バードケージ・メランコリー

 ドーム屋根の下は大きな一部屋になっていた。飛行機が20機ほどずらっと並べてあって、並べるってことは何かが違うのだろうけど、クローディアには色の違いくらいしかわからなかった。

「あなたにはここでレースの勉強をしてもらうわ。知識を入れてもらわなければ」ギグリは言った。

「コンパニオンに知識なんて必要ないでしょう?」

「そうね」

「認めるの?」

「とはいえ、ただのおバカさんがやっていても深みがないのよ。インタビューでトンチンカンな受け答えして途端にランキング外に転落した子もいたわね」

「ランキング?」

「レースクイーンのコンテストがあるの。年に1度、投票期間は2週間。グランプリツアーのファイナルに合わせて。言っておくけど私は出たことないわ。新人賞のようなものだから、大御所が出ても全然おいしくないもの」

「おいしくない?」

「食べ物が賞品だと思ってないでしょうね? 賞金と放映枠の確保、それから家ってところね。住むところ」

「この島に家がもらえるの?」

「優勝で下層、10位以内で最下層の中心街。廃墟のスラムから出稼ぎに来ている子も少なくないのよ。家がもらえれば家族にいい暮らしをプレゼントできるでしょう。そうでなくてもレースクイーンだけじゃお小遣い程度にしかならないから――」

 ギグリは受付の方を振り返った。

「彼女たちを見たでしょ、オフはこの島の方々のミュージアムやカジノで働いているのよ。専業なんて娘はかなり珍しいわ」

 ギグリは飛行機を見せる前に左手の小部屋に入った。そこはレースクイーンの歴代衣装の展示室だった。40〜50体のマネキンが並んでいて、初期はスパンコールやラメを使ったキラキラしたものが多いが、次第にまともなドレスっぽいもの、和風のもの、制服風のものなどテーマの尖ったものが多くなってくる。いずれにしても露出はきわどく、ほとんどが上下のセパレートタイプだった。

 自分もこういうのを着せられるんだと思うとなんだかムズムズした。ギグリのデザインはたぶんもう少しシックだろうけど、まだ実物を見たわけじゃない。あの裁縫好きの女の子がセクシーなアレンジを加えないとも限らないのだ。

 服だけではなく帽子やパラソルなどの小物も飾ってあって、奥の壁には過去のレースで撮ったレースクイーンと飛行機やパイロットの写真がパネルとして飾られていた。探すとギグリの姿もあった。

「あ、まだ若いですね」

 クローディアがそう言うと、頭上に例の光の鎚を手のひらサイズくらいに小さくしたものが出現して脳天に落下してきた。首がズーンと沈んで舌を噛みそうだった。

「今だって若いでしょ? 『幼い』って言いなさい。今のあなたより小さい頃からやっているのだから」

 部屋を通り抜けると飛行機の列の左端に出た。

「さて、ここからは覚えるところね」

「見分けがつかないわ」

 近くで見るとどの飛行機もつやつやとした綺麗な光沢があって、金属の地肌が剥き出しの部分もぴかぴかに磨き上げられていた。しなった翼、潰れたタイヤ。とても空を飛ぶものとは思えないほど大きくて重々しい。

「ここに並んでいるのは歴代の優勝機、あるいはそのレプリカ。初期はベイロンの周りををぐるっと回ってストレートで滑走路の上を飛ぶだけの単調なコースだったわ。この頃主流だったのは3000馬力級のとにかくスピード重視の機体。初代王者はエーデルワイスのルートヴィヒ・ニーダーヴィール。でも速いだけじゃ見どころが少ないでしょ。それが変わったのが第5回と6回。コースをエリスヴィルの廃墟に移してコーナーを増やしたの。主流は機敏で加速の速い軽量タイプにシフトしたわ。せいぜい1400馬力、機体は1トンってところかしら。この頃常勝していたのはファウロス・エバート。しばらくするとコースに特化して翼を非対称形にするだとか不安定な飛行機が増えてきて、事故も増えたわね。12回でツアー制を導入したのもその関係。あちこちの島にコースを増やしてそこを回るようにしたのよ。軽い機体が有利なコースもあるし、速い機体が有利なコースもある。その方が面白いでしょう。ただし使う飛行機は1種類。調整はしなければならないけど、ツアーの間に構造を変えるのは反則。一回の周回数を少なくしてテレビで流しやすくなったのも、チーム制にしたのもこの頃ね」

「形が似ているのは何かそういうレギュレーションがあるの?」

「いいえ。これはあくまで『流行り』よ。決まっているのは燃料だけ。指定のガソリンで飛ぶ機体でないとだめ。だからジェットやロケットはエンジンとして使えないし、エタノールの類の注入も禁止。要はニトロね。あとはエンジンのパワーも機体の大きさも選手の自由。でもコースの設定によってどうしても最適な大きさ、パワー、性能というのが決まってきちゃうのよ」


 ギグリは部屋の真ん中に置いてあるフラットソファに腰を下ろして飛行機たちを見渡した。

「左端と右端を比べるとかなり大きさが違うでしょう」

「そうね」クローディアも隣に座った。

 そして壁に貼ってあるパイロットの大きな写真を眺めた。だいたい真ん中がファウロス・エバート――カイの父親だ。どちらかというと女性的な丸みのある顔立ちだった。

 クローディアはふとタールベルグのエレベーターから眺めた景色を思い出した。

 カイはどうしているだろうか。塔の下に投げ捨てられたりしていないだろうか。

 無事ならそれでいい。無事にタールベルグに帰ってくれれば、それで。

 私だって飛べるようになればいつかまた逃げ出すチャンスもやってくるだろう。

「ギグリは飛行機が好きなの?」クローディアは訊いた。

「どうかしら。仕事だもの」

「飛行機なんかバカバカしいと思うの。私は」

 ギグリはいささか蔑んだ目でクローディアを見た。

「天使は自力で飛べるのだから、かしら。そう、案外あなたも人間を見下していたのね。それとも散々にあなたを追い回してきたものだからそう感じてしまうのかしら」とギグリ。

「見下すというか、憐れみというか」

「同じね。でも私たちは音速は超えられないわ。たくさんの荷物を運ぶこともできない。用途によって翼を選ぶこともできない。それは生得のものだから。わかるでしょう、。飛翔機能を道具に依存しなければならないというのは憐れむべきことなのかしら」

「意外とまともなこと言うんだ」

「飛行機の操縦というのはきっとピアノを上手く弾くよりも難しいのよ。とても複雑で、とてもシビアなの。しかもそれは自分の体ではないの。自分の体ではないけれど、自分の体のように操るのよ。そういった器用さは天使にはない、天使が失ったものでしょう」

「たとえそれが本質的にナンセンスなものだとしても?」

「ええ、そうよ。人間の娯楽も、あなたの自由でいたいという願望も、本質的には無意味なのよ。でもそれは必要なの。それが世界のすさみを薄めるの。だから尊重しなさい。飛行機を。パイロットを。厭々やってるのなんて一目で見抜ける。それって冷めるわよ。とても。彼女たちだってあなたを見下すでしょうね」


 ギグリはクローディアを建物の上に連れて行った。ドームの横、甲板の外縁側にバルコニーが張り出し、その上に巨大な鳥籠のような檻が置かれていた。檻の中ではたくさんの鳥がてんでばらばらに鳴き交わしていた。

 文鳥、カナリア、インコ、ハト……。白い鳥ばかりだ。白くないのはどこからかやってきて檻のてっぺんにとまっている1羽のハシボソガラスだけだった。

「生き物の飼育は基本的に2層の動物園でやっているの。ここにいるのはほんの一部」

 フラムスフィアの発生で人間以外の生き物もまた高山帯を除いて地上では絶滅した。生態環境の維持は不可能だから、せめて種の存続を、ということでごく少数多種の生物が旧文明人の手によって塔の上に持ち込まれた。いわば方舟だ。その機能を現代に引き継いでいるのが動物園などの研究施設であり、ひっくるめて言えばベイロンのような学園島や行楽島の役割なのだ。

「エトルキアに見つかるまで、あなたは長らくフラムスフィアの中にいたんでしょう?」ギグリが訊いた。

 クローディアは頷いた。

「じゃあ肺珠はいじゅといってわかるわね?」

「仕組みは知らないけど、くしゃみをすると気管の方から出てくる、これくらいの、真珠みたいなやつでしょ」

「そう。一種の結石なのよ。天使にはフラム耐性があるけど、全く影響を受けないわけではない。フラムを吸っていると肺胞の表面が硬化して剥離するの。新陳代謝を強化してフラムの毒性を取り込まないようにしているのよね。それが粘液で固まって球状になったものが肺珠」

「やっぱりフラムが原因だったんだ」

 フラムスフィアの下でもフラムの薄い高度では肺珠が少なくなる。クローディアもそれは経験的に知っていた。

「天使でもフラムを吸わなければ肺珠はできないし、そもそも他の生き物にそんな機能はない」

「だから天使だけがフラムスフィアで活動できる?」

 ギグリは頷いた。

「ここの鳥たちには私の肺珠を与えているの」とギグリ。

「予防接種みたいに使えないか、ということ?」

「そうね。砕いてエサに混ぜたり、粉状にして肺に吹き込んだり。呼吸器に入れた方がいいのでしょうけど、嫌がってしまってあまり上手くいかないのよね。それから薄めたフラムを吸わせて、どれだけ肺が痛むか。鳥は肺の機能が高くて呼吸も早いからフラムの影響が出やすいのよ。かわいそうだと思う?」

「少し」

「でも1羽も殺したことはないわね」

 ギグリは檻の横に取り付けられたプラスチック製のケースから聴診器を取り出して耳につけ、檻の中に片手を差し込んでエサで白いハトを呼び寄せた。一点のシミもない真っ白なハトで、嘴と脚は薄いピンク色だった。ギグリはハトの足を掴んで背中を支えて裏返し、落ち着いたところで胸に聴診器を当てた。ハトは放心したみたいにじっとして「クルッ、クルッ」と小さく鳴いていた。

「効果は出てるの?」クローディアはギグリがハトを放したところで訊いた。

「でもほんの少しだけよ。全く爛れないのはごく薄い時だけ。フラムスフィアに入って耐えられるほどではないわ。とてもまだ無理」

「何か目的があるの?」

「いいえ。これは完全に私の個人的な研究。趣味。あなたの言うナンセンスな娯楽よ」

「地上にあった本当の生態系をもう一度見てみたい、ということ?」

「そうね。それもあるし、知りたいのよ。なぜ天使だけがフラムに耐性を持ち、フラムを力に変えることができるのか」

 ギグリは聴診器を仕舞って翼を伸ばした。自然光の下で見る彼女の翼は一段と輝いていた。

「帰りましょう。夕食の前に少し休みたいの。お望み通り飛んであげるわ」

 クローディアはギグリの体に抱きついた。彼女の方が背が高いので首筋に額をつける感じになった。とてもいい匂いがした。

 ただそれが邪魔だったのかギグリが頭をぐいぐい押し下げるので顎がどんどん胸の谷間に沈んでいった。確かに屈辱的な気分だった。

 腰の後ろでしっかり手を組むとギグリもクローディアの背中に手を回して抱きかかえた。

 1回の羽ばたきで大きな風が生まれ、早くも浮力がついた。ただ翼を上げる時の沈み込みも大きく、飛び立つためには強めにジャンプしなければならなかった。やはり大きな翼は機敏さに欠ける。

 浮かんだ。

 一度浮かんで水平方向に動き始めると羽ばたきに関係なく揚力が生まれてすぐに姿勢が安定した。

「思った通り、軽くて楽だわ、あなた」

 クローディアは首を捻って下を見た。甲板の外には出ていない。すでに100mほど下にさっきのドームが見えた。

「ちょっと、動かないでよ」

他人ひとに抱えてもらって飛ぶなんて新鮮」

「そう、濡れ烏は知らないのね。普通の天使はこういう遊びをして育つものなのよ」

「それ、やめてよ。濡れ烏って」

「嫌よ」

「どうして」

「言ったでしょう。買われたものを売りなさい。売りにしなさいって」

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