額から流れる

あめ かなた

終焉

はあ、と彼女がため息と共に顔を上げた。同時に重力に逆らう髪が舞う。


「おわったね」


微笑んだ拍子に伝う汗が暑い太陽に照らされ輝いている。

僕は彼女の色気に鼓動を速めながら目を逸らす。


「本当に、良かったのかな?」

「なにが?」

「……三井さんのことさ」




僕は出来事を思い出す。


 2020年夏。

人々が集まる社交会。業界の令嬢である彼女に連れてこられた僕は、場違いな気がして会場の隅っこでチビチビとワインで口を湿られていた。


「おやおや、誰かと思えば」


 ニタニタと面白そうに声をかけてきたのは、同じ出身大学の同級生、三井だった。

 高級そうなスーツに、丁寧にセットされた髪型。ああ、そうだった、彼の実家は有名な資産家だったっけ。


「やあ、五年ぶりだね三井君」

「ああ……しかし、驚いたよ、君がこんな上級な社交界に参加とは。どういうコネを使ったんだい?」

「コネだなんて」

「ここにいる女性は皆、一級品だ。君みたいなスーツに着せられているような男が来るような場所じゃあないよ」

「わかっているさ」


 シャンデリアが眩しく、流れる曲も知らない。出回る料理の味も、僕には合わない。だからこうしているんだろう。

 特に反論もせずにいると、カツカツと上品な音を立てながら、深いブルーのロングドレスに身を包んだ細身の美女が近づいてきた。


「お兄様。スピーチの時間です」


 三井君に向けられた言葉。そして、ちらっと僕を見、表情はそのままに会釈をした。つられて僕も返す。


「幸子。こいつは俺の大学の同期で、専属の買い出し人だったんだ」


 三井君がわざとらしく笑う。そんな言い方しなくても、パシリだろと、内心毒づくが、ぐっと堪え、笑う。


「初めまして、三井幸子です」


 特に表情を変えずに、僕に優雅な挨拶をした彼女は、呆れているのか見下しているのか、はたまた興味がないのかわからない。

 僕も同じく挨拶をすると「時間がありませんので、失礼します」と、三井君を連れて去ってしまった。


 ほっと一息こっそりついていると、すぐにスピーチが遠くのステージにて始まった。どうやら今回の社交会は三井君主催だったようだ。


 ぼんやりと眺めること数分「それでは改めまして」と、三井君はワイン片手に掲げる。乾杯の合図なのだろう。

 せめてもの抵抗で、僕は聞こえていません、と視線を逸らし、合図の前に手元のワインを飲み干した。


 遅れること数秒「乾杯!」の合図で皆、掲げて飲む。三井君が飲む音も、マイク越しに聞こえて来た。


「うぐっ」


 いつもの優雅で余裕たっぷりの声と全く違う、地を這うような唸り声に、僕は反射的にステージ上の彼を視界に入れた。

 前かがみになり、口元からぼたぼたと垂れる液体はワインか、それとも血液か。


「お、お兄様?」


 会場がざわつき、焦り出す。何事か、と。


「う、ぐ……ああ!」


 声ともならないような、悲鳴にも似た形で、勢いよく地面へと崩れ落ちる。

 よく見るサスペンスドラマのような状況。次の瞬間には、会場からも悲鳴が上がった。



 

 救急車、死んでいる、じゃあ警察だなんだと大事になった社交会は、誰一人予定時刻に帰ることを許されなかった。

 僕もそれは当然で、警察による全員分の身体検査と事情聴取が行われていた。


「え、毒物? それって、殺人事件ってこと?」


 既に身体検査も事情聴取も終えた彼女が、会場の隅で順番を待っている僕に、こっそりと耳打ちしてくれた。


「……そうみたい。だってほら、あのワイン飲んだ瞬間だったでしょう? 警察は探しているのよ、この中にいる犯人を」

「この中って、いったい誰が」


 社交会には参加者五十名弱と、従業員も入れれば八十から九十人に上る。見つけられないだろ、と感じてしまう。


「でも、絞られてはいるみたいよ」

「え?」

「ほら、死んだ彼のワインに入っていたみたいだし、あのワインに近づけた人が犯人なのよ」

「なるほど」


 それなら僕は容疑者から外される。だってあの時、三井君は手ぶらだった。


「わたしが怪しいと思うのは、あのウエイトレスか、彼の妹。そして、彼の父親」


 彼女の綺麗な細身の指が、ぴ、ぴ、と順に指していく。


「ああ、ああ、駄目だよ」バレたらどうするの、と焦る。

「大丈夫よ。ウエイトレスはね、死んだ彼にこき使われていたらしいの。それに近くにいたわ」


 ウエイトレスの彼は、あまりに僕に似ていた。彼が今のパシリ役なのかと思うと同情する。

 あの妹は、したくもない秘書役をやらされていた。父親は、娘を溺愛していて、後継ぎは娘にさせたかったんですって。と、動機は誰にもあるようだった。


「でもさ、そんなこと調べてどうするの」

「楽しいでしょう? こんな機会、滅多にないわ」

「関わらな方が良いと思うんだけど」

「そう?」


 ニコニコとこの場に違う笑みを浮かべる彼女の心理が、いつもながら理解できない。どこが、どうして楽しいのか。


「わたし、あの妹が犯人だと思うわ」

「え」

「行きましょう!」


 僕の手をぎゅっと握り、彼女がスカートをなびかせる。

 僕と彼女を視界に入れた妹――――三井さんは、眉をひそめた。


「……また来たの。何か用?」


 明らかに機嫌の悪い様子は、僕ではなく彼女に向けられていた。


「あなたでしょう? 犯人」

「はあ?」

「わたし見たの。あなたが彼のワインに何かを入れているところ」


 え、と僕も漏らす。が、みるみるうちに三井さんの表情が悪くなる。


「入れるわけないじゃない!」

「嘘よ。入れていたわ。おまわりさーん!」

「止めてよ!」


 警察を呼ぼうとする彼女を、三井さんが必死に阻止しようとする。これでは怪しさは増すばかり。

 彼女の報告を受けた警察は、三井さんの取り調べ順を速めた。

 そして、部屋の中から悲鳴に似た声が上がったのである。


「嘘よ! アタシはやってない!! ア、アタシは彼に頼まれただけなの! 翼を持った、アタシの婚約者の! 彼は天界の住人で、必ずアタシを迎えに――――」


 狂気にも似た三井さんの訴えや、「彼」「翼」「天界」などという意味のわからない叫びなどから詳しく事情を聴くなどして連行されていった。


 結局、この事件は三井さんの精神障害から起こった殺人事件、として扱われたけれど僕は知っている。





「本当に、良かったのかな?」

「なにが?」

「……三井さんのことさ」


「良いのよ。だって、気に食わなかったんだもん」


 彼女が笑う。そして、血かワインか。判別の付かない濡れた手で前髪をかき上げた。


「だって、わたしの一番はいつだってキミだから。キミの為ならなんだってするわ」


 額から伝うのは血かワインか。重力に負け、頬、首、そして、背中へと下る。

 肩甲骨辺りに、大きな翼が、僕には見えた。

 


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