55球目 天狗の鼻が伸びない

 甲山かぶとやまの中腹に位置する大門寺だいもんじの廊下では、キツネ顔の男とタヌキ顔の女が雑巾がけをしている。木曜の夜はバラエティ番組がたくさんあるが、煩悩ぼんのうを断ち切った彼らはTVを見る選択肢がない。



「だいぶ邪気じゃきが取れて来たなぁ」



 烏丸からすま天飛てんとは口ばしの下をなでながら、満足げな表情を見せる。隣の鼻が長い烏丸からすま天央てんおうは、長い黒ひげをさわりながら、しわの山脈が刻まれた厳しい表情を見せる。



天飛てんとよ。本当にお前は野球を始めるんやな?」


「しつこいなぁ。俺っちは一度決めたことを曲げないの、親父はわかっとるやろ? 野球選手の中に、妖怪の力を悪用しとる奴がいると思うし、何より、あの津灯つとうちゃんの超能力が素晴らしい」



 彼は愛しの津灯の写真(隠し撮り)を見つめて、頬を染める。天央てんおうは恋の病にかかった息子を見て、ロウソクの火を吹き消すほどのため息をつく。



「いいか、天飛てんと。お前は浜甲はまこうを卒業したら、全国各地の悪霊・妖怪退治の修行に出るんや。野球に熱中して、本分を忘れたらアカンぞ」



 大門寺だいもんじの歴代住職は、アヤカシを退治する術に優れていた。半世紀前、天央てんおう天狗てんぐ天央てんおうの父が烏天狗からすてんぐ風の見た目と力を手に入れた。しかし、妖怪堕ちはせず、人々に害をもたらす魑魅魍魎ちみもうりょうを退治してきた。



「わかっとるよ。このアッパースイングで悪い奴らを飛ばしたるから」



 彼はアヤカシ封じの杖を野球のバットのように握り、下から上へ振り上げる。



「コラッ! 杖をそんな風に使うんじゃあない!」



 天央てんおうが庭の小石を天飛てんとに浴びせる。天飛てんとは杖を振って、天狗てんぐの石つぶてを次々と打ち返す。不幸にも、新弟子コンビの頭に小石が当たり、雑巾に顔をうずめて気絶する。



「ほらほら。野球が役立っとるやろ、親父?」



 天飛てんとは杖を後ろ手に持って不敵に笑う。天央てんおうは歯ぎしりして鼻先を真っ赤にする。



「むうう。やはり、ここまでお前を強化する野球は、かなり優れた球技のようや。して、その津灯つとうという女性は、お前に嫁に出来そうなんか?」


「任しといて。俺っちと津灯つとうちゃんで、烏丸からすま家史上最強の赤ちゃん作るから」



 天飛てんとの頭の中には、プロポーズのホームラン、野球場の結婚式、津灯つとう麻里まりの顔に口ばしがついた赤ちゃんが、次々と浮かんでいた。彼はよだれをぬぐって、杖のアッパースイングを始める。



(初の練習試合まであと3日)

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