28話「すれ違い」
28話「すれ違い」
「おまえ………それが本心なのか」
響の恋人の目の前で、彼女に惚れていると言えるのだ。相当な自信があるのだろうか。
冷静に微笑む和歌は自分と違い、とても落ち着いていた。これが年の功というものなのか。と、言ってもそこまで年は離れていないはずだ。きっと響を奪えると思っているのだろう。そう思うと、更に腹が立ってしまう。
「……あなたですよね?響さんを強引に勧誘し、悩ませたのは。そして、怪我をさせたのも」
「………それは………」
「響さんは悩んでました。今日お会いした中庭で話をすることが多くてね。彼女が素振りをしているのを見るのがとても好きでした。凛としてとても綺麗で、強い。そんな女性ですよね」
「………だから、何だって言うんだ。おまえには渡すはずないだろ」
「………強い女性が泣いていたのも……あなたのせいですか?」
「……っっ………」
思い当たる事を言い当てられ、千絃は声を失ってしまった。
確かに、響と再会した時は彼女に試すような事ばかりしてしまった。彼女は自分を恨んでいたのがわかったし、恋人や好きな男がいるのかもわからなかった。
けれど、それを素直に聞く事も出来ずに、自分の気持ちをぶつけてしまっていた。それにより、彼女を混乱させていたのは事実だろう。恋人になったからと言って、彼女を泣かせた事は何も変わらないのだ。
それを目の前の男は知っている。彼女を慰めていたのは、この男だとわかると、怒りの感情が爆発しそうだった。それを堪えるために必死に手を強く握りしめた。
「それは俺とあいつの問題だ。おまえには関係などないだろう」
「確かにそうですね。………あぁ、そう言えば漣さんの目の調子は大丈夫なのですか?引退までしてしまって……本当に可哀想な事ですね」
「おまえ………それを知ってるのか」
「えぇ………引退する前から知っていましたよ。相当悩んでいましたしね。………あなたは、知らなかったのですか?」
「……知ってる。だからこそ、あいつに仕事を紹介したんだ」
「そうでしたか。同じ、ですね」
全く同じではないだろ。
千絃は心の中で毒づいていた。
響が病気なのは昔から知っていた。けれど、どこまで進行していたのかは知らなかったし、引退する前に相談される事などあるはずがなかった。しばらくの間、会うことも連絡もとっていなかったのだから。
けれど、和歌には相談していたのだろうか。
そう思うだけで、千絃は悔しくて仕方がなかった。
自分の考えで勝手に響から離れたのだから、怒る権利などないはずだ。
だが、その気持ちを抑えられる事も出来ずに、行き場のない視線を庭に咲く花に向けて睨むしか出来なかった。
「だが、彼女はあなたが大切なようなので、羨ましいです。けれど………、私も諦めるつもりはありません。私もずっと彼女を見てきたのですから」
そう言うと、和歌は小さく頭を下げてから、千絃の隣を通り抜けてビルの中へと去っていった。
「………俺があいつから離れたからだな」
千絃は髪をくしゃくしゃとかきながら、また壁に寄りかかった。そして、大きくため息をつくと、暗い地下の天井を見た。
千絃は、フッと昔よく2人で見た、河川敷での夕暮れをまた見たいなと思った。
☆☆☆
和歌が提案してきた演劇の出演への依頼は破格なものだった。報酬もかなり多かったし、稽古の時間も「仕事が終わった後の数時間や休みの日の午前中のみで構わない」と言われたのだ。ゲーム会社の仕事が優先で、という条件をしっかりと飲んでくれた。
そして、舞台上での台詞もたった一言のみだった。それ以外は殺陣のみだ。本当にゲスト扱いなのだな、という感じでホッとした。
「それとこちらから依頼というか、お願いなのですが……他の役者達に剣の使い方を教えていただけませんか?」
と、お願いされたのだ。
自分の殺陣が落ち着いたら、他のメンバーにコツを教えてくれないか、というのだ。
きっと、和歌はこの考えを前々から持っていたのだろう。いや、もしかしたら、これこそが響を誘った本当の理由なのではないかと思った。
響は「剣道のような動きしかおき得られないけれど、それでも良ければ……」と話すと、和歌は喜んでくれたので、響も引き受ける事にした。
報道も予想より酷くなく、インタビューをする機会をつくると明言したためか落ち着いていた。そのため、響が千絃の部屋に居座る必要もなくなった。それを事前に伝えてはいたが、帰宅する時は彼を探してしまう。
和歌との話し合いが終わった頃にはいつもの退勤時間よりも大分遅くなっていた。
スタッフは残業している人はほとんどいなかった。この日はノー残業デーと会社で決めている曜日だったのだ。
響はきょろきょろと会社内を見て回る。
けれど、席を外しているのか千絃の姿は見当たらなかった。いつもならば、響が断っても送ってくれる事が多かったので、ついつい待っていてくれているのではないかと思ってしまう。
けれど、彼のデスクには鞄もなくPCの電源も落とされていた。もう、帰ってしまったのだろう。
「………千絃。もう帰っちゃったんだ。メッセージぐらい残しておいてくれてもよかったのに」
スマホにも彼からのメッセージは何も送られて来ていなかった。それを見て、ため息混じりにそう一人呟いた。
付き合い始めてから、帰るときは話をしたし、送ってもらったり、どちらかの家に泊まる事が多くなっていたので、響はどうしても寂しさを感じてしまった。
トボトボと会社を出てタクシーに乗り、響は千絃にメッセージを送った。『お疲れ様。打ち合わせは終わったよ。今度、話を聞いてね』と簡単なメッセージ。
けれど、そのメッセージは深夜になっても返事が来ず、既読にもならない。
そして、次の日の朝になっても変わらないままだった。
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