第175話◇第十層・渾然魔族『喚起邀撃』領域8/顛末(中)
レラージェ、ストラス、スーリさんの射手勝負が行われている間は当然、他の者達も戦っていた。
スーリさんがストラスとの弓対決に集中出来たのは、この人のおかげ。
「うっひゃあ。やっぱ目に見えないと辛いねぇ」
困った様子で、それでも軽い調子を崩さずに笑うのは【遠刃の剣士】ハミルさん。
彼はグラシャラボラスによって不可視化を施されている魔物を、次々に『飛ぶ斬撃』で退場させている。
「思うんだけど、これってダサくない? 敵さんが退場まで見えないもんだから、虚空に剣振ってる人みたいになってない? 大丈夫かなユアンちゃん」
「あの! すみませんが今それどころでは!」
ユアンくんは自分の【
「あはは、そうだよね~……ほいっと」
力を抜いているように見えるのに、その斬撃は凄まじい速度だった。
それは『飛ぶ斬撃』となり、ユアンくんを狙った『風刃』一つを弾く。
「――! 感謝します……!」
ハミルさんは人差し指と中指を立て、それを眉あたりに当ててから、ヒュッと振るうポーズをした。
「いいってことよ。もうちょいしたら助け行くかんね」
魔法剣持ちの戦士職は確かに強いが、剣の性能に頼りがちな者も少なくない。
ハミルさんは剣遣い型【戦士】としての地力がある。
その実力は第一位パーティー所属【サムライ】マサムネ、第二位パーティー【騎士王】アーサーなどに並んで世界五指に数えられるほど。
魔法も斬れるカタナ使いマサムネさん、【勇者】以外で唯一聖剣を扱えるアーサーさんと同列に語られるくらいに、彼は優れた剣士なのだ。
ただ、彼はそれを主にサポートに使う。
敵の打倒と仲間の生存なら常に後者を選ぶ。
なので、二人に比べると目立った活躍は少ない。
だが細かく見ればこのレイド戦でもその実力は窺える。
第三層ではカーミラの膨大な血による攻撃から仲間を守りきり、第五層では決まると思えたシトリーさんの不意打ちを回避してみせた。
第八層ではフルカスさんにやられたものの、鬼の力を解放したフルカスさんの動きに、人の身でありながら反応していた。
フルカスさんはエアリアルさんに狙われていたし、あの勝負は純粋な剣術勝負ではなくフルカスさんの奇策によって勝敗が決したので、単純には語れないだろうけど。
「見えないのは面倒だけど、骸骨はカタカタ音するし、ワンちゃんは足音と息遣いで分かるんだな、これが」
本気を出してない、というわけではないと思う。
けど、彼の優先事項は仲間を活躍させることなのでは、と思うことがある。
今だって通常魔物を引き受け、自分にはギリギリまでの接近を許しながら、スーリさんを襲う個体を狩り、ユアンくんの危機を的確に救っていた。
そんな彼が、スーリさんとストラス達の勝負に関与出来なかったのには当然、理由がある。
スーリさんの腕を信用していた、というのはもちろんあるだろう。
余計な邪魔が入らなければスーリさんが勝つと信じればこそ、ストラスを狙うような動きは見せなかった。
もちろん魔王城サイドもそこは警戒していた。【死霊統べし勇将】キマリスの【
邪魔はなく。
そして、それは弓勝負が始まるのに合わせたかのようなタイミングで起こった。
いや、事実合わせたのだろう。
不可視化した者同士は互いが見える。レラージェはストラスの策を知っており、他の魔物は彼女の動きから事が動くと察知した。
「ようやく俺にも大物が来てくれたのかな」
ハミルさんが大胆に床から天井に向かって剣を振るう。
弧を描く斬撃は真上へと飛んでいき、己へと降ってくる軌道で迫るグラシャラボラスを迎え撃つ――はずだった。
「おぉっと?」
風魔法を操る【
同時、冷気が迸る。
ベーラさんの【
床が足ごと凍る攻撃を、ハミルさんは咄嗟の跳躍で回避。
だが攻撃はそこで終わらない。
「はっ、やいなぁ……! 『神速』!?」
空中、避けようのないタイミングで放たれたストラスの『神速』。
それが放たれるということは、スーリさんが負けたということ。そうでもなければスーリさんが味方への攻撃を許す筈がない。
その驚きが脳内を支配して動けなくなってもおかしくない状況で、彼は。
『飛ぶ斬撃』で二本、剣の腹と柄頭を器用に使って二本、左手で一本を掴み、首の動きで頭部を狙ったそれを回避。六本の矢全てに対処。
驚嘆すべき動きだが、さすがにそこまでしては体勢も崩れる。更には床は凍結されたまま。
半ば落下に近い着地から立ち上がり、そして剣を――。
「間に――」
合わない。
床を砕きながら着地したグラさんが、彼の右腕に噛み付いた。
そのまま飛び立つ。
ハミルさんは腕を食い千切られぬよう反対の手でグラさんの毛に掴まり、飛び立った方向に自分から跳躍。
天井ギリギリまで飛び上がるグラさん。
ハミルさんは相も変わらず笑っている。
「俺の魔法剣はさ、斬撃を飛ばすって言われるけど、じゃあ『斬撃』の判定ってなんだと思う?」
彼の魔法剣は遣い手の意識を汲み取る。斬撃は威力をそのままに、速度は振るう速さを元に決められる。『斬撃』は始点から終点を遣い手が決めるのだ。
『斬り始めたぞ』から『斬り終わったぞ』という遣い手の意識が、斬撃か否かの基準ということ。
つまり、彼自身が剣を振るうことは必須事項ではない。
遣い手が意識し、剣が実際に動いていれば、それが『飛ぶ斬撃』として発動する。
だから――。
「俺は魔法が使えないから、飛ぶのはアリだよね。落ちただけで死ぬし。けどあんな勢いでこんな距離飛んだらダメだよ」
グラさんの行動は間違いではない。
かつて【雷轟の勇者】くんがそうだったように、彼に噛みつかれた箇所は普通、千切れ飛ぶものだ。そこを瞬間的に動きを合わせ、腕を繋げたまま彼に喰われるという状態に持っていったハミルさんの行動が常識外。
それに加えて腕を噛まれた状態から『斬り始めたぞ』と考え、天井付近に達した時に『斬り終わったぞ』と考えられる精神性。
グラさんの飛行速度と距離がそのまま、魔法剣によって長く速い『飛ぶ斬撃』として発現。
剣は魔物の口腔内。
斬撃は閃き、【不可視の殺戮者】の肉体を内部から斬り裂いた。
鮮血は魔力粒子という形で飛び散り、それを浴びたハミルさんは落下を開始。
グラシャラボラスは、退場してしまった。
だがハミルさんの腕は辛うじて繋がっているという状態。もはや地力で振るうことは出来ない。
でもそれは、利き手の話。
彼はすぐに剣を持ち替え、叫んだ。
「ユアン! 防御!」
普段の彼らしからぬ真剣な声に、ユアンくんは即応。
直後、斬撃の暴雨が第一エリアを襲った。
『
ハミルさんの生み出したスキルで、極小の斬撃を瞬間的に無数に生み出し、敵に浴びせる技だ。
その仕組みはそう難しくない。
『斬り始めたぞ』から『斬り終わったぞ』までの剣の動きが『飛ぶ斬撃』となるなら、通常一つの斬撃している動き『始点から終点まで』を分割し、『始点からAまで』『AからBまで』『Bから~』と終点に至るまでを複数の斬撃とすることも可能。
普段の彼の斬撃が一つ一つ意味を持った正確なものだとすれば、これは範囲攻撃。
彼が剣を振った全ての方向に、凄まじい速度と威力を誇る極小の刃の群れが殺到する。
問題は刹那を更に刻むような短い時間の中で、連続して意識を切り替えられる思考速度がなければいけないこと。
なによりも範囲攻撃として成立させるためには、瞬間的に膨大な斬撃を放つ必要があること。
それを、利き手と逆で、落下中に、仲間が攻撃範囲にいるにもかかわらず行うとは。
彼は左手で剣を操り、第一エリアの床全面に向かって剣を振り続ける。
【黒妖犬】の鳴き声、【骸骨騎士】の骨が砕ける音が響く。
ユアンくんは空気の鎧を纏っているようだ。
そう、ハミルさんはユアンくんに警告した。
その声は、魔王城の魔物にだって聞こえた。
キマリスさんの反応は早かった。
グラさんの退場から準備していたのかもしれない。
一部を除き、【
フェニクス戦でも有用性を示したが、【
性能はそのままとはいえ、人格が伴わない
不可視化することで、無理に戦わせず、魔法の強さだけを利用できるのだ。
グラさんが退場したことで不可視化は解けてしまった。
死霊術師であるキマリスさんの居場所も敵にバレる。
必要なものを除き、回収しておく判断は正しい。
彼自身はベーラさんの【
「エルフちゃんもここで潰しておきたいな」
ストラスは矢をハミルさんに向けていた。
だが無数の斬撃の空隙を見つけるのは至難。その上、時間もない。
「個としては、貴方の方が優秀でしょう。ですが――」
ストラスはもう分かっている。
パーティーは五人。それで沢山いる魔物を倒さなければならない。
一人ひとりに求められる技量は相当なもの。
それでも、基本的にダンジョン攻略は勇者パーティーが勝つものとされる。
【勇者】が圧倒的なのもあるが、彼ら彼女らを支える冒険者達だって重要。
そんな冒険者達を、どう倒せばいい?
確かに、ほとんどの魔物は、一騎打ちで【勇者】には勝てない。
その現実は、一部の例外を除けば一生覆らないだろう。
それでも、彼らが負けることはあるのだ。
数が多いなら、それを活かせばいい。
一騎打ちで勝てないなら、それ以外で自分の力を活かせばいい。
最終的に冒険者共が全滅したなら、それは魔物全員の勝利だ。
「貴殿らの献身に感謝を」
不可視化が解けた次の瞬間には、残った【黒妖犬】と【骸骨騎士】はストラスに向かって走り出していた。
間に合わなかった者もいるが、間に合った者もいる。
【黒妖犬】は跳躍し、【骸骨騎士】は盾を構える。
ストラスを襲う斬撃、彼女の射線を阻む斬撃の数を、身を挺して減らす。
一体の【骸骨騎士】は盾を捨て、腕を広げてストラスの前に立つ。
それは、ストラスにとって最高のサポートのようだった。
最後の一体が砕け散る。すぐ後にストラスの身体も切り刻まれる。
だが、間に合った。
一射。
ハミルさんの剣捌きから針の穴を通すような隙間を見つけ出し、射る。
ストラスは弓を盾とし、一瞬でも長く場に残ろうとあがく。
自分が退場してしまえば矢も消えるから。せめて届くまではと。
そして、その矢は――ハミルさんの右足を貫いた。
「うっそだろ……」
ハミルさんがストラスに誰を見たか、僕には分かった気がした。
今の技を成功させられる射手がいるとすれば、それはスーリさんくらいのもの。
落下する彼は、まだ退場していない。
風魔法で柔らかく受け止める者がいたからだ。
「おー、ありがとね、ユアンちゃん。上手く行ったかい?」
「えぇ、なんとか」
ユアンくんは多くの【
ユアンくんの【
結果、ハミルさんを助けることも出来た。
「けど」
「えぇ、分かっています」
まだ終わりではない。
ボロボロの氷壁から、更に氷塊が展開される。
ユアンくんに氷の塊が激突するような勢い。
後ろにハミルさんがいる今、ユアンくんに迎撃以外選択肢はない。
巨大な風刃を正面に放って対応する彼だが、裂かれた氷塊の中から飛び出す人影に目を剥く。
「ベーラ……ッ!」
風刃スレスレを駆け抜け、ユアンくんに迫るベーラさんの【
ユアンくんは、どうにもベーラさんを知っているが故に、その【
確かにベーラさんらしくはないだろう。
肉弾戦を仕掛けてくるなんて。
手の甲あたりから氷の刃を生やし、両腕で巧みに斬撃や突きを放つ。
また、壊れた氷塊の上を走る者もいた。
キマリスさんだ。
「見えてるよ」
「承知の上だ」
ハミルさんの『飛ぶ斬撃』を、彼は巧みに受け流す。
【死霊術師】ではあるが、彼には戦士適性もあるのだ。
続いて、氷魔法による水流が出来上がった。
波のようにも虹のようにも見えるその氷のルートを、キマリスさんが器用に滑る。
行く先はハミルさんだ。
『飛ぶ斬撃』がキマリスさんを狙えば防がれ、道を破壊してもすぐに再生成される。
キマリスさんが常にハミルさんの右側を通るようにしていることもあり、今のハミルさんでは普段の実力が発揮出来ない。
右手右足が損傷し、左手と左足だけで敵を見て、斬らなければならないのだ。
「くっ……。済まないが、ベーラ。君の
ユアンくんが聖剣でベーラさんの腕を断ち、続けてその心臓に突き刺す、そしてそのまま頭に向かって斬り上げた。
彼女の
「……気分のいいものではないな」
遣い手が退場したことで、氷の道も消える。
ユアンくんはハミルさんの助けに入ろうとして――
「つ、ぁッ!」
咄嗟に振るった聖剣は、狙いをつけたわけではないのだろう。
だが結果的にキマリスの投擲した剣の軌道は逸れ、ユアンくんの頬を裂いて背後に飛んでいった。
キマリスさんは、最初からハミルさん狙いではなかった。
ベーラさんをあてることでユアンくんの心を少しでも乱し、ハミルさんのサポートに急く気持ちを利用して攻撃を決めようとしたのだ。
彼の得意分野はやはり死霊術。
フルカスさんレベルの武人でもなければ、高位の精霊術を修めた【勇者】を相手どるのは厳しい。
死霊を失えば、彼に残るのは実直な剣技。
魔法が絡むとなれば、勝利は難しい。
それを承知で、策を組み立てた。
「……そう上手くはいかんか」
キマリスさんの身体が斜めにずれ、すぐに魔力粒子と化す。
ハミルさんに斬られたのだ。
第一エリアの魔物は、こうして全滅した。
ユアンくんは呆然と自分の剣を眺めている。
「違う……今のは」
「あー、ユアンちゃん」
「! そ、そうだ。ハミル殿!」
我に返り、ハミルさんに駆け寄るユアンくん。
「すぐに修復薬を!」
「いや、無理なんだ」
ハミルさんの傷は酷いが、すぐに使用すれば、最終エリアまで
もちろんそれは、ほぼ素通りで最終エリアまで行けるという仮定で、だが。
もし行ければ、ハミルさんほどの腕前だ、攻略にまだまだ貢献出来るかもしれない。
だが、それは叶わない。
「あの大型ワンちゃん、器用だよ」
ハミルさんの修復薬は、グラさんの爪で破壊されていた。
自分のものしか使用出来ないので、ユアンくんの分を貸すことも出来ない。
「!? あ……だからキマリスは」
「だねぇ。俺は放っておいても下まで行けない駒だから、ユアンちゃんを釣るために使ったわけだ。けどナイス防御!」
『空気の鎧』は繊細な魔力制御が求められる。身体の動きに合わせて、ある程度の防御力を保持した風魔法を纏い続けるのは難しい。
直前に巨大な風刃を放ったことやベーラさんの相手をしたこともあり、剣が飛んできた時には纏っていなかったのだ。
便利に思えても、使える魔法全てを常に展開して戦い続けることは、出来ない。
「あれは……偶然です。あの瞬間、ハミル殿を助けねばと焦るばかりで、自分が攻撃されることなど考えもしなかった」
俯くユアンくん。
【
そう考えてもおかしくないのだ。
だからこそ、キマリスさんは剣を投げたのだろう。
「いいことじゃないの。ユアンちゃんは精霊だけじゃなくて、運まで味方につけてるってことなんだから」
「――――」
「ほら、さっさと行きな。君は【勇者】なんだろ?」
一度はハミルさんに助けられながらも、優秀な冒険者複数の【
彼はもはや付け入る隙などではない。
顔を上げたユアンくんの顔には、笑みが浮かんでいた。自分を奮い起こすような笑顔。
「行きます」
「後は頼んだよ、なんて」
「任せてください!」
ユアンくんは風魔法で扉に向かい、すぐに第二エリアに繋がる通路へと消えた。
残されたハミルさんはしばらくヘラヘラ笑っていたが、ユアンくんが見えなくなったあたりで、表情を歪めた。
とても、とても悔しそうに。
「……くそ」
彼は魔力が流れ出す身体を引きずり、剣を杖のようにし、ゆっくりと扉へ向かう。
自分達のリーダー、【迅雷の勇者】スカハの戦場に足を進める。
だが、それは叶わない。
彼も分かっているだろうに、その身体が砕け散るまで、仲間に合流しようと進み続けた。
残る冒険者はこの時点で――六人。
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