恋は盲目、終の晴眼
縁側の上に日記帳を広げて、僕とあやめは隣り合わせに座っていた。今朝の
眩しさに目を細める少女の、その横顔を僕は、ようやく見ることができたのだ。四年越しの夏に、その終わりに──飽きるほど見てきた情景でさえ、僕は
「……うん」
誰にともなく頷いたあやめは、虚空に融けて
『この夏を、二人で一緒に楽しむこと。』
ところどころ芯が折れて、そこだけ筆跡が濃くなっている。けれども文章はその一言だけで、後はただの白紙だった。きっと彼女も僕も、暗々裏に思いを似通わせていたのかもしれない。エゴというには純粋で、お願いというには軽率な、そんな最後の約束事を。
だから僕は、そのまま微笑して頷いた。あやめも口元に
「今日は、何処に行こうか」
「彩織ちゃんと一緒なら、何処でもっ」
屈託のない笑みで、あやめは僕を見詰める。焦点の合った真っ直ぐな眼差しが、無邪気な子供のように見えて、どこか懐かしかった。飽きるほど見ていても、まだ懐かしい。きっとそれは、否、それはもう、もはや──。
「あ、でも──」
少女は矢庭に立ち上がると、その真白いワンピースを虚空に
「──最後はやっぱり、この村がいいな」
◇
僕は片手に日記帳を、あやめは麦わら帽子を
「……夏だね」
木漏れ日の眩しさに目を細めながら、けれどもそれを手で遮ることはなく、彼女は何かを噛み締めるように微笑む。
「──あっ」
矢庭に、あやめは立ち止まる。半歩だけ先を進んでいた僕はその足を戻すと、アスファルトの薄墨、あるいは雑草の浅緑を透かしている彼女の、凝然たる目線の先を追ってみた。路傍から立ち込める土草のそれが、軽風に乗りながら鼻腔を柔らかにくすぐっていく。
緩やかな坂ばいの向こうには、古びたアスファルトと黄金色の稲田を挟んで、陽光に
「入道雲……」
頬を伝う汗がアスファルトに融けたように、あやめの声色も、その
繋いだ手の合間を、ひときわ強い風が埋めていく。梢と葉は緑の匂いを振り撒いて、
吹き抜けた夏風は坂道を下ると、そのまま、陽炎の立ち込める昊天へと融けていった。僕はあの余韻に浸りながら、
「あの入道雲、大きいね」
「……見えるんだ」
「うん。モノクロだけど」
喜悦の笑みを洩らしながら、あやめは汗に張り付いた前髪を、中指の先で拭い取る──その微笑を僕は、どんな面持ちで受け取れば良いのか、よく分からないでいた。なんとも言えない二極端の間の
──これが、もはや疑いようのない、彼女と過ごせる最後の夏なのだろう。だからこそ、この夏を、あの景色を、色彩を、眩しさを、近く迫る
「だから──取り敢えず彩織ちゃんは、私に色を分けてくださいな」
青天井から降り注ぐ青い日差しが、彼女の瞳を射していく。それが狂おしいほどに愛おしくて、そうして、
「うん。──僕が、君の世界に色を分けてあげるよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます