エヴァキュエーション

 「ドォン」という衝撃波がプロストレーターを揺さぶった。見上げるとキャノピーの向こうに小さな機影が見えた。エトルキアのシルルス偵察機が高高度を追い抜いていくところだった。マッハ3は出しているだろう。濃紺の天頂を背景に、ラムジェットの青白い炎が機体全長の2倍近くまで伸びていた。その炎がなかったらケシ粒ほどの機影を見つけることはできなかったはずだ。

「何?」クローディアが後ろから顔を出して訊いた。

「偵察機だよ。エトルキアもアイゼンの騒ぎに気づいたみたいだ」


「聞こえるか、カイ・エバート。ヴィカ、ヴィカ・ケンプフェルだ」

 ヘッドフォンからヴィカの声が聞こえた。緊急周波数で流しているのだ。おそらく飛行場管制のために置いている輸送機から発信しているのだろう。

「カイ・エバート。聞こえた」

「よし、196.88に合わせろ」ヴィカは周波数を指定した。

 カイは無線を設定したあとそのまま事情を説明した。アイゼンには天使とグリフォンがいて、クローディアを狙っていた。

「わかった。中層の飛行場に降りてこい。対策を練ろう」ヴィカは言った。

 よし、話が早い!


「ベイロンの時とは事情が違う。アイゼンはあくまでエトルキアの領空だ。そこにグリフォンを持ち込むというのは明確な敵対行為だからな」

 ヴィカは駐機場で2人を出迎えて説明した。れいの作業服姿だった。

「じゃあ協力してくれるんですか?」カイは訊いた。

「その天使とやらの排除が君たちの目的なら」

クローディアが頷いた。

「彼女の狙いは私。私がいれば釣り餌になる」

「待ち構えるわけだ。それならタールベルグに留まるのは具合が悪いね。守りにくいし、民間人を巻き込む。150キロほど北にネーブルハイムという要塞があるんだが、そこに移って迎え撃つのはどうだろうか」

「するとすぐに動くべきでしょうね」

「ああ、我々もできるだけ早く準備を整えるよ」

 カイは頭を抱えた。

「どうした?」

「いや、家に帰れたのも一晩だけか、と思って」

「別に残っててもいいんだぞ」

「いや、そういうわけにはいかない。俺は戦い方を教えてもらわなきゃならないんです。空中戦を」

「今度はそうきたか……」ヴィカは難しい顔をした。


 エトルキア空軍タールベルグ派遣隊はその一部を割いてネーブルハイムへ移動することを決めた。タールベルグにはアネモスを2機残しておいて、もしグリフォンがタールベルグに向かってきたらネーブルハイムまで誘導する、という手筈になった。移動組は1時間で支度を整えた。その間に居残り組の整備隊がプロストレーターを点検し、カイとクローディアは一度カイの家に戻った。アルルとモルにも行ってきますの挨拶をした。

 ところがモルの反応は困ったものだった。

「私も連れてってよ。だってそいつらは兄貴のカタキかもしれないんでしょう? 何ができるかわからないけど、するわよ」

 カイは実に困った。本当のカタキがヴィカだなんてことを打ち明けられるような剣幕ではなかった。

 しかもモルはほんの1分くらいで荷物をカバンに詰め込むと飛行場までついてきて、連れて行ってもらえるようヴィカ本人に談判したのだ。

 ヴィカも立場上これは断れなかった。また難しい顔をして頷いた。

「でも、ヴィカはグリフォンのことを知っていたんですね」カイは訊いた。

「それはもう。エトルキアは昔からあの類の魔獣に手を焼かされてきたんだよ」

 天使国家のサンバレノがエトルキアと不仲だというのは考えてみれば至極当然のことだった。

 カイは空を見上げた。

 アネモスが1機、見張りのために上空を旋回していた。先程のシルルスよりはずっと低い。塔の先端と同じくらいの高度だろう。角ばった質実なシルエットがよく見えた。滝つぼのような轟音が空に響き渡っていた。

「戦闘機があればさほどの脅威でもなさそうですけど」カイは言った。

「いや。ミサイルで狙えないんだ。あの羽毛はマイクロ波を吸収するようにできている。レーダー誘導ではロックできないし、赤外線で見えるほど体温も高くない。機銃で落とそうにも結構機敏だしな。島に降りてくれば立派な地上戦力になる。それに、だ。やつらは奇跡を使う。そうそう当たるものじゃないが、個体によっては上手いんだよ。レーダー管制の対空銃座くらいいい射撃をしてくるから下手に近づけない」

「撃ってくるんですか……」

「撃たれなかったか?」

「はい」

「そうか。ならまだ敵というよりは獲物という認識だったんだろう」

「手加減してたのか……」

 

 モルはヴィカのベレットの胴体後部に潜り込んだ。ベレット、プロストレーターの順で離陸し、10分ほど置いてアネモス2機が追い始めた。レシプロ機の巡航はせいぜい600km/h弱。ジェット戦闘機なら1000km/hはかたい。アネモスは雲を引きながら上空を追い抜いていき、半径10kmほどの大きな円を描きながら旋回を始めた。

 レシプロの2機はその旋回が2周した頃にネーブルハイムの上空に差しかかり、最後にもう一度抜かしていったアネモスの編隊に続いて下層の滑走路に着陸した。

 平和なフライトだった。キアラに見つかることもなければ、新たな伏兵に出会うこともなかった。空もよく晴れ、依然として細長い積雲がいくつか立ち上がっているだけだった。


 ネーブルハイムの容姿はアイゼンによく似ていた。設備や兵器を剥き出しにしたゴテゴテの甲板を縦に高く積み重ね、その上層、中層、下層からかんざしのように3本の滑走路を突き出していた。

 ただ火器の砲身などはよく手入れされて光っていた。その黒光りがアイゼンとは違うところだった。

 滑走路に駐機場はなく、丸々1層分をくり抜いただだっ広い格納庫が滑走路と誘導路に直接面していた。

 中にはエレベーターがあり、下の数階層に渡って格納庫区画が設けられているようだった。上の階層には続いていないのだろうか、とカイは思った。

 でもそうするとエレベーターの支柱が格納庫の空間に突き立ってしまって大型機の収容に支障をきたすのだろう。

 プロストレーターは小型機用のエレベーターで2階層下に運ばれた。階層の間は南極の氷みたいに分厚い隔壁で仕切られていた。耐爆構造になっているのだろう。

 暗くて黒い空間だった。まるでSF映画の悪役の本拠地みたいだ。

 カイとクローディアはエレベーターの上でプロストレーターから降りた。ベレットは上の階に残したままだったが、ヴィカとモルはエレベーターに同乗していた。

「ようこそネーブルハイムへ。一応基地なんでね。立ち入られると困るところもあるから私が引率するよ」ヴィカが挨拶した。「先生から離れちゃだめだぞ」

 誰も返事をしなかった。

 エレベーターのウィンチが地獄のような音を響かせているだけだった。

 ヴィカは黙って背中を向けた。

「あー! 尻がガチガチだわ」モルは改めて伸びをして腰を叩いた。

「その気持ちはよくわかるよ」カイは答えた。ベレットの胴体後部に潜り込んだことがあるのはカイとモルだけだった。

 隔壁を抜け、エレベーターが停止した。柵が下りたところで黄色いパトライトを回しながらタグカーが近寄ってきたが、プロストレーターの脚にはタグカーのアタッチメントに合う引っ掛かりがなかった。仕方なく4人がかりで主翼の前縁を押して空いているスポットまで押した。

 後ろ向きにするのは主翼にしろ尾翼にしろ後縁を押すと外板がひしゃげるおそれがあるからだ。前縁には骨が入っているが後縁はそうとも限らない。鳥の翼と同じだ。

 プロストレーターのタイヤにチョークを噛ませたあと、ヴィカは階段でもうひとつ下の階に下りた。居住階層なのだろう。民家並みの天井高だった。ヴィカは廊下を少し進み、ブリーフィングルームに入って明かりをつけた。

 ブリーフィングルームといっても表札にそう書いてあるだけで、入ってみれば中はただの会議室だった。

「さて、どうするかな。迎撃といっても正直この基地の戦力があれば十分なんだが」ヴィカはそう言って適当な机に腰掛けた。

「飛行機だけじゃあの天使は殺せないわ」とクローディア。

「何があれば仕留められる?」

「銃。この間みたいにアサルトライフルを貸してもらえれば私がやる」

「ヴィカ、俺にはベレットを貸してください」カイも頼んだ。

 ヴィカは腕を組んで溜息をついた。

「あのね、君たちはさすがに軍隊に舐めてかかってないか? この間は事情が事情だし、あれは特殊部隊だったから私も私の裁量でかなり無理ができたんだ。でもここは違う。銃弾の1発1発にだってきちんと管轄があるんだよ。それを私みたいな佐官程度のよそ者が使わしてもらうのって結構大変なんだぞ」

「でも必要なんです」

「そう」クローディアも頷いた。

 ヴィカはもう一度溜息をついた。

「いいよ。わかった。好きなだけ欲しいものを言いなよ。君はどうなんだ、モル」

「でも私、どうしたらいいか、急に言われても」

「それなら楽でいいや。……ん? でも、待てよ。そうか、何でもするっていうなら、ひとついいものがある」ヴィカはちょっとニヤニヤした。

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