寿司と平和
@kamometarou
春
<自殺屋>
僕は、自分の子供を欲しいと思わない。それは、生まれてくるであろう子供への思いやりの気持ちからだ。生きることに、こんなに辛く苦しい思いをしているのに、どうしてその子供が同じ苦痛を感じずに育つであろう。
生まれてくる子供が、育っていく過程で感じるかもしれない生きることに対する苦しみを、きちんと考慮したうえで人々は出産に至るのだろうか。あるいは、そんなことは初めから眼中にないのであろうか。もし、しっかりとした覚悟をなくして子を授かるのであれば、それは専ら無責任とは言えないのであろうか。
同じことが、見知らぬ人の自死を抑制することにも言えるだろう。道端で見知らぬ人が自殺を試みようとしているとき、たいていの人がそれを止めにかかる。ではなぜ止めるのか。尋ねても、明確な返答をできる人が何割いるか。
死というものが、当人にとって、またその時分において、唯一の苦しみから逃れるための出口であるとき、通りすがりの人間がその唯一の逃げ道を塞ぐことは、むしろ罪な行動ではないのか。単なるくだらない自慰行為に他ならないのではないか。
道徳的な精神に基づき正しいとされている考え方が、必ずしもすべてのコンテキストにおいて実際に「正しい」とは限らない。道徳的な精神に基づいた正しさに従って行動するとき、人は自己報酬を得る。その甘い蜜を求めてのみ行動しようとする態度は、人間の醜い部分を映し出していると言えよう。
以上の理由から、僕は今の仕事を始めた。巷では、「自殺屋」という職種名で知られている。とはいっても、当然のことながら大っぴらにはされていない。インターネットを通じて仕事を依頼してくるお客さんがほとんどだ。仕事内容は、普段から衣食住を営んでいるこのアパートのワンルームにて、パソコン一台と向き合い、自殺をしたいという人に安楽死の薬を売ることだ。
室内に外の空気を入れるために握りこぶし一個分ほど開けた窓から、ほんわかと暖かい風が流れ込んできた。窓の外を眺めると、空はよく晴れていた。今日は、室外に出て散歩でもしたら心地よいだろう。時計を見ると、もう昼時になっていた。仕事に集中していると、時間の感覚が麻痺してしまう。ついさっきまで、深夜だったというのに。
お昼を買いに、アパートの一室を出て、階段を下り、コンビニに向かった。道中、実の父親に安楽死を売ってくれと頼まれたことを思い出していた。今から、5年ほど前のことだ。山積みになった借金を理由に、自害を試みたいと言ってきたのだ。だが、僕は断固として断った。実の父親が死ぬのは、自分が死ぬことよりも辛い。自らのエゴでしかないのだとわかっていながらも、実の父親には、たとえ生きていることがとてつもなく苦しいのだとしても、どうしても、生き続けてほしかった。
けれど、父親は、その数日後、マンションの屋上から飛び降りて自殺した。普段から人の自殺を手伝っているといえども、そのときばかりは、しばらくご飯も喉を通らなかった。せめて、死ぬ時くらいは、自分の仕事で扱っている安楽死の薬で、苦しまずに死んだほうがよかったのではないかと、何度も何度も考えたりもした。
<悪人殺し>
人間なんて、たかがそんなものだ。
自らの意志でペットを飼い始めたにも関わらず、躾を怠ったせいでペットが凶暴な性質を持つようになれば、ついにはその性質に耐えきれなくなり動物虐待を試みる人。
同じように、産んだ子供が扱いにくい子供へと成長をすれば、自分が好んで産んだという事実も棚に上げ子供に対し凄惨な言葉を吐く親。
あるいは、それが子供にどれほどの心の傷を残すかの自覚なしに、親としての威厳を被り子供にグサグサと言葉の刃をふるう親。
人間は、変わっていく生き物だ。いい意味でも、悪い意味でも。
結婚したてのころは善良な夫が、何十年という時を経て、悪い方向へ人格が変遷していくことだって十分にあり得る。
人間は、いつ悪魔へと身を転じるかわからない。
そして、俺は、悪魔へと変わってしまい人格の修正が利かなくなった人間をこの世からそぎ落とすことを生業としている。
仕事の依頼はすべてネットにて引き受けている。
過去の仕事の例としては、暴力団の頭をやることや、DV夫をやることがあった。
直近では、俺が住むアパートと同じアパートの一室に住む、「自殺屋」と呼ばれている男をやった。その仕事を終えてきたのは、ついさっきだ。昼間、のこのことアパートの階段を下りてきて、近くのコンビニに歩いて行っていたところを、小型の毒針でこっそりと後ろから刺してやった。一時間もすれば、奴はこっくりと息の根を断つだろう。
さて、仕事も終えたし、ひと休憩だ。家の近くの公園でベンチに座り、ホットの缶コーヒーを開け、喉を潤した。
よく晴れた昼間の空を眺めていると、身が洗われた。
<死にたくて殺したい人>
僕は、今現在、一体どんな感情を抱けば、この先の自分をより良いものにできるだろうか。今現在どんなことを考え、どんなことを考えないようにすればよいのだろうか。
一日中、部屋に閉じこもって考えていても、答えなんて出てこない。
人一倍の優しさを持ち、人に何をされても怒らず、ずっと他人の幸せを考える。そんな人間になれたら、きっと僕はみんなから認められるんだ。
いや、そんなことはない。実際、そうではなかったではないか。僕が周りに献身的になるたびに、周りは僕のその性質に漬け込んできた。優しさを搾取してきた。周りがやったことに、じっと怒りを我慢し耐えれば耐えるほど、どんどん周りは僕をストレスのはけ口として良いように利用していった。
こんな世の中は間違っている。正しく生きましょう?僕は今まで正しく生きてきた。小学校のとき、担任の先生に習ったように、「正しく」生きてきたんだ。だけと、「正しく」生きれば生きるほど、僕はこんなにもボロボロにさせられた。この世に「正しさ」も何も無いではないか。
ふと、キッチンのステンレスでできた銀色の台の上に置いてあった、包丁に眼が行った。
「ああ、そうだ。これで死ねばいいんだ。そうすりゃ、僕は解放され、楽になれる。」
気づいた時には、手に包丁を握りしめ、自分の首を浅く切っていた。浅いといっても、切った場所が首であるから、当然出血が多量だ。
「ぼ、僕、もう死ぬんだ。」
知らない間にキッチンの前に立っていた僕は、床に沈み込み、アパートの一室が血の海になっていく光景を横目に、必死に這って玄関を出た。
玄関の扉を開けた瞬間、アパートの住民か、見知らぬ人が階段を上り玄関のすぐ一歩手前まで来ていたので、ちょうど鉢合わせる形になった。
鉢合わせになった住人は、恐らく男であったが、手に缶コーヒーを握っていた。
「死ぬ前に、一人くらい殺してやろう。」
ほぼ発作的に、包丁を握った方の手が動いた。包丁の刃は直線を描き、男の横腹に突き刺さった。
「なにすんだ、てめえ!」
男は呻きながら、ポケットに手を入れ、先に針のようなものが付いた何かを取り出し、僕の背中に突き刺した。それから、視界がどっと崩れ落ち、踊り場の冷たい床と血の暖かい感触を頬で感じたと思った矢先、意識が飛んだ。
<寿司屋>
言葉が人に与える傷は、一生消えない。人間は、人形ではない。言葉のみならず、態度や、行いも同様だ。
それまで歩んできた人生のうち、心の傷ばかりを負わされて生きていたなら、きっと普通と同じようにものを考え、咀嚼し、行動をしていくことは難しい。何らかの他者からのサポートが必要となるだろう。
それでも、人は生きていくしかない。周りができること、心に傷を負う者ができることは、一体なんだろう。
「人は生きていくしかない。」
この言葉は、今一体何の根拠をもって私の喉を震わせ発せられたのだろう。
なぜ、「人は生きていくしかない」あるいは、「生きていかねばならない」のか。
空中を浮遊する蚊は人に害を与えるからと言ってみな平気で殺すが、人に害を与える人を簡単に殺してはならないのはなぜか。
「人を殺すくらいなら自分が死ね」という考え方が、世間でまかり通っているのはなぜか。自分の命と他人の命は、天秤にかけることができるものなのか。
「生きていることが辛い。生きていても良いことがない。死ぬことがこの暗闇の出口だ。」と人が言うとき、それを抑制することが、止める側にとってメリットがあっても、死にたいと叫ぶ当人にとってメリットはあるのか。
答えは、わからない。いくら考えたって、わかるわけはない。
自殺をしたら、悲しむ人がいるから頑張って生きる。自殺に失敗したら、今よりもはるかに苦しい日々が待っているから、仕方なく生きる。
色んな理由があるだろう。だが、それは人によりけりだ。ちなみに、死ぬことに失敗し生涯苦しむ消えない後遺症を背負ったり、もっとひどければ植物人間になったりという例は、ネット上で少なくない数耳にする。自ら命を絶つことは、簡単ではない。
だから私は、答えのないことを考えるのはやめて、とにかく人に「笑顔と平和」を配って生きようと決めている。寿司で人を笑顔にする。それは小さなことだが、そんな小さなことの積み重ねが、人に生きていることに対する喜びをもたらすのだと信じている。
寒いじじいかもしれない。だが、それでもいい。
今日も私は、丘陵の上にポツンと立つ寿司屋にて、訪れる客に笑顔を配っている。
そろそろ日が暮れる。丘の上に生い茂る草の中にぽっぽっと花を咲かす、明るい黄色のタンポポが萌えている。
<悪人殺し>
ああ、今日はとんだ災難にあった。
数時間前、同じアパートの住人に横腹を切りつけられてから、横腹が酷く痛む。
あのあと、自分で傷の手当てをし、服を洗い、都合の悪いものを処理した。
夕刻になり、夕日で街がオレンジ色に染まり始めたころ、近くのコンビニまで煙草を買いに行った。昼時、仕事を終えてきた場所だ。
コンビニの前まで来ると、コンビニの上に建てられているアパートが自然と目に入った。アパートの階段を上っている男女がいる。
夕日に照らされた男女の顔は、幸せに溢れていた。とはいってもそれは、時がたてば崩れてしまうようなもろい印象を伴うものではなく、互いに何かを許しあっているかのような、どこか固く強い印象を感じさせた。
視界のわきに映り込んだ男女を見送り、コンビニに入る。
煙草を一箱買ってコンビニを出て、自分の住むアパートの方角にある公園を目指して歩を進め始めたが、誰かに後をつけられているような感覚が、公園の中に入るまで消えなかった。
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