弔い

 エトルキアとの交渉の末、領主代理エヴァレット・クリュストはその権限をハイドリヒ・シュナイダーに譲り渡した。

 ルフト政府はエトルキアの占領を非難したが、エトルキアがベイロン衛星島の難民支援を大々的にアピールし始めると一転して矛を収めた。彼らを救うのはルフトの役目だったのではないか、という国内からの政権批判を恐れたのだ。結果的にルフトはベイロン島からのエトルキア占領軍の撤退を条件にベイロン領におけるエトルキアの自由貿易を認め、ベイロンとエトルキア領を行き来する貨物機のために非武装空域の通行を認める、通称「アイゼン回廊」を設置することで合意した。

 講和からまだ1週間だが、ベイロン衛星島への物的支援は着々と増加していた。20年止まっていた時間がようやく動き出したと島の人々は喜んだ。

 

 もちろん反対の声はあったが、シュナイダーはフェアチャイルドの葬儀を公葬で行った。それが正統な為政者としての務めだろうし、ベイロン本島の住民たちにとってはフェアチャイルドはまだ英雄だった。難民たちにはシュナイダーが領主になったという事実だけで十分だった。

 遺体はすでに燃え尽きていたので出棺等の儀式はオミットされ、巨大な遺影と参列者による形だけの葬儀になった。唯一形見と言える杖はギグリに渡された。家族のないフェアチャイルドにとって最も家族に近い存在はギグリだった。この時彼女は差し色のない真っ白な着物姿だった。


 エアレース第3戦はどうにかこうにか日程の1日遅れで開催されたが、シュナイダーチームは棄権した。選手にメダルをかける立場になってしまったのだから仕方がない。だが他のチームはむしろ絶対王者が去ったことで闘志を燃やしていた。シュナイダーはその場でついでに政治についての演説もやり、いずれ領主の選挙を行うこと、参政権を衛星島まで広げることを宣言した。

 ギグリは依然表彰式に参加していたが、トロフィー授与の役目はその場でクローディアに譲った。

「あとはあなたに任せるわ」

 フェアチャイルドが死んだ以上、彼女がエアレースの場に姿を現す義理はない。でも隠れるように去るのは彼女の性分に合わなかったのだろう、というのがクローディアの分析だった。

「でも私、これからエトルキアに行かなくちゃならないの。このイベントを仕切れるのはもうあなたしかいないと思うわ」クローディアは答えた。

 会場はギグリのコールに沸いていた。エトルキアに占領されたくらいでベイロンの富裕層の遊興欲は衰えなかったし、彼らはフェアチャイルドの威光をギグリに求めていた。彼女はすでに10年以上エアレースという祭典のアイコンを務めていた。

「仕方ないわね。彼に訊いてみるわ」

 ギグリが視線を向けた先にはエヴァレットがいた。どうやらボディガードに扮して人目を避けていたが、レースジャックと間違われたのか熟女ギャンブラーたちに全身べたべたと触られてキスマークまみれになっていた。

 ギグリがぱちんと指を鳴らすと見えない光の鎚が熟女たちを弾き飛ばし、待っていましたとばかりに現れた本職のレースジャックたちがそれを受け止めてピットエリアの外まで連れ出していった。

 カイにもスポットライトが当たった。

「第2戦では鮮烈なデビューを果たしましたが、今回はシュナイダー陣営としての棄権ということで、残念ながらあなたのフライトは見られませんでしたね」アナウンサーがマイクを向けた。

「いいえ、前回は状況が状況でしたから。僕は本来まだ予選にも出たことがない身です。ですからいつかきちんと正式に勝ち抜いて、できればこの場に戻ってきたいですね」

「お待ちしています」


―――――


 カイは城にあるクローディアの部屋の隣の部屋で寝起きしていた。朝起きるとクローディアが肺珠を届けてくれるので、それをすりこぎでパウダー状になるまで細かくして鼻から吸うのが日課になっていた。

 あれから数日は高度が上がったり運動したりするとかなり肺が苦しかったのだが、だんだん良くなってきている感じはあった。炎症が収まったのに加えて肺珠も効いているのだと思いたい。

 クローディアは肺珠を作るためにわざわざ毎晩風呂に入る前にびゅーんとフラムスフィアまで下りて20~30分飛んでくれているのだ。人間でいうところのランニングみたいなものかもしれない。

 無事第3戦も見届けたのでこの日はタールベルグに帰る予定だった。いい天気だった。

 クローディアとともに身支度を整えて中央飛行場に下りると駐機場に黒ずくめの小型機が1機引き出されていた。

 プリマ・プロストレーターV-2。

 プリマ社によると、第2戦のクローディアによる宣伝、そしてフェアチャイルドの城に突っ込んだインパクトのおかげか、その日のうちからものすごい数の注文が舞い込んだという。

 このあと1年かけても工房の生産力で捌けるかわからないくらいだという話だったが、それでも君たち2人のおかげだから、ということで試作3号機を気前よく進呈してもらえる話になったのだった。

 プリマ社の本拠はベイロンから200kmほど離れた島にあったが、それだけのためにわざわざ販売チームをベイロンに送ってきてお好みのチューニングまでしてくれるというじゃないか。カイは転げ回りたいくらい嬉しかった。

 むろん会社としてもファウロス・エバートの息子と黒羽の天使とのコネを持ちたいという思惑はあったはずだ。それはわかっていたし、複雑な気持ちもあった。

 同じ機種といっても、プリマの飛行機は全てワン・オフ。新しい飛行機が手に入るからといって1機目の犠牲を忘れてしまいたくはなかった。カイは残骸の中から操縦桿のグリップを探し出して、新しい機体の操縦桿に取り付けてもらうように頼んだ。

「君はいいレーサーになれるよ」担当のメカニックはカイを褒めた。

 それが1つ目の注文。

 カイはもう1つだけ頼んだ。無理なく2人乗りできるように後部座席を作ってほしい、というのがそれだった。軽さを追い求めるレース機にあるまじき注文だ。これにはメカニックも驚いたが、ちょっと頭の中でプランを練っただけですぐに応えてくれた。

 外形は全く変えず、操縦席のすぐ後ろに座席を取り付け、その両側の外板をくり抜いてポリカーボ製の窓を嵌め込んだ。座席こそかなり簡易なものだが、改造による増加重量はわずか15kgという神業だった。しかも後部座席の出入りがしやすいようにと、キャノピーのスライド部分を少し工夫して以前より後ろまで大きく開くように変えてくれたのだ。プリマさまさまだった。

(この「飛行中に天使が乗り降りしやすい飛行機」という発想はのちに複座かつ垂直尾翼に衝突するおそれのない双尾翼スタイルのレジャー機誕生につながるのだが、それはまた別のお話。)


 増槽に燃料を入れている間にシュナイダーが見送りにやってきた。人を連れているな、と思ったがグライヴィッツだった。どうにか命は助かったと聞いていたが、もう出歩けるほど回復していたのだ。コートの右の肩が垂れ落ち、袖がぶらぶらしていた。首にはごついサポーターを巻いていたが、それでも常に首を左に傾けていた。肩の骨と筋肉がなくなってしまったので自力では頭を支えられないのだ。

 カイはプロストレーターの機体の下から出てグローブを外した。

「無事だったんですね」

「幸か不幸か。ぎりぎりのところで手を尽くしてもらって生かされたよ。まだ生きて苦しめということらしい」

「まだ痛いでしょう」

「痛みはいいよ。それより体のバランスがとりづらいんだ」グライヴィッツは体を左に傾けて右足を少し浮かせた。「カイ、君に謝らならなければいけない。申し訳なかった」

「なぜ、どうしてあなたが謝るんです?」

「私は君たちの計画を台無しにした。その結果君はフラムスフィアに突き落とされた。これは私への罰だよ。君への償いにはならない。

「結果的にフェアチャイルドは死にました。僕が殺したんです。それでも今シュナイダーは支持を集めている。あなたが貫いたように始めから殺害を決めていればもっと上手くいったかもしれない」

 グライヴィッツは顔に少し未練を浮かべた。

 彼女はおそらくフェアチャイルドの死に満足しているのだろう。だからこそこうして会いに来てくれたのであって、もし自分がフェアチャイルドを殺していなかったら、彼女との関係は全然違ったものになっていたかもしれない、とカイは思った。複雑な気分だった。

「それでも、結果が全てだ」グライヴィッツは言った。

 カイは頷いた。左手を差し出すとグライヴィッツも握手に応じた。


 シュナイダーとグライヴィッツ、それにプリマのチームの見送りを受けて離陸、ヴィカが操縦するベレットのエスコートでタールベルグに向かって飛んだ。

「ヴィカ、途中でフォート・アイゼンに降りてもいいですか?」

「構わないが?」

「僕らのはじまりの場所なんです」そうは答えたが本当はミルドの弔いのためだった。ヴィカに気を遣ったというか、改めて複雑な空気にするのも嫌だったのだ。

 アイゼンに着くと、ベレットは飛行場跡地に降りたが、カイは十分に減速して基盤層の迷宮に入り込んだ。脚を下げ、ナイブスが不時着した通路に着陸。

 エンジンを切ると冷たい風の吹き抜ける不気味な音だけが聞こえた。

 暗かった。

 いまにもまたベレットが襲いかかってくるんじゃないかという気がした。

 でもそれはない。それはもう知っている人なんだ。

「私たちここで出会ったのね」クローディアはキャノピーから顔を出して伸びをした。

「出会ったというか、出会い頭というか」

「いいのよ、もう、謝らなくて」

「なんで君がそれを言うんだよ」

「え、おかしい?」

 カイは懐中電灯を照らしてミルド機の墓場まで歩いた。

 燃え尽きた残骸が光を照り返した。残骸はそのままだったが、遺体の破片はきれいさっぱりなくなっていた。きっと仲間たちが片付けてくれたのだろう。

 カイは懐中電灯を足元に置いてしばらく立ち尽くした。

 幼馴染の記憶が頭の中を巡った。長いこと思い出していなかった記憶もたくさんあった。その中にはミルドの兄や、モルや、アルルの姿もあった。

 クローディアに出会ってからあまりにたくさんのことが怒涛のように押し寄せてきて、考えなければならないこともたくさんあって、だから今の今まできちんと思い出す時間を取ることができなかったんだ。

 親友だったのにな、ごめんよ。

 そう思うと急にとめどなく涙があふれてきた。

 考えてみればミルドが死んでから初めて泣いていた。

 クローディアに見られているのはわかっていたけど、押しとどめることができなかった。

「やっと悲しむことができたのね」

「ああ。でもどう受け止めればいいのかわからないんだ。まともに向き合おうとするとさ」

 クローディアはカイの正面に回って手を広げた。

「彼のために祈りなさい。私も天使の端くれだもの。神もきっと聞いてくれるわ」

「ハハ、嘘だ」カイは泣きつつ笑った。

「嘘でも慰めにはなるわ」クローディアはそう言って目を瞑った。「主よ、償いの主よ。罪の償いを果たさず死んでいく人々のために、あなたは慈しみによって死後の清めを定められました。また彼の咎と憂いを消し去り、苦しみをやわらげ、彼を救うために捧げる祈りを受け取ってくださるものと信じます。主よ、彼に永遠の安息を与え、彼を不滅の光で照らしてください。彼が安らかに憩いますように。アーメン」

 クローディアは目を開けた。

「続けて。アーメン」

「アーメン」カイは唱和した。

 それがどういう形式の祈りなのかは知らなかったが、言葉のひとつひとつはそこはかとなく感涙を誘った。

 カイは膝をつき、クローディアの腹部に縋ってひとしきり泣いた。クローディアもそれを受け入れていた。

 やがて涙は引き、目の熱さも引き、喉の震えも消えていった。心の中には何か温かい空白のようなものがあった。

 離れた。

 クローディアは妙に優しい顔をしていた。まるで人形みたいで、青い目が綺麗だった。

「今の文句は?」カイは訊いた。

「サンバレノ聖書。ギグリに聞いてから時々読んでるの。初めて役に立ったわ」


 プロストレーターの向きを入れ替えて通路から離陸、上空でヴィカを待つつもりだったが、飛行場が妙にカラフルなので慌てて飛行場に着陸し直した。仲間たちの飛行機が降りていたのだ。

 なんだ、他のやつらはみんな無事だったのか。

 そう思って出ていったが、なぜかみんな鼻血を垂らして滑走路に突っ伏していた。ヴィカだけが無傷で、翼の上から手を振った。

 つまり、こういうことだ。仲間たちはベレットを見つけて、ミルドの仇だ、相手が単機ならやれる、と勇んで殴り込みにかかったものの、ヴィカが強すぎて相手にならなかったのだ。

「カイ……気をつけろ……こいつは――」1人が白目をむいたまま忠告した。

「大丈夫だよ。俺はこの人と一緒に来たんだ。とにかく、元気そうでよかったよ」

「手当てしてやるか?」ヴィカが訊いた。

「いや。ほっといたって明日にはまたここでブンブン飛んでますよ。そういう連中だ」


 仲間を置いて離陸。フォート・アイゼンを過ぎればタールベルグはもうすぐそこだ。中層の飛行場にはまだエトルキア軍の管制用の輸送機が居座っていたが、そのほかはいつも通りのタールベルグだった。ちょうど昼休みらしく、工場の前の屋台におやじたちが並んでいた。

 中層飛行場に着陸し、カイとクローディアは真っ先にアルルの診療所に向かった。

 アルルはお客さんの腕に注射を刺しっぱなしで待合室まで飛び出してきて、まずカイに飛びつき、それからクローディアの頭をわしわしと撫でた。

「無事だったのね。よかった。ケガはない?」

「わりとボロボロだけど、大丈夫」クローディアは翼を広げて見せた。

「骨折は?」

「他の天使に奇跡で治してもらったの。でも、アルルには感謝してる」クローディアは翼の固定に使っていた金具を差し出した。

「島の人は何ともない?」カイは訊いた。

「ええ。軍が暴れてたのもあの日くらいのものだったから」

「ラウラにも顔を見せておこうと思うんだけど」

「ああ、彼女ね、今、ちょっと遠出しているみたい」

「何かあったの?」

「ううん。そうじゃないの。あの後一度うちへ来て一緒にあなたたちの心配をしてたくらいよ。でもその時ね、ちょっと野暮用でしばらく家を空けるから、もしあなたたちが戻ってきたらカイに渡して欲しいものがあるって……」

 アルルは奥へ入って診察室でついでにお客さんの注射を抜き、それから2階へ行って両手に乗るほどの細長い木箱を持って下りてきた。

 カイが箱を開けると中身は黒い木製の杖だった。初めて見るタイプだ。おそらくハンドメイドだろう。

「あなたはきっと火の魔術の素質があるからって」

 そう、それはきっと正しいのだろう。ヴィカの見立てと一致する。だがラウラはカイがフェアチャイルドを焼いたところを見たわけではないし、それどころかヴィカのように魔術のお試しをやったわけでもないのだ。

 ラウラには人の素質を見抜く力があるのだろうか。

 いや、それにしても彼女はいったいどこへ行ってしまったのだ?

 カイは天井の向こうにあるはずの最上層甲板を見上げた。


 


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