ハーレム・ボス

 手作りしてもらった衣装は驚くほど体にフィットした。主なパーツは3つで、極端に身頃が短く肩がパフ状に膨らんだ詰襟のジャケット、カップのついたコルセット、ヒダの1枚1枚が花びらのように尖ったボックスプリーツのショートスカート。コルセットとスカートはひとつながりに見えるようなデザインだった。靴はエナメルのショートブーツを与えられた。手足を除けばさほど露出もなくて、着心地は昨日の黒いドレスと変わらないし、意外と白の面積が広いのも好感触だった。

 最初にフェアチャイルドに見せるのが筋なのだろうけど、すでに朝食のあとだったのでとりあえず城の中を歩いてみることにした。中庭に出るとエヴァレットが日向でボディアーマーを磨いていた。

「どう、新しい衣装なんだけど」

「似合っているよ。怪我も治ったみたいだな」エヴァレットはそう答えてすぐ手元に目を戻した。

「まだ骨が弱いから飛べないの」クローディアは翼を広げた。日の光が当たって気持ちがよかったので芝生の上に寝そべってみた。

「ねえ、あなたは私が奇跡を使えるって知ってるでしょ?」

「ああ」

「ギグリは知らないの。フェアチャイルドはどうなのかしら。あなた言った?」

「言ってない。訊かれてないからな」

「いいの? 私が奇跡を使って彼が痛い目に遭ったら、あなたすごく怒られると思うけど」

 エヴァレットは何も言わなかった。「それもそうだな……」みたいな顔をしていた。

「でも、そう、フェアチャイルド的にはどっちでもいいのね。私がエンジェルだろうがアークエンジェルだろうが、そんなことはどうでも」

「それはサンバレノの位階だろう。ここはルフトだし、ボスが欲したのは君だ。君の身分がどうだろうと、苦手なことがあろうと、そんなことはどうでもいいんだ」

「あなたいいこと言うのね」

「いいこと?」エヴァレットは自覚がないようだった。

 クローディアは昨日彼が廊下の壁に頭をぶつけていたのを思い出した。でもその額はつるりとしていて傷ひとつなかった。

「ねえ、そういえばあなたの額ってすごく頑丈なのね」

「言ってくれるな。人に見られるとは思ってなかったんだ」

「あんな堂々とやっておいてそれはないでしょ。魔術にも治癒系のものがあるの?」

「ああ」

「あなたの触媒って?」

「この剣の鞘だ」エヴァレットはカイを殴った剣を少し自分の方へ引き寄せた。

 クローディアは笑った。傷を治すためにそんなどでかい鞘を額に当てている姿を想像するとすごく可笑しかった。

「いや、触媒が1つとは言ってないだろう」エヴァレットは腰のホルダーから文鎮みたいな金属製の小さな杖を取り出した。ド=ジュアン工房製プラスマ・ダルジェン、エトルキア制式携杖だ。

「そんなの、話の流れでわかるでしょう。ギグリの言った通り、あなたヌケサクなのね」

「君は君でズケズケと距離を詰めてくるタイプだな」

「ねえ、あなたは軍隊で魔術を学んだの?」

「いや、ルフトでは基礎科目ではないからな。私に魔術を教えたのはボスだ。彼は廃墟生まれの私を拾って育ててくれた」

「あれ、あの人スケベの上にペドフィリア(小児性愛)なの?」

「そういう言い方をするんじゃない。立派な魔術師だよ」

「それっていつ頃?」

「私が6つ、ルフトが独立して間もない頃だった」

「じゃああなたの方が先なのね。ギグリ様って呼ぶから彼女の方が早いのかと思ってた。ああ、彼女の方が歳上なの?」

「いや、それも違う。私はただの武人だが、彼女は違う」

 つまりフェアチャイルドにとって特別な存在という意味だ。

「それはわかる気がするわね」

「君もいつか彼女と同じくらいの地位に上り詰めるだろう」

「そしたらクローディア様って呼んでくれるの? 別に今でもいいけど」

「御免こうむる」

「ねえ、ギグリはどんなふうにここへやってきたの? 私みたいに捕まったの?」

「いや、自分でやってきたんだ。おそらくサンバレノからずっとひとっ飛びに来たんだろう。あの屋根にとまって、具合が悪かったのか、真っ逆さまにここへ落ちてきて、あと少しで地面と激突するという時にボスが浮遊の魔術で助けたんだ」

「それだけ? それだけであんなに慕っているの?」

「ボスは手厚かった。彼女に尽くした。あるいはそれで『落ちた』のかもしれない。確かにそれにしたって彼女には何者かに仕えることを事故の拠り所にする性格なのかもしれないが……、どうだろうかな。おわかりの通り、決して親しくされているわけではないのでね」

「ギグリは私に嫉妬しているのかしら」

「しているだろうな。嫉妬もしているだろうし、おそらく、君の境遇を理解し、憐れんでもいる。そういう状況でこの島へ来たんだ。彼女もまたサンバレノに馴染めない天使だったのだろう」

「……そうね、確かに、そうかもしれない」

「だが、嫉妬にしろ、憐憫にしろ、いずれにしても表に出すまいとしている」

「あれで?」

「私に対する態度を考えてみろ。あれがシラフだ」

「あなたはギグリが来た時嫉妬しなかったの?」

 エヴァレットは頷いた。

「どっちよ?」

「父親を奪われたような気分だった。だがそれが私にとっての親離れだったのだろうな」


 エヴァレットは急に立ち上がった。クローディアもそちらに目を向けたが、歩いてきたのはフェアチャイルドだった。赤いシャツと黒のベスト、スラックスだった。

「さあ、お呼びだ」エヴァレットはお辞儀をしながらクローディアに呼びかけた。

 クローディアはうつ伏せに戻って何度かゆっくり翼を動かした。いっぱい太陽を浴びた黒い羽根は鉄板みたいに熱くなっていた。

「新しい服ができたようだね」

「そう」

「立ち上がって正面を見せてくれないかな」

 クローディアは渋々翼を畳んで右手をフェアチャイルドに伸ばし、芝生の破片を払った。

「素晴らしい。触ってもいいかな」フェアチャイルドはそう言ってクローディアの襟を直し、肩を伸ばし、カップを引き上げ、スカートのウエストを水平に直した。容赦のない手つきだった。そして翼を撫で、二の腕に手を滑らせた。

 不快だ。

 絶対我慢してやろうと思っていたのに、いざ腕を掴まれるとこれでもかというほど鳥肌が立ってしまった。その波は肩から指先に走り、翼にまで伝わって、ぴったり閉じていた羽根が布団みたいに膨らんでいた。

 フェアチャイルドはその様子を見て微笑した。

 なんだか弱みを握られたようでクローディアは悔しかった。

「おいで、出かけようじゃないか」


 フェアチャイルドはサングラスをかけてエレベーターで最下層まで下り、広場を抜けた。周りを歩く人々はフェアチャイルドを見つけて指を差し、写真を撮り、婦女は投げキッスをした。とにかく人気者らしい。

 彼そのものが目立っているのか、それともクローディアが露わにした黒羽が人目を引いてついでに見つかっているのか、どちらかというと前者だろう。軽く手を挙げて応えるフェアチャイルドの態度はそうしたチヤホヤにとても慣れている感じだった。

 クローディアは人目を浴びるのが好きではなかったが、顔を伏せたりましてフェアチャイルドの後ろに隠れたりするのはみっともないし、またフェアチャイルドの微笑を食らってしまいそうな気がして嫌だったので我慢してまっすぐ歩いていた。

「君にはまだアイドルのセンスはないようだ」フェアチャイルドは歩きながら言った。「でも気負うことはない。ここの人間は君の黒い翼を不吉なものだとは思わない。そういう文化圏ではない。天使も人間もない。ただ美しいというそれだけの理由で君を愛でるだろう。だから恐がらずにみんなの前へ出ることだよ。大丈夫、ギグリも初めはぎこちなかった」

 フェアチャイルドは通りをひとつ渡って巨大なネコのシルエットの看板がかかったキャバレーに入った。真昼だというのに建物の中は真夜中のような酒の回り切った雰囲気が充満していて、その濃厚さといったらちょっと冷ませばカチコチの煮こごりが取り出せそうなくらいのものだった。箱に閉じ込められたようなくぐもったEDMのBGMが流れていて、グラスやビンのぶつかり合う音がひっきりなしに響いていた。

 受付の女はフェアチャイルドを迷わずVIP席に通した。そこは他の客席より一階層上にあり、10人以上並べそうな巨大な扇形のソファが1つだけ置かれていた。赤くて固くて尻に吸い付くような革だった。

 2人が席に着くと10秒も数えないうちにカーテンの向こうから酒瓶を持った女の子たちがわらわらと湧き出してきて周りを取り囲んだ。彼女たちは2人の間にも割って入り、手分けしてまるでタコみたいに全身に絡みついた。しかもフェアチャイルドだけではなくクローディアも同じ状態だった。膝をさすり、肩に手を置き、首に額を寄せてきた。フェアチャイルドに触れられた時のような悪寒こそ感じなかったが、くすぐったいというか、とにかく気持ちのいいものではなかった。

 彼女たちはほとんど下着みたいな薄くて小さなドレスを身につけ、化粧か香水の匂いを振り撒いていた。ティーンエイジャーから20代半ばまで、クローディアと同世代の女の子たちだったが、問答無用で酒を注ぎ、グラスを持たせて乾杯を交わした。

「素敵な翼ね」

「ねえどうして翼が黒いの?」

「染めたの?」

「すべすべの肌ね」

「どこから来たの?」

「ギグリ様のお友達なの?」

 女の子たちはクローディアの答えを待たずにどんどん質問を投げかけてきた。しかもそれは別に何か話さないといけないと思って考えたものではなくて、ごく自然に口から出てくる言葉のようだった。スキンシップも慣れているし、それもやっぱり厭々やっている感じはしなかった。

 演技が上手いな、とクローディアは思った。30分もするといくらかアルコールが回って雰囲気にも慣れてきた。

「ねえ、なんでこの仕事を選んだの?」クローディアは隣に座った女の子に訊いた。ちょうど同じくらいの歳で髪も黒髪のボブだった。

「選んだってようなものじゃないわ」女の子はウイスキーをがぶがぶ飲みながら答えた。「事務所があなたはここっていうからここで働いてるの」

「事務所ってレースクイーンの?」

「そぉよ」

「レースクイーンは選んだんでしょ?」

「だってね、私みたいな身寄りのない女の子が稼ぐとなったらそれくらいしか手がないでしょ。せっかく女で、見かけもそこそこ可愛いんだから、それがお金になるならいいでしょ。あーあ、私もあなたみたいな羽があったらもっとぱーっと人気になれるのにな。羨ましいなあ」

 彼女はそんなふうにしゃべりながらクローディアの翼に頬ずりした。

 本当だ。この島では黒羽は黒羽じゃないんだ。それはただ単に珍しい色に過ぎないんだ。

 フェアチャイルドはまとわりつく女の子たちの腰と尻を順番に触り、胸の谷間に札束を突っ込んで遊んでいた(それはそれで反吐が出そうな光景だった)が、あるところで一人の女の子に何か耳打ちすると、そのタイミングでみんな何の名残惜しさもなくカーテンの向こうへ戻っていった。

 あとにはくぐもったBGMだけが虚しく残された。

 なんだろう、体温のある嵐だったのだろうか。


「なぜ私を連れてきたの? ひとりで来ればよかったのに」クローディアは姿勢よく座り直して訊いた。

「まあ、そうだな」フェアチャイルドは煙草に火をつけながら答えた。

「理由があるんでしょ」

「君にもあんなふうにしてもらえれば私は嬉しいのでね、参考として」

「絶ッッ対いやよ」

「うん。今のは嘘だ。君は君なりで構わないよ。ただね、この場を見て君がどう感じるかと思ったんだ」

「この場?」

「そう」

「……すごくフシダラだと思うわね」

「だが彼女たちにもこれは必要なんだよ」

「お金がいるからでしょう?」

「生活のための支援を直接すればいい、か。倹約してその分スラムの整備に使えという輩はもちろんいる。だがそれは経済ではないね」

「どういうこと?」

「君はそうすることによってスラムの生活水準がこの島のものに匹敵するレベルに変わると想像しているかもしれない。でもどうだろう。もしこの島の富を再分配したとして、その元手で領内全域の全員に行き渡らせることができるのが追加のパンを各自にひとつだけだとしたら? しかも富の提供をする側の人々もその生活まで落ちなければならない。そんなことはありえないと思うだろう。だが本当なんだよ。実際計算するとそれに近い結果になる。この島はこの人口だからやっていけるんだ。究極的には支援というのはそういう、万人等しく貧しくといった意味合いを持っている。そんなことをしたって全員の上昇意欲を削ぐだけ、夢を奪ってしまうだけさ。

 むろん、だからといって何の手も打っていないわけではない。最低限貿易に必要な基盤設備はどの島にも公金で設置している。燃料の分配、発電と揚水、そして飛行場」

「それがあなたの言った経済ってことなのね」

「為政者の遊興と放蕩は確かに悪かもしれない。だがその使い道が民衆相手だとしたらどうだろうか? 私自身が民衆の消費者になるのは? むろん私が直接金を渡すのは女の子たちだけだ。だが彼女らはその金を住宅地区で使い、あるいは故郷の家族に送るだろう。ちなみに断っておくと私はこの店の常連ではないよ。実にひと月ぶりなんだ」

「禁欲……ってわけじゃないわよね。他の店にも通ってるってこと?」

「40から50は」

「ほぼ毎日ハシゴしてるじゃないの」

 クローディアは混乱していた。フェアチャイルドがとんでもないゲス人間なのは間違いないのだが、言っていることは正論に聞こえた。

 確かに、貧しいからこそ、不平等だからこそ夢を持つのかもしれない。さっきの女の子も、カイだってそうだった。

 フェアチャイルドのように初めから与えられた人間もいるだろう。しかし彼は浪費することによってその義務を果たしている。

 クローディアは席を立って控え室のカーテンをくぐり、さっきの女の子を探した。彼女はドレスを着替えているところだった。

「ねぇ、あなたはフェアチャイルドのこといい人だって思う?」

「急にどうしたの?」彼女はドレスの裾に腕を通した格好で動きを止めた。

「あなたの感覚を知りたいの」

「そうね……死ぬほどスケベだけど、まあ、いい人なんじゃない? あんなにお金くれる人他にいないから」

 そう、それがこの島の人々の感覚なのだろう。

 欲望に染まったあの男の目を誰も恐れてはいないのだ。

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