生き証人である君へ

永洞むらさき

第1話 願うなら




夏の日差しが、焦げ付くような風を私に向ける。

まるで私の感情が世界に吹き付けているようだった。










「紗季、涼しいところに行かない?」


夏休み。外は殺人的な暑さの中、冷房で冷え切った図書館で友人のは本で顔を隠しながらと呼ばれる人物に話しかける。話しかけられた紗季本人はノートから目を離すことなく、一ミリだけ口角を下げる。


「え、ここも十分涼しいと思うんだけど…」

「ちゃうちゃう、避暑地に行こうってこと。もう、紗季たんはインドアなんだから。」


まなは読んでいた本をちょい、と紗季のノートに重ねる。勉強の邪魔をされた紗季はあからさまに眉をしかめ、仕方なく飛び込んできたページに目を向ける。


「なにここ。映画の撮影地?」

「…にも使われてるみたい。映えるし涼しいし夏の思い出にいいかなって。」


まなの差し出した資料集に写っていたのは、洞窟を四角く切り取ったような空間に雰囲気あふれたライトアップがいかにもSNS好きにはたまらないといった様相だ。


「まな、真剣な顔つきで資料読んでるからてっきり勉強に集中してるもんだと…」

「これもある意味勉強だから。人生の勉強だから。」


そんなキリッとした顔で言われましても。


とりあえず今は学生なんだから、人生の勉強もそうだけど出された課題の勉強もちゃんとするべきだと思う。紗季はそんなことを考えて、言葉にする前にどこかへと消し去った。


「ていうか、まなまだ課題終わってないって…」

「これ行ったら書ける気がする!」


キラキラと輝かせた瞳に、紗季は二の句を告げられなくなってしまった。


まあ、私は今日で終わるし。

SNSには疎いけど、きれいな所なら行ってみたい。


「いいね、行ってみ…」

「よし決まり〜。じゃあ土曜10時に駅のバスターミナルで!」

「……。」


正直、まなのこういった強引な所が好きだ。

私は持ち合わせていない気概だし、これまでこうしてワクワクすることをたくさんしてきた。

柄にもなく、胸が高鳴ってしまう。







約束の日、太陽はこれでもかと日差しを叩き込むように降り注いでいる。

暑い。駅までの道のり、歩いている人などひとっこ1人居ない。まるで現実味がないような今日に、紗季はときめきを隠せなかった。




「おーーー、これから山の中入るのに気合い入ってるじゃん。」


バスターミナルに着いたのも束の間。出会って数秒、まなに笑顔で今日のファッションをディスられる。だが、まなもお気に入りの服を着てきている。

確かに動きにくいかな、と思ったけど、なんせまなと映えプレイスに行くのにお洒落していなかったら…それこそ強制的にお色直しをするのに時間もお金もかかってしまう。


「これが本日私の最大にして最高のコーディネートです。勘弁してください。」


紗季は大人しくこうべを差し出し、降伏ポーズをとる。まなはぐい、と肩を寄せ、満面の笑みを浮かべながら早速セルフィー。


「えー?私のために最高着てきてくれたの?嬉しすぎじゃん。写真いっぱい撮ろーね。」


もう、わかったから、なんて照れ隠しをしながらバスの時刻を確認する。あと2分で来るみたい。

私たち以外にバスを待つ者はいない。こんな暑さの中だと、外に出ることすら億劫だったりする。実際、バス停のみならず街中も人はまばらだ。みんな我先にと室内に逃げ込んでいる。


でも青春は暑さなんかで止められない。

暑さなどで青春を止めることなどできないのだ。


なんかいい感じのセリフだったので二回言ってみたりする。なんだかんだ言いながら少し浮かれている自分が手に取るようにわかって、ふふ、と声に出して笑ってしまった。






車中でどんどん田舎に進む景色を眺めながら、お腹の空き具合を見て食べるランチを決めよう、なんて話しているとあっという間に降車場に着く。

女子の会話ってなんでこんなにあっという間に過ぎるんだろう。この時間が永遠であればいいのに、と毎秒思っている。我ながら幸せな人生だ。紗季はまなのゴールドに艶めくアイシャドウを眺めながら、そんなことをぼんやり考えていた。




冷え切るバスの扉が開き、もわんと熱い外気に体が包まれる。ぐあぁ、暑い。息を吸うたびにのどが焼け付きそうだ。


「おお、外観すご。私の語彙力やば。溶ける前に早く行こ!」


まなはちょい、と軽やかに手招きして足早に目的地へと急ぐ。

これから女子高生二人が入っていくには些か物々しい…切り立った崖に埋め込まれた入口へ足を運ぶ。

まなと紗季がいつもより浮ついた声で中へと進むと、そこは資料で見たままの空間が、視界に収まりきれない広さで二人を包んだ。


あれ?なんだろう。

何故か胸が締め付けられる気がする。

ワクワクドキドキするのに、切ないような。


説明のつかない紗季の心を弾け飛ばすように、まなは満面の笑みで目をキラキラさせてあはは、と声をこだまさせる。


「広ぉ!てか寒ぅ!!あはっ涼しいどころか寒いよ紗季!」

「ま、まな、他のお客さんもいるからもう少し小さい声で…」

「紗季!そこに立って。振り返った瞬間に写真撮るから合図で振り返ってね。」


まなはスマホをかかげてほら早く、と紗季を急かす。紗季は恥ずかしがりながらも指定された場所に後ろ向きで立つ。


まなは写真を撮るのが凄くうまい。

まなの父は写真家で、その影響もあってかまな自身も被写体であることに慣れている。

撮られる時はいつも少し恥ずかしいけど、めちゃめちゃいい思い出になるのも事実だ。今回もめちゃめちゃエモい写真を撮ってくれるだろう、と紗季は期待に胸を膨らませながらまなの合図を待つ。



しっとりと濡れた静寂の坑内に、ため息のような声が聞こえた気がした。

遠くからか、隣からか。

優しくて、消えてしまいそうな小さな声で。



「きれいだ。」



え。


紗季は思わず振り返ると、スマホの向こうでまなが不思議そうな顔で紗季を見ていた。


「ど、どうしたの、まだ合図出してないよ。反射的にシャッター押しちゃったけど。」


スス、とカメラロールを確認していい写真撮れたからいいけどさ、と腑に落ちないまなを他所に、紗季は辺りに視線を巡らせる。


「今、声聞こえなかった?」

「声?どんな?あそこの団体のじゃなくて?」

「違う、なんかもっと…囁くみたいな。」

「ちょ、怖い話無理なんですけど。気のせいじゃん?とりま次行こ。」


そうだよね、気のせいだよね、ただでさえ涼しいのにもっと涼しくなるのは勘弁だ。ぷんぷんと首を振って順路通りに幅を広く歩き出す。


まなのプロフェッショナルな写真と私の高校生らしい写真がどんどんと増えていく。ああ、夏を満喫している。楽しい。さっきの怖さが嘘みたいだ。


「まなぁ、そこに居て。遠くから写真撮りたい。」

「ここら辺でいーい?」


大きく切り抜かれライトアップされた壁をバックにまなはおちゃらけたポーズをとる。紗季はその様子を見ながらもっと可愛いのにしてよ、と声を出して笑いながら後ずさる。


「うーん、もっと下がらなきゃだな。」


階段の後ろは切り立っているが、ここまできたら妥協して撮りたくない。ずりずり、と柵に背中が食い込んでいく様子を見て、まなは心配そうに広げた手足を収める。


「ちょっと、後ろ気をつけてよ。落ちたらどーすんの。」

「大丈夫大丈夫。ほら、可愛いポーズとって。」


紗季が画面から被写体に目を向けた刹那、濡れた足元が上半身を柵の外に放り出し、世界が真っ逆さまになって…まなの叫び声が響いた。


やば。落ちる。

心配してくれたのにこのザマ。

まなにちゃんと謝らなきゃ。

ああ、楽しかったのに台無しにしちゃったなぁ。

この休みは入院生活になるのかな。

最小限で済んでほしいな。



やけに冷静で多弁な頭とは裏腹に、体はスロウモーションのように下へと引っ張られていく。紗季はぎゅっと目を瞑り…これから起きる出来事を想像して早くも気が滅入っていた。



「あぶないところだった。」



…また、さっきと同じ声だ。

自分が恐怖で作り出した妄想の声かな?

全く現実味がないったらありゃしない。


上でまなが私の名前を叫んでる。ここの管理人さんにも怒られるだろうなぁ。まな、巻き添い食うことになってごめん。元気になったらちょっと高いご飯でもご馳走しなきゃ…



…ん?


まなの声が聞こえてるってことは、意識は失ってない。まだ体も痛くない。

いつまで経っても地面に到達しない。

おかしい。なにかがおかしい。


紗季が薄っすらと目を開けると。



「さ、さ、紗季…それどうなってるの?」



まなの震えた声が、かろうじて聞こえる。






私の体は地面と少し離れた所に浮いていた。













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