恋は盲目
「──なんかね、目が見えないんだ」
彼女のその一言が、僕にはこれ以上ないほど場違いで、突拍子なものに思えた。だからなのだろう──先に感じていた何もかもが、
「死んだはずなのに、気が付いたらここにいたの。暑かった。すぐにお家の縁側だって分かった。
指先を縁台の縁になぞらせて、取り
「……本当は、死んだ人がここに残ってるのって良くないんだよね。どうやったら成仏できるのかな。それとも、真っ暗の中でいつまでもこのままなのかな。ずっと考えてたけど、まったく分からないや。でも、そうしたら、彩織ちゃんに会ったんだよ。たまに誰かが来ることはあっても、誰も私には気が付かなかった。どれだけ話しかけても、無視されてるみたいで──きっと、今の私って、誰にも見えないんだろうね。死んだから幽霊になったのかな。でも、彩織ちゃんだけは、私が見えて私と喋れるんだね」
喜色という名の泡沫が弾けたように、あやめは
「だから、名前が呼ばれた時、凄く嬉しかったの。結構びっくりもしたけど……でも、久しぶりに会った彩織ちゃんを失望させたくなかったから、なんとか演技したんだ。生きてる時みたいに、盲目を悟られないように振る舞って──だけど結局、彩織ちゃんはまた来ちゃったもんね。そうしたらもう、誤魔化せないよ。知っちゃったね、私のこと。……失望したかな。怖いって思わせちゃったかな。ごめんね」
いつからか、彼女の声は微かに震えていた。
僕はその様子を目の当たりにしいしい、どう返事をしようか、
「……それは驚いたけど、失望なんて、してない。怖くもない。あやめちゃんは、あやめちゃんだから。僕はまだ何も知らないけど、そうなったのには、きっと理由があるんだよ。僕だけがあやめちゃんを見れて、話せるんだから、きっと、何かが──」
「──だったら、運命?」
「……そんな大それたもの、あるのかな」
「あるかもしれないよ、きっと。私が彩織ちゃんに初めて会ったのも運命なら、こうして死んだ後も会えるなんて、これも運命っていう気がする。月並みな表現だけど、彩織ちゃんだから、なのかな。なんで彩織ちゃんかは分からないけど、そう思うんだ」
運命──その二文字が持つ摩訶不思議な不可視の魅力に、あやめも僕も、どこかで
目前の少女は、盲目の瞳でこちらを見詰めながら小さくはにかむ。きっと、今の僕は、あやめにとって唯一の、救済にも等しい相手なのだろう。煩悶を幾度も幾度も繰り返してきたらしい彼女にとって、たかが僕ごときは、いったい何ができるというのだろうか。既に亡き盲目の少女を相手に、僕はどうすれば──。
──盲目。無色透明の、色彩すら無い
「だったら、僕が──」
そう言いかけたところで、口を
自分の持つ
彼女のためと言ってしまえばそれまでなのに、どうにも上手く収まらない。腹心に何か黒く
だとしたら僕はやはり、褒められた人間ではないのだろう。根本的な解決方法を探すこともせず、現状に甘んじて、あまつさえ自分をほんの少しでも立てようという気概の、如何に愚かしいことか。同時に、それを強く自覚していながらもなお、そうしようと心意気を変えない気概の、如何に浅ましいことか。けれども今の僕には、そんなことはどうでもよかった。ただ、目前の少女にこの心持ちを伝えるだけの勇気を、ずっと、掌で探している。
「……えっと」
噤んだ言葉を、もう一度だけ吐き直す。あやめはそんな僕の面持ちを、ただ
「──だったら僕が、君の盲目に色を分けてあげるよ」
「…………なに?」
自分で言っておきながら、失敗したなと思った。当のあやめは、僕の言葉に目立った反応を見せてくれない。ただ真意を図りかねたように、呆然としつつ小首を僅かに傾げている。それもそうだ。完全に僕の伝え方が悪かった。こんな文学的な言い回しでは、誰も彼も分かりはしないだろう。やはり僕には似合わない。
どうしたものかと人知れず
「なんか彩織ちゃん、必死だね」
あやめは笑みを噛み殺しながら、僕を見上げてそう微笑む。
「でも面白そうだから、その話、乗るよ。私は馬鹿だからよく分かんないけど、きっと彩織ちゃんの言うことだし、私に何かしてくれるんでしょ。何だろうなぁ、楽しみだなぁー。えへへっ」
華奢な膝に手を当てて、彼女は足を遊ばせている。矢庭に曇天の切れ目から射し込んだ陽光が、その足元を照らしていって、まるであやめの心持ちを代弁するかのように、一筋また一筋と雲間が見えてきた。青天井が広がっていく。曇りのち晴れ──天気予報だと今日は曇りと言っていたのに、なんだか裏切られた気分だ。けれど、悪い気はしない。その理由はもう、分かりきっていた。
「取り敢えず彩織ちゃんは、私に色を分けてくださいな」
青天井から降り注ぐ青い日差しが、彼女の瞳を射していく。それが狂おしいほどに皮肉で、そうして、
「うん」と返事をした僕の後悔はたった一つだけで、やっぱり物語の主人公みたような言い回しは、僕には似合わなかった。
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