廃墟の島
(2話前〈フェイトフル・スパイラル〉の末尾の内容を少しこっちに移してまとめ直したので違和感があれば読み直してください)
――――
翌朝はヴィカの方が早起きしていた。
カイはリビングのソファで寝ていたが、彼女が自室から出てくる物音で目を覚ました。
狭いが綺麗な部屋だった。
「よく眠れたか、少年」
「ええ、はい」
「今日はエリスヴィルに早乗りしよう」
ベイロン・エアレース・グランプリ・ツアーの第2戦は50kmほど離れた隣の島、エリスヴィルで明日開催される。フェアチャイルドも観戦のために城を出て現地にやってくるのでヴィカたちにとっては命の狙い目だった。
ということで朝食のあとトラムに乗って最下層中央広場の飛行場に向かった。途中で一度頭上すれすれを小型機が通過していった。ちょうど滑走路の延長上にある道路なのだ。
ベイロンのレースに参加するチームなどは最下層中央広場を囲むように建てられたガレージにレース機を置くことができるわけだが、飛行場に入ると露天で駐機場に置かれている1機の飛行機のシルエットが見えてきた。まだ他に機影はない。その1機だけだ。
大柄な単発レシプロ機だ。
「ベレット。私が乗ってきた飛行機だよ」ヴィカは言った。
環状インテークの開いた機首。
忘れもしない。ミルドを墜落に追いやったエトルキア機だった。
「こいつは見たことがあります」
「まさか。見間違いじゃないか? まだ配備されていない、試作3機の中のうちの1機だよ。ありふれたエトルキア機だと怪しまれるからな」
「試作機でも性能評価の訓練には出すでしょう?」
「……どこで見たのかな?」ヴィカは何かを察した。
「フォート・アイゼンの廃墟。仲間の1人はこいつに追われている間に死にました。壁にぶつかってバラバラになってね。むごいものでしたよ。その時操縦していたのもあなたですか?」
「そうだ」ヴィカは大人しく答えた。「アイゼンでレース機の狩り出しをやったのは私だ。そのためのベレット(イタチ)だからな」
「そうですか」
「私は君の仇というわけか」
そう、仇だ。
むろんヴィカの撃ったミサイルがミルド機に当たったわけじゃない。だがこの飛行機が追ってこなければミルドがあんなところで墜落することなんてなかっただろう。
ミルドを殺したのはヴィカだ。
カイはそう思ったが気持ちを押さえつけた。
「いいえ。違いますよ。生きている人間は常に生きている者のことを考えていかなければならないんです」
「えらいな、君は」
「それを言われる筋合いはありませんよ」
カイはライトグレー1色に塗られたその戦闘機の周りを歩いてぐるりと観察した。
翼下のミサイルはなく、主翼前縁の砲口も塞がれていた。おそらく砲身だけ外して翼内の機関砲本体はそのままだろう。大きな空冷エンジンを積んだ胴体はレース機よりはるかに長く、その割に翼幅は小さく、その分やや前後に幅のある主翼だった。隘路に入っていくためのデザイン、確かにイタチのようなコンセプトだ。
その間にヴィカは給油車を走らせてきて主翼のタンクにガソリンを入れ、脚の下に入って油圧系の点検をしたあと、コクピットに上って電灯類を点けたり消したりしていた。
シュナイダーのガレージから2機のレース機が現れた。液冷エンジンの細く小さな機体、赤黒白のトライカラー。その後ろにサポート用の軽貨物機1機が続く。
「行くぞ、少年」とヴィカ。
カイは車止めを外してヴィカに渡し、ベレットの胴体側面についた無線機の点検ハッチを開いて背中を丸めて中に潜り込んだ。なにしろ単座機だし、シートの後ろに分厚い防弾鋼板があってコクピットからは乗り込めないのだ。レース機同様、本来複数人で乗るものではない。
前方は無線機とタンクが詰まっているのに対して後方はガランドウ、膝立ちできるくらい広い空間だったが、剛体の骨組みが剥き出しになっていて居心地は全然よくない。
「尾翼のロッドもワイヤーもない?」カイは気づいた。
「上と下に電線が這ってるだろ。それで尾翼の根本にあるサーボを動かすんだ。頼むから切らないでくれよ」
つまり最新のジェット戦闘機と同じような操舵方式なのだ。新鋭機なのだから当然と言えば当然だが。
カイがハッチを閉めると滑走が始まった。
シートで体を支えていないせいもあるのだろうけど、強烈な加速だった。機首のエンジンが立てるどろどろとしたサウンドはレース機の軽快な音とはまるで違っていた。
機体が重いのだろう。加速の割に滑走は長く、飛び立ってもなかなか高度を上げずに加速を続けていた。
カイには外は見えなかった。キャノピーを通して防弾鋼板と胴体内壁の隙間から差し込んだ光が傾いたり回ったりするので姿勢の変化が感じられるだけだった。当然シュナイダーの飛行機も見えなかった。
―――
エリスヴィルは典型的な住宅型の島だったが、ルフト独立戦争の時に爆撃を受けて塔のインフラ機能のほとんどを喪失してしまった。
というのも中層甲板と上層甲板の間で塔がへし折れて、折れた上部の根元が中層と下層甲板を突き破って最下層に横たわり、上部の先端近くは応力限界のためさらに破断してほとんど突き立ったまま落下、レイピアのように甲板を突き抜けながら地面に刺さって最下層甲板上にひょっこりと頭を出していた。
エリスヴィルの住民は揚水施設だけは現代技術をもってどうにか復元したものの、燃料や食料の供給は輸入に頼らざるを得なくなり、甲板上の産業だけで賄いきれない対価を稼ぐため、他の廃墟同様、採掘隊を組織してフラムスフィアの下に潜るようになった。
レースに参加するチームがサポート機を連れて行くのは整備用の機材や部品のためだが、それに加えて水と食料を持ち込む意味もあった。行く先々の廃墟でそれらを入手しようとすれば法外な値段を吹っ掛けられることになるからだ。
20分ほどの飛行でエリスヴィルに到着した。着陸のために高度を下げると防弾板の隙間から差す光が弱くなり、機体の外板を叩く雨粒の音が聞こえた。
弱い雨だった。
滑走路は水面のように暗い灰色の空を反射していた。雲は下層の少し上にかかり、その中に発電所の煙突についた障害灯の赤い光がぼんやりと見えた。まともな島なら甲板の端々にも煌々と障害灯を灯すのだが、廃墟島にはそんな電力の余裕はない。生命線になる設備だけは守ろうという極限の取捨選択が窺えた。
飛行場は最下層にあり、長さは約3km。ベイロンから来た設営隊が客席の設置などを進めていたが、まだ他のチームの姿はなかった。観客用の駐機場にベレットを置いてレースチーム用のピットラインまで歩いた。
「ほとんどのチームが飛んでくるのは明日の午前中だろう。早くても今日の夜だな。今頃まだ本島のガレージで天気予報を見てるよ」とシュナイダーは言った。フライトジャンパーにレース用のヘルメットだった。
本島というのはベイロンのことだ。地方予選を勝ち抜いた12組の中には遠方からくるチームもいるわけだが、レースはほぼ1週間置きなのでツアーの間はベイロンに滞在するのが普通らしい。
現地の支援者に会うためシュナイダー、ヴィカ、カイの3人で飛行場を出た。
飛行場に面した通りには観客をあてにした屋台が並んでいたが、1本奥の通りへ入ると牧歌的な景色が広がっていた。
立ち並ぶビルはまるで砂の城のように方々が崩れ、できるだけ頑丈なところを選んだように雨水槽を掲げ、空き地や屋上、屋根の崩れた階上などにも畑を広げていた。そこで作業する人々は老人が圧倒的に多く、皆よく日に焼け、動力も電子制御も使わない極めて原始的な道具で仕事をしていた。彼らは3人の姿を見つけるととても警戒的な視線を向けてきたが、ヴィカがいるとわかると一転して手を挙げ挨拶の声をかけた。
「私はこの島の出身なんだ。だからことを起こすならこの島だとかねがね思っていたのさ」
「でもあなたはエトルキアの軍人じゃないですか」
「亡命者さ。この島はエトルキア・シンパだった。だからルフトに囲まれて徹底的に叩かれた。それがこの様だ。多少器量のいい女の子ならベイロンで拾ってもらえるが、そうでなければ――特に家族連れなんてどの島へ行っても門前払いさ。移住なんてできやしない」
ビル群の廃墟に畑があるのは上の甲板の影の外側にある地域だけだった。影の下に入るとまるで世界が変わったように色のない暗い景色に変わった。ビルもあまり崩れていない。四角い棺桶のようにしんと立っていた。雨も入らないので地面も濡れていなかった。こうした塔に近い地域に住んでいるのは男たち、特に青年たちだった。彼らは額の上にガスマスクを上げ、牛でも入っていそうな巨大なリュックサックを背負い、ドリルやつるはしを担いで全身真っ黒に煤けていた。
つまり彼らがこの島の収入を支えている採掘夫たちだった。彼らは甲板の一部を切り抜いた空母のような大きなエレベーターで下界に下り、恐竜みたいに大きなダンプ
トラックいっぱいに遺物や鉄屑を乗せて戻って来るのだった。ダンプはヘッドライトを爛々と輝かせ、獰猛なエンジン音と煤まみれの排気を残して飛行場へ走っていった。
ヴィカは塔にほど近いやや高いビルの中に入った。病院なのだろうか、廊下には固そうなベッドが並び、ぜーぜーと荒い息をする男たちが寝かされていた。
「フラムに肺を焼かれた憐れな者たちだよ。彼らの肺はもう自力で階段も登れないほど弱っている。慢性的な爛れは回復しない。じきに呼吸も利かなくなるだろう」
「やあヴィカ」1人の医者がヴィカに声をかけた。子供心を忘れられないまま大人になったような雰囲気の青年だった。
「少し話せるか」
医者は頷いて最上階の一室に3人を通した。椅子もテーブルもない部屋だったが、壁に沿って薬の箱が積み上げられていた。
「パールヴェーラー、フェアチャイルドが開発しているフラム耐性の薬」医者はカイの視線に気づいて答えた。「我々がモルモットにされているのは自覚しているさ。しかしわかっていてもこの薬に頼らなければ生きていけないんだよ。生きられないと思うように強いられているといってもいいかな」
医者は薬の箱の陰に隠れたドアを開けて奥の部屋へ入った。こちらには銃器や弾薬、無線機の類が山積みになっていた。
「これだけ揃えられたのはエトルキアのおかげだ。君に感謝するよ、ヴィカ」
「いや、そのためにこの島を危険に晒しているんだ。工作員も10人が限界だった」
「仕方ないよ。多すぎれば怪しまれる。鉱夫の中にだってフェアチャイルドにコネのある人間がいるんだ。一方でどうしても僕らの仲間になりたいという子もいるからね。彼らは戦力になってくれるよ」
コネというのは要はレースクイーンのことだろう。事務所を介して金をちらつかせれば家族を介して情報を仕入れるのはさほど難しいことではない。
そのあとは作戦の話だった。
まず大前提としてシュナイダーが表彰台に上がらなければならない。1位でも3位でもいい。とにかく表彰台に上ってフェアチャイルドから直接メダルを受け取る。そしてインタビューでパールヴェーラーの件を糾弾する。演説がシュナイダーの役目だ。テレビが放送をやめないよう、エリスヴィルのグループは塔の古いアンテナを使って電波ジャミングを行う。
近衛隊がシュナイダーを取り押さえようと割って入った場合はエトルキアの工作グループが飛行場の周囲を爆破して観客をパニックに陥れる。そうすれば表彰台は客席に囲まれているから近衛隊は自由に動けない。
作戦の主目標はルフト政府に対してフェアチャイルドの追放を申し入れることであり、政治的正当性を考えれば暗殺は悪手だし、第一狙撃などしようにも側近の天使――ギグリが奇跡で防壁を張ってしまうので通用しない。
今までも何度か単独でフェアチャイルド暗殺を試みたケースがあるらしいが、いずれもギグリによって徹底的に防がれていた。「徹底的に」というのはつまり防壁の方が暗殺者に迫っていって壁や地面との間にすり潰してしまう、ということらしい。そこには法も裁きもない。
いずれにしても暴力は最後の手段だ。エトルキアはクローディアの一件の報復として侵攻、反フェアチャイルド勢力を支持してベイロンを無血開城する、という手筈だった。
「僕の役目は何です?」カイは訊いた。また自分だけが意味もなくこの場に置かれているような感じがした。
「君の言葉はベイロンの人々にもこの島の人々にも響くだろう。シュナイダーにマイクが渡ったら隣に立ってくれよ」ヴィカはカイの表情を窺いながら言った。「だが、それだけでは不服か。何なら彼を守るために何かできないか、と?」
「パイロットとはいえ俺だって軍人だ。むしろ俺が君を守る方じゃないか」とシュナイダー。
「いいさ。時間がないわけじゃない。稽古をつけてやろう」ヴィカ。
「あなたもパイロットじゃないんですか」
カイが訊くとヴィカは笑った。
「なに、私の本職は魔術師さ」
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