機隊より行動半径が小さいんだよ」
「なるほど。デメリットもあるのね。それで、防御はわかったけど……」
「うん。もちろん武器も違う」ヴィカは言いながらアネモスの正面側に回った。「翼の下にミサイルを吊るしてるだろう。シーカー、つまり、頭の形が少し違うのがわかるか?」
「ガラス張り?」
「そう。カメラ画像でターゲットを認識して追いかけるようにできている。それだけならべつに特別というほどじゃないんだが、信管も違うんだよ。普通は近接といって、ターゲットの近くに来たところで作動して破片をまき散らすようになってるんだが、こいつは遅発だ。相手のシールドに突き刺さって、それを破ったところで爆発するように設定してある」
「シールドが破れるの?」
「そのためにロケットモーターにも少し細工してあって、最初の加速用と、刺さってからの突撃用に燃料が分けてあるんだ。普通は最初だけで使い切っちゃうんだけどね」
「頼りになりそう?」
「もちろん。オルメト事変では100頭以上のグリフォンを仕留めたらしい」
「8機で?」
「いや、空軍全体で、さ。語弊があったね」
「そう……」
「しかし、クローディア、前から思っていたけど、君は銃器に造詣が深いね。特に扱い方に関しては勘が鋭い、というか」ヴィカはあくびをしながら訊いた。「カイと出会う前は奇跡が使えたんだろ?」
「奇跡も万能じゃないから。きちんと対策して真っ向からかかってくる相手には銃の方がよかったりするの」
「意外性か」
「あとは、フラムが濃すぎると奇跡も通らないから」
「奇跡にも事情があるわけだ。そうか、それほどの天使を捕まえたんだ。盗掘隊の連中も隅に置けないな」
「あれは状況が悪かったのよ。建物の中で『ゆりかご』の中に入ってて、まさかそれで見つかると思わないし、すごく疲れてたの。ボロ雑巾みたいに」
「まあ、人生そういう時もあるさ」
ヴィカは笑いながら話を切り上げ、アネモスから降りてきたブラック・マーダーの中隊長に声をかけた。1機から2人降りてくる。コクピットの前後に座席が並んだ複座型なのだ。後席から降りてきた方が中隊長だった。
「準備が整うまでにどれくらいかかりそうですか」
「1時間あれば確実に」中隊長は酸素マスクのパイプをスーツから外しながら答えた。
「では1時間後にブリーフィングを。下の第一でやります」
「搭乗員だけなら30分で支度させますよ」
「では30分後で」
「了解」
ヴィカはそこでクローディアに向き直った。
「ということで私もまた少しだけ睡眠をとることにするよ。君も寝ておけ」
クローディアは頷いた。頷くしかなかった。もうかなり瞼が重かったからだ。
誰かのノックで目が覚めた。
クローディアは起き上がった。部屋の明かりは点けたままだった。そうだ、部屋に戻ってそのままベッドの上に倒れ込んだのだ。カイが無事だとわかって緊張が切れてしまっていた。
「誰?」
「モル。ドレスを持ってきたの」
クローディアはドアを開けた。
モルはぴかぴかに洗い上げられてシワひとつないドレスを持っていた。
「そんな、もう1着あるから焦らなくてもよかったのに」
「いいの。やりたくてやっただけだから。迷惑だった?」
「いいえ」クローディアはモルを部屋に招き入れ、ドレスを受け取ってハンガーにかけた。
「私、きっとこういう仕事の方が
「戦場は恐かった?」
「ううん。いや、恐かったけどね、ケジメはつけなきゃ――もしかして大事な睡眠時間?」
「いいよ。もうそろそろ起きなきゃいけない。いいタイミング。座って」クローディアはベッドに座って自分の隣をポンと叩いた。
モルはそこにそっと腰を下ろした。
「カイは生きてるって」クローディアは最初に伝えるべきことを伝えた。
「そう、安心したよね。今さっき部屋に電話がかかってきて、ヴィカが教えてくれたの」
クローディアは肩を竦めた。モルも知っていたから部屋を訪ねてきたんだ。
「でも、夜の戦闘、モルがいてくれてよかったよ。弾幕がキアラを足止めしてくれた。あれがなかったら私はもっと一方的に嬲られてたよ」
「ほんと? 全然狙いがついてなくて、あなたにも当たりそうだったのに」
クローディアは首を振った。
「機関銃は当てるものじゃない。『当たりそう』で足止めするものなの。あれでいいんだよ。だから大丈夫。もしその気があるなら、次の戦いにもついてきてよ。カイを助けなきゃ」
クローディアはモルの表情を注意深く窺った。そこには複雑な感情が表れていた。口では誘ったけど、少しでも嫌そうな気配を感じたら止めようと思っていた。ただ、彼女には彼女自身の死に対する恐怖はあまり感じられなかった。もしかしたら最後の家族を失った時点で死んだも同然だと思っていたのかもしれない。そんな気がした。
「クローディアは強いね。命懸けなのに、全然ビビってない」モルは言った。
「ううん。ただ、慣れているだけだよ。私だって恐い。キアラの方が強かった。殺されるかもって思った」
「そんなに……?」
「うん。スピードで負けてるんだ。それでじわじわ追い詰められて、こっちから攻撃しようとしても、追いつけない」
「タロノ・ペタロのスピードがあればいいのにね」
「そうね」
「……履いてみる?」
「え?」
「そうだよ。クローディアは生身で飛べるんだから、感覚だってすぐに掴めるよ。時間があるのかわからないけど、あるなら一緒に練習しようよ」
「でも、あれって300kgくらいあるんでしょ? 履いたら履いたで、今度は小回りが利かなくなっちゃいそうだし……」
「要らなくなったら脱げばいいんだよ。ポーンと。人間だったら死ぬけど、クローディアなら大丈夫でしょ」
「それもそうか……」
2人はなんとなく顔を見合わせて笑った。
「よっし」モルは膝を叩いて立ち上がった。
クローディアは時計を見た。ブリーフィングまであと10分になっていた。モルを連れて廊下に出た。
「ねえ、私たちって同い年くらいなのかな?」モルは訊いた。
「私、覚えてないんだ。自分でも数えてなかったし、誰も数えてくれなかったから。何回冬が来て、春が来て、そういうのって、だいたいでしか記憶してなくて」
「それって悲しいかも」
「覚えてる限り一番昔の冬から十何年か経ったのかなって、それくらい。モルはいくつなの?」
「私は14」
「じゃあ、同じくらいかもしれないね」
「同い年ってことにしておこうよ。どうせわからないんだし。……えっと、クローディアが嫌じゃなければ」
「いいよ、嫌じゃない」クローディアは自分の頬が笑っていることに気づいた。「ありがとう、モル。私、あなたといると自分が普通の子みたいに思えるの」
「いいよ、なりなよ。天使と人間が違う、みたいなことを昨日は言っちゃったけど、あれはナシ。撤回。私はあなたを特別扱いしないよ」
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