隣で笑う
幸村 凛
はじまりはここから
『ゆず、ご飯いこうよ!』
そんなメールが届いたのは新卒で入社して1ヶ月がたった頃。
差出人は大学の同級生の美優希からだった。
そういえば、「卒業して落ち着いたらご飯行こうね!」なんて約束をしていたな。
『いいよ。いつ行く?』
『明日の夜!ジャスも誘ってる!』
三人で食事か...
美優希とジャス……こと正義君、そして私の三人は大学時代のサークル仲間だ。
大学時代は他のメンバーとも集まって誕生日を祝ったり、ビーチパーティーをしたりとよく遊んでいたけれど、男の人が苦手な私はジャスとはあまり話したことがなかった。
正直なところ気まずい。
けれど、美優希が企画したのだから誰を誘おうと彼女に任せることにした。
『19時に和風屋に集合!』
お昼過ぎにそんなメールを受け取ったもんだから定時で帰るために必死で働いた。
私は遅刻するのが嫌いだ。
相手が遅れてくることは構わないけれど、人を待たせるのが嫌いだった。
ある程度切りのいいとこまで終えて時計を見ると時刻は18時15分を指している。
15分の残業になったが、これなら大丈夫。
彼女の指定した場所までは30分かかるから今から出れば少し早いぐらいの時間には着くだろう。
「お疲れさまでした。お先に失礼いたします。」
まだ働いている上司や先輩に挨拶をして事務所を出る。
同じ部署の人たちは皆とても優しくいい人ばかり。
それでも、年上ばかりの職場では話を合わせるのが難しく、少し窮屈に感じている。
さて、30分間のドライブで何を聞こうか。
車を運転しているときは音楽を聴くことが日課だった。
ナビの画面を操作し、保存されている曲の中から気分に合わせて選ぶ。
再生ボタンを押すと、ささやくような声で歌う男性歌手の曲が流れる。優しく歌う彼の声は私にとって最高の癒しだ。
待ち合わせ場所に着いたのは約束の10分前。
案の定まだ誰も来てはいない。
美優希はサークルで集まるときも定刻に来ることはなかったからいないだろうなとは思っていた。
ジャスについては……どんな人だったっけ。
一番記憶にあるのはカラオケで踊っていた姿。人気の女性アイドルグループの歌を歌いながら部屋を歩きポーズを決める姿を思い出した。私はああいう風に人前で踊ったりするような人も、アイドルの歌も苦手だった。そして、それを撮影して騒いでいるサークル仲間のことも私は少し冷めた目で見ていた。
あとは、サークル内で唯一タバコを吸っていたっけ。皆で集まっていてもいつの間にか部屋からいなくなっていることがあった。サークル内にはタバコを嫌がる人もいたけれど、私は特に気にならなかった。
他に何か印象に残っていること……
しばらく考えてみたけれど、これと言って浮かばなかった。
他の男子メンバーとは遊んだりしていたけれど、彼とはあまり思い出がない。
会話も当たり障りのないものだったからか話した記憶もほとんど残っていなかった。
考え事をしていたら、コンコンッと車の助手席側のドアがノックされた。目線を横に写すと、美優希がドアの前に立ち、手を振っているのが見えた。
私も軽く手を振り返してから鞄をもって車を降りる。
「ジャスは残業になったから遅れて来るって。」
「そうなんだ。ジャスが来るまでどうする?」
「とりあえず、中入って待っとこ。」
「おっけー。」
美優希に会うのは卒業式以来だ。
久しぶりに同年代の友人と話せることが私は嬉しかった。
「仕事はどんな感じ?」
席に着くなり美優希から質問が飛んだ
「んー、どうといわれてもなぁ。先月まで勉強のために店舗にいたんだけど、今月からは本部の事務所で全く違う仕事が始まって、また振出しに戻ったとこ。」
「ゆずの仕事ってどんなことだっけ?」
「ショップの事務員。売上管理したり、新商品考えたりってのが仕事かな。今まで全く触ってこなかった分野だからどうしていいかわからないことが多いけど、面白いではある。」
「へぇー、楽しそうだね!」
「美優希はどうなの?卒論書く内容決めた?」
彼女は同級生だが、一年間の語学留学に行っていたため卒業が来年になる予定だ。
「まだ決めてなーい。それより、今年のインターンでシンガポールのホテルに行くことにしたよ!」
「インターンって海外も選べるんだ?」
「うん、実習生として受け入れてくれるんだって!」
彼女の行動力にはいつも驚かされる。
海外で働く経験は確かに今後の人生の糧になるだろうけれど、言葉も通じず、友人もいない場所で働くなんて私には到底無理だと思う。
「すごいじゃん。いつから行くの?」
「六月の半ばぐらいだよ!」
「あと一か月半後か。何日ぐらい行くの?」
「夏休みが終わるまでの三か月間の予定。ホテルに泊まり込みで仕事するんだけど、その間に語学学校にも通えるから仕事の経験と語学の勉強が同時にできるってわけ。」
「めっちゃいいじゃん。仕事と語学を同時に学べるってなかなかできないよね。」
「うん。休みの日には観光していっぱい写真送るから楽しみにしてて……あっ、ジャスこっち!」
店の入り口の方を見て美優希が手を振る。
彼女の視線の先にはスーツ姿のジャスが立っていた。
「お疲れー。」
ジャスは気だるげな声でそう言って私の隣に座った。
ふわりとほろ苦い香りがする。
おそらく、ここに来るまでの間に一服してきたのだろう。
「もう何か頼んだの?」
「まだだよ。ジャスは何食べる?」
「んー。迷うなぁ……。美優希とゆずは決めたの?」
「私はあんかけ野菜炒め定食にする!」
「私はチキン南蛮にしようかな。」
私と美優希が答える間にもジャスはメニューをめくっていく
肉料理が並ぶページを数回往復してジャスがやっと口を開いた。
「じゃあ、とんかつ卵とじ定食にするー」
子供っぽい笑顔でそう言うと、店員を呼ぶボタンを押して注文をする。
注文を取り終えた店員さんが去ってすぐに美優希が口を開いた。
「ねぇ、ジャスは仕事どんな感じ?」
「んー、最近はお店の前で呼び込みとかキャンペーンのチラシが入ったティッシュ配りとかしてるよ。」
「ジャスってなんの仕事してるの?」
「あ、ゆずには言ってなかったっけ?インターネットのプロバイダ契約を結ぶ会社にいるよー。歌太郎ってカラオケ屋さんがある十字路のそばにある店なんだけど……ってもしかしてわからない?」
「ごめん、大通りしか通ったことないからあの辺わかんないわ。」
「嘘でしょ……。うーん、あのね、おっきい木があって、それを囲むように環状道路があるとこわかる?」
「あー、うん。割と有名なとこだよね。近くに飲料会社の工場があるとこ。」
「そうそう!そこを左に曲がったら市場があって、そこを抜けたとこにあるよ」
「へぇー、あんなとこにインターネットの会社なんてあったんだ?」
「意外と目立つんだけどなぁ……。今度近く通ったら回り見てみて!」
「おっけー。見てみるよ。」
そんな会話をしていると料理が運ばれてきた。
「いただきます。」
全員の料理が揃ったのを確認して食べ始める。
いつもは一人でご飯を食べているせいか、一緒に食べる人がいるというだけでいつもよりご飯が美味しく感じる。
大学時代も一人暮らしだったので状況は同じはずだが、社会人になってから人と何かすることが楽しかったり、嬉しかったりするようになっていた。
「ゆずは職場でいい出会いとかあった?」
不意に美優希がそう切り出した。
突然の質問に驚きつつ「特にない。」と答える。
「同じ職場の人は年上ばっかで、同じ部署の人は全員既婚者だからそういうこと考えることもないよ。」
「えー、既婚者でもいい人はいいなって思うじゃん。」
「既婚者に手を出すのはダメでしょ。」
「手を出すのはダメだけど、いいなーって思うのは自由でしょ?」
まぁ、言いたいことはわかる。
魅力的であれば惹かれてしまうということは実際あるだろうし。
「まぁ、そういうこともあるかもしれないけど、私は既婚者ってだけでそういうふうに見なくなるかな。いいなって思うこともないよ。」
「ふーん、そっか。じゃあ、ジャスはどうなの?」
黙々ととんかつ卵とじ定食を食べ続けていたジャスに美優希が問いかける。
「んー、そういうのはないかなー。同期に女の子はいたけど、全く別の店舗で交流ないし。自分の店舗は男しかいないし。」
「そっかー」
美優希はつまらなさそうにそう呟く。
その後は卒論の話や仕事の話をして解散した。
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