3話「ジャスミンティー」






   3話「ジャスミンティー」






 「話しを聞くだけ………聞くだけよ………」



 響は緊張した面持ちでそう独り呟き、昨日の公園へと向かった。

 何度も行くのを止めようと思った。けれど、彼がこの公園に足を運び、誰もいない公園を見て、どう思うのか。そう考えてしまうと申し訳なく思ってしまう。彼が勝手に言って、そのまま去ってしまったのにも原因があるけれど、自分自身もしっかり断れなかった事に原因があると思ったのだ。


 待ち合わせの時間より少し早くに公園付近に到着する。恐る恐る公園の様子を伺う。けれど、そこにはまだ誰もいなかった。

 ホッとしつつも、彼が来るのを待つというのも緊張するな、と思いながらも公園のベンチに座り、またあの桜を見上げた。

 4月の上旬にはあんなにピンクの花が咲いていたのに、今はその色は全くなくなっている。自然の力を感じながらも、その黄緑色の新しい葉

を見ると元気を貰える。この葉っぱ達で秋まで生きていくのだ。そう考えると、なんだか不思議だけれど、生命力を感じるのだ。



 「生きるため、かー…………私は何がしたいんだろう。こうなる事はわかっていたのに………」



 誰に問いかけるでもなく、木を見ているとそんな言葉が出てしまう。きっとそれは自分自身への問いかけだろう。


 響が真剣な眼差しで見つめていると、公園内に誰かが入ってきた気配と足音を感じた。ゆっくりと視線を向けると、そこには昨日と同じ表情である軽い笑みを浮かべた千絃が立っていた。



 「悪い。少し遅れた」

 「………大丈夫よ」



 気恥ずかしさを覚え、視線を外すと彼からクククッと笑い声が聞こえたような気がして、さらに頬が赤くなる。

 けれど、仕事の紹介のため、と思い何も言わずにグッと堪えた。



 「じゃあ、行くか」

 「う、うん」



 彼の声を聞き、響はベンチから立ち上がり彼の隣に駆けていくと、ちらりとこちらを見てから歩き出した。響もちらりと彼を見る。白シャツは上の2つまで開け、細身の黒いズボンを履いてた。袖を捲り、そこからは黒の腕時計とシルバーのハングルが見えている。シンプルな格好なのに、彼に似合っているからかモデルのようだった。そう言えば学生の頃もかなりモテていたな、と響は思い出した。



 「助手席乗って」

 「え、あ、うん………」



 すぐ近くの駐車場に彼の車を停めていたようで、気づくと白い車の前まで来ていた。車の種類は全くわからないけれど、誰でも知っている高級車がそこにはあった。

 助手席に乗ると、濃い茶色の革シートと黒を基調とした車内になっており、男性らしさを感じるものになっていた。響がシートベルトをしたのを確認すると、千絃は置いてあったペットボトルを響に差し出してきた。ジャズミンティーだ。

 響はそれを思わずボーッと見つめてしまう。そして、「懐かしいな」と感じてしまった。いつまでも受け取らない響を見て、千絃は怪訝な顔をした。



 「これ、おまえ好きだっただろ。もう嫌いになったのかよ」

 「え………ううん。好きだよ。………ありがとう」

 「………ん」



 響は驚いた表情でペットボトルを見つめた。けれど、受け取りながら自然と笑みがこぼれてしまった。

 さっそくそれを開けて一口口に含むと、爽やかな味と香りに包まれて、緊張していた体が和らいだ。



 「そんなに好きかよ」

 「な、何でよ………」

 「美味しそうに飲んでたから」

 「………好きよ」

 「そーかよ」



 素っ気ないやり取り。

 それさえも懐かしい。運転する彼の雰囲気が柔らかくなるのを感じる。昔と同じ千絃だった。

 確かにジャスミンティーは今でも大好きで、ペットボトルで何かを買う時は迷わず手にとってしまう。けれど、微笑んでしまったのは、千絃のせいだよ、と心で返事をする。

 そんな些細な事を覚えてくれていたのだ。それが何よりも嬉しくて、心地よかった。楽しかったあの頃を思い出す事が出来た。

 稽古帰りに、手を繋いで帰ったあの日々の事を。

 ペットボトルを持つ手が、とても優しくなるのを響自身で感じながら、また薄緑色の水を口に含んだのだった。






 懐かしさに浸りながら車に揺られていると、あっという間に目的地に到着していた。高いビルが立ち並ぶオフィス街でも一際新しくガラス張りの窓が大きく、高級感のある黒で統一されたビルだった。その地下の駐車場に入っていく。



 「千絃………ここって何のビルなの?」

 「俺が勤める会社が入ってるんだ。今日は休みだから俺だけだから安心しろ」



 2人きりになる。

 その言葉にドキッとしてしまう。けれど、先ほども車内に2人きりだったのだから緊張するほどでもないはずだ。そう言い聞かせて、響は隠れて大きく息を吐きながら背の高い千絃の後を追いかけた。



 「ここが俺が働いているところ」



 上層階に降りると大きなフロアがあり、そこにはPCが沢山並んでいた。1人1つPCと沢山の資料に囲まれた部屋。一見、普通のオフィスに見えるけれど、よく机の上を見るとアニメのフィギュアやイラスト、ポスターなどが置いてある。響はアニメならば見る事もあったけれど、そこにあるものは知らなかった。

 知らない雰囲気のオフィス内。響はキョロキョロしながらいろいろなところを見て回るが、ここが何の会社なのかわからなかった。



 「千絃は何の仕事をしているの?」

 「ゲーム製作だよ。そこで、CGなどの動画製作してる」

 「………ゲーム……」



 千絃は自分とは全く違う仕事をしていた。

 予想外の事に、響は呆然としながらも心の奥底ではショックを受けていた。


 約束はやはり守ってはくれていなかった。

 心のどこかで、「もしかしたら続けてくれているのかもしれない」そんな期待を持っていた。けれど、違った。


 今回、仕事を一緒にやらないか、という誘いも本当は約束に繋がっているのではないか。

 そんな風に期待してしまった自分が居たのだ。



 「ゲームの仕事なんて、出来ないわよ。全く関係ないじゃない。………ふざけているなら私帰るわ」

 「ふざけてない。俺は真面目に仕事やってんだけど?」

 「………ち、違う。ふざけてるって仕事の事じゃなくて私の勧誘の事で」

 「だから、それも真面目に誘ってんだよ」


 

 決して怒っているわけではなく、真剣な口調と視線。そんな彼の姿勢にはグッとくるものがあった。

 響は何も言えずにいると、千絃は中央にあるパソコンを操作し始めた。



 「ひび。これ見てみろ」

 「え………何?」



 響がパソコンの画面を覗き込んだのを確認すると、千絃が画面をクリックした。



 「わぁ………すごい………」



 そこに写し出されたのは壮大な自然と近未来の建物の映像だった。実在していないとわかっていても、あまりのリアルさに本当にこの世界があるのではないかと思わせてしまうほどだった。その街の外れの森に向かってどんどんアップになっていき、木々の隙間から見たこともない獣の戦っている巫女のような和服に身を包んだ男女の姿が見えた。男は短剣を両手に持っており、女は細長い刀を手にしていた。その2人はアクロバティックな剣術で獣と戦い、最後は男性が倒し、獣は光の粉になって消える。そして、その男女は剣を合わせて勝利の笑みを浮かべる。そんなCG動画だった。



 「すごい………!これ、千絃が作ったの?」

 「俺だけじゃないけど。まぁ、俺達の会社が作ったもので、今度ゲームを作るにあたってイメージで作った」

 「本当に生き生きとしてて生きているみたい。それに、風景も幻想的で素敵だわ」

 「けど、俺は満足はしてない」

 「こんなにすごいのに………?」

 「あぁ」



 千絃はそう言うとまたゆっくりと歩き出した。響の方を一瞥したため、ついてこいという意味だと思い、響は彼の後を大人しくついていく。


 すると、違う部屋に案内されたのだ。

 そこは、数台のカメラとパソコンなど機材が置かれている、大きな部屋だった。

 けれど、何も置かれていないスペースも多い事から何かの撮影ブースだというのが響にはわかった。


 

 その部屋を眺めていた響だったが、千絃に「ひび」と呼ばれ、彼の方を向く。すると、千絃は普通の会話の調子のまま、とんでもない事を口にした。



 「おまえ、ここであの剣舞を踊ってくれないか」

 「……………………え?」


 

 あまりに突然の要求に、響は口を開けたまま固まってしまったのだった。




 




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