第19話 月の導き
「危ない!!」
誠司君のお父さんが叫んだ。
日本代表のDFの一瞬のミスを逃さず、スペイン代表のフォワードが強烈なシュートを放つ。
多分スクリーンに釘付けになっていた皆がヒヤッとしただろう。
しかしすぐに安堵のため息が聞こえた。
キーパーがしっかりとキャッチしていた。
だが、その後また騒めく。
FWの冬吾君が自陣のペナルティエリアまで下がってキーパーから直接ボールを受け取っていた。
ミスをしたDFに何か言っている様だ。
その後にゆっくりと冬吾君は敵陣に向かってゆっくりとドリブルを始める。
FWなんだからこんな位置にいる事が珍しいのは当然なんだけど、こんなにのんびりとドリブルをする冬吾君に皆焦りを見せていた。
「もう時間が無いんだぞ!」
誠司君のお父さんが言う通りすでに残り時間は一分を切っている。
早く前に送らないと。
もっともそのパスを受け取るべき冬吾君が今ボールを保持しているんだけど。
「……アンダンテ・カンタービレですね。冬夜さん」
「そうだね」
冬吾君の両親がそう言っている。
もう残り時間が無いこの状況で異様な光景。
冬吾君は時折とてつもないプレイを見せる。
だから迂闊に手が出せない。
今もその隙を伺っているのか。
観客からしてもその光景は異様だっただろう。
誰も冬吾君に近づこうとしない。
まるで足を束縛されたかのように一歩も動けずにいるスペイン代表。
もちろん守備に動く選手もいたけど不思議とまるで冬吾君に道を譲るかのように進路を開ける。
相手監督が何かを叫んでいる。
キーパーも何かを言っている。
だけど誰もが動けずにいる。
日本代表ですら動けずにいた。
やがて冬吾君はゴールエリアにまで到達する。
冬吾君のボールを奪い取ろうとキーパーが飛び出す。
冬吾君はそれを待っていたかのようにボールを蹴る。
慌てて手を上げるキーパーの頭上を越えてボールはゴールに吸い込まれるように入る。
90分間続いた0-0の拮抗が崩れた瞬間だった。
しかしここまで勝ち上がったチームだ。
最後の笛が鳴るまで諦めない。
すぐにセンターサークルにボールを戻し試合を再開させるスペイン。
だが、そのボールが日本代表のゴールに届く事は無かった。
無情に試合終了を告げる笛の音。
皆が溜め込んでいたものを一気に吐き出す。
「やったあ!」
誠司君のお父さんが叫ぶと次々と雄たけびを上げる。
冬吾君のお兄さんの空さん達も翼さんと抱き合って喜んでいた。
冬吾君は相手チームと握手をしてユニフォームの交換をしている。
私もこの日ばかりは興奮していた。
出来るなら今すぐにでも冬吾君を抱きしめたい気分だった。
誠司君がトロフィーを受け取り高らかに持ち上げる。
しかしどうして相手は動けなかったのか?
それが疑問だった。
そんな疑問に答えてくれたのは、夫婦で祝杯を挙げている冬吾君のお父さんの冬夜さんだった。
「目だよ」
「目?」
冬吾君は奇想天外なプレイを魅せる。
それは誰にも予想できないプレイ。
もちろんそんなプレイに対応出来る仲間がいてからこそ成り立つんだけど。
次はどこに向かってボールを蹴る?
どこに向かってドリブルをする?
どこにスペースを見つけた?
様々な予想をしながら冬吾君のプレイに対応しないといけない。
そんな中で例えば冬吾君が味方を見れば自ずとそっちへのパスを警戒する。
色んな所を見ていればどこを塞げばいいか分からない。
すると自然と守備側は動けなくなる。
冬吾君は開いた道を歩くだけなのに勝手にパスを予想して道を譲ってしまう。
それまでの冬吾君のプレイを研究していたのが仇となった。
冬吾君のプレイを何年も体験していたからこその罠。
単純な目線のフェイクにピッチ上の選手は嵌ってしまったのだと冬夜さんは解説する。
やっぱり冬吾君は凄い。
きっと世界中のこの試合を見ていた観客を一瞬だけでも虜にしてしまった。
アンダンテ・カンタービレ。
歩くようにゆっくりと歌うように。
のちに冬吾君のプレイはそう称された。
冬吾君のその奇跡のような1プレイが日本代表に栄光をもたらした。
サッカー史上初。
日本代表がW杯を制した。
その事は大々的に取り上げられ代表陣が戻るとパレードが催され、冬吾君たちは歓声に包まれていた。
私の彼は凄い人なんだな。
遠くに感じる時もあるけど、それでも冬吾君は私をいつも見ている。
心で見つめてくれる。
瞳で今、呼びかけてくれる。
冬吾君達が地元に帰ってくると地元でも祝典が催された。
そして天音さん達が祝勝会をやってくれた。
「誠司!よくやったぞ!」
誠司君のお父さんは喜んでいる。
試合に勝った日も号泣してお母さんに怒られて、そして冬吾君のお父さんと飲んでいた。
冬吾君のお父さんは落ち着いていた。
「お疲れさん」
そういって冬吾君の空のグラスにビールを注ぐ。
「サッカーは楽しいかい?」
「うん!まだ次の夢があるから!」
「それはなんだい?」
「地元クラブでクラブワールドカップを制覇するんだ」
「そうか」
「冬吾、サッカーが楽しいのも分かるけど、愛莉たちを喜ばせてやれよ!」
天音さんが言うと冬吾君は不思議そうに天音さんを見ていた。
「サッカーじゃだめなの?」
「ダメに決まってるだろ!」
「どうして?」
「お前瞳子とはどう考えてるつもりなんだ?」
「瞳子が大学卒業したら結婚するつもりだけど」
そう言えばそういう約束だったね。
でも天音さんはまだ不満があるらしい。
「その先はどうするんだ!?瞳子そっちのけでサッカーとか言ったら私は許さないぞ!」
「どうすればいいの?」
「だから言っただろ!?愛莉やパパを喜ばせてやれって……孫の顔くらい生きてるうちに見せてやれ」
「天音!縁起でも無い事言うんじゃありません!母さん達はまだ長生きします」
「そんなのいつ何があるかわからねーだろ!」
「天音はそんなに母さんに死んでほしいのですか!?」
「そ、そうじゃなくて……」
そんな天音さんと冬吾君のお母さんを見て笑っていたら、冬吾君はとんでもない事を言い出した。
「まあ、誠司も作ったし、僕達も結婚したらすぐでいいかな?瞳子」
「……冬吾君が望んだ時でいいよ」
「冬吾!お前どうせ瞳子しか相手してなくて女性の喜ばせ方知らないだろ!俺が教えてやる」
誠司君が話に入って来るとパオラが怒り出す。
「自分の嫁をすぐに怒らせるくせに、どうして他の女性を喜ばせる事ができるのか凄く興味があるんだけど?」
「パ、パオラだってやってる時は気持ちよさそうに……いてぇ!」
「時と場所を考えて発言して!」
パオラと誠司君の喧嘩が始まった。
誠司君の両親も似たようなものらしい。
だけど冬吾君は純真だ。
だからとんでもない事を言い出す。
「瞳子は僕が相手じゃ不満?」
「……そんなの分かるわけないじゃない」
私は冬吾君しか知らないんだよ?
「それもそっか」
疑うという事すら知らない。
ただ私を信じてくれている。
私を愛してくれている。
それが分かってるから私はいつでも満足しているよ。
冬吾君にそう伝えると冬吾君は納得した。
誠司君たちは二次会に行くと言ったけど冬吾君は帰ると言った。
流石に一日祝福を受けていたら疲れたのだろう。
それに……。
「滅多に瞳子に会えないから会える時くらい二人っきりで過ごしたいから」
そう言って私を喜ばせてくれる。
タクシーで家に帰るとシャワーを浴びて寛ぐ冬吾君。
そんな冬吾君に質問してみた。
「二つだけ質問していいかな?」
「質問?」
「うん、まず一つ目……ミスしたDFに何て言ってたの?」
「ああ、それはね……」
サッカーって楽しいね。
ただそれだけらしい。
「もう一つは?」
「冬吾君の最後のプレイ。一人で歩いていた時何を見ていたの?」
私には冬吾君が何かをなぞっているように見えたから。
冬吾君は答えてくれた。
「ああ、……月の導きだよ」
「月の導き?」
私が聞き返すと冬吾君が頷いた。
冬吾君のいた位置からゴールまでの道が光り輝いて見えたそうだ。
私の理解を超えた世界だ。
唖然とする私を見て冬吾君は笑った。
「実は今も見えてるんだ」
「何が?」
「瞳子の気持ち」
「え?」
「今瞳子が僕に何をして欲しいのか凄く分かる」
私は一気に体温が上昇する。
「そんな言い方ずるいよ」
「そうだね。瞳子、今夜疲れてない?」
「冬吾君が癒してくれるんでしょ?」
冬吾君は頷くと立ち上がってベッドに行く。
私も一緒にベッドに向かう。
そして冬吾君にはやはり月の導きが見えている様だ。
それをなぞらえるように冬吾君の手が動く。
私は目を閉じて冬吾君を受け入れていた。
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