第117話◇参謀と女王とぶたさん




 新生第十層を僕の想定通りに動かすには、全てのフロアボスの力を借りる必要がある。


 僕が契約しているフロアボスは、第一層【地獄の番犬】ナベリウスさん、第二層【死霊統べし勇将】キマリスさん、第三層【吸血鬼の女王】カーミラ、第四層【人狼の首領】マルコシアスさん、第五層【恋情の悪魔】シトリーさん、第七層【雄弁なる鶫公】カイムさん、第八層【刈除騎士】フルカスさん、第九層【時の悪魔】アガレスさん。


 カイムさんはこれまでも時々話す機会があり、今回の新生第十層について相談した際に快く契約してくれた。

 ……いや、正確には彼の出すなぞなぞをなんとか解くことで契約してもらえた。


 フロアボス相当の強さを持つレア魔物さん達についても相談を進めていて、こちらの契約状況も順調だ。

 残るフロアボスは第六層【水域の支配者】ウェパルさんなのだが、彼女は女性だ。


 別にルールというわけではないが、ミラさんに無断で逢いに行くと彼女の機嫌が悪くなる。

 怒った彼女が怖いからというより、避けられる怒りならば避けた方がいいだろうという考え。


 というわけで、第一運動場。

 ダンジョン内に設けられた職員用の空間の一つ。

 僕は自身の登録証を記録石にあてることで転移。カシュによると彼女は此処にいるとのことだが……。


「あぁんっ!」


 嬌声が聞こえた。

 広い空間に響き渡る、女性の甘く高い声。


 カーミラのもの、ではない。

 【吸血鬼の女王】カーミラが鞭を持って立っている。


 彼女が手首を動かすと、鞭が消えた。いや、振るったのか。確かに鞭はやりようによっては、凄まじい速度を出すことが可能。あれ……パンッ! という炸裂音が……音速越えてる?

 それとは別に、鞭がものを叩く音が続く。

 それが嬌声の発生源。声の主は、同じく吸血鬼の女性。


「私、言ったわよね? 新人の教育は貴女に任せると、そう言ったわよね?」


「言いまじだっ」


「貴女、自分に任せてください。完璧に仕上げてみせますって言わなかった?」


「ぞうでずっ。おねえざまが正じいでずぅ……!」


 四つん這いになって尻を鞭で打たれているその女性は、喜悦の声を上げながら表情を蕩けさせている。

 生身ではないだろうから……魔力体アバター? でも感覚はあっても痛覚はない筈……。

 気持ちの問題だろうか。


「あら、今貴女なんて言ったの? 私を姉と呼んだのではないわよね?」


「ひぃっ」


「この【吸血鬼の女王】の妹なのだとしたら、何? 貴女って王女?」


「ご、ごめんなさっ、ひゃうぅ……!」


 また鞭が振るわれた。女性は涎を垂らして嬉しそうに震えている。

 僕は圧倒されて声を掛けられなかった。

 二人は僕に気付いていない。


「貴女は王女なのかと訊いているのよ?」


「違います! あたしは役立たずの豚です!」


「おかしいわね。豚から人の言葉が聞こえるわ」


 わざとらしく首を傾げるカーミラ。


「~~~~っ! ……ぶ、ぶひぃ」


 女性の口から、絞り出すような声真似が発せられる。


「私に豚の言葉を理解しろと言うの? 人の言葉を話しなさいよ、気の利かない豚ね」


 再び鞭。

 理不尽の極みだ。

 だが女性はとても文字で表せない声を上げながら喜んでいる。


「で? 何故新人の動きがトロいままなのかしら。しかも男ばかり」


「……」


「聞こえないの? そう、私の言葉を拾えない鼓膜なら、張っている意味ないわよね。破ってしまいましょうか」


「し、新人の女の子が可愛くて!」


「……で?」


「その子を熱心に指導している中で……男共は放置していました」


「へぇ、そう」


「! ごめんなさいごめんなさい! あたしはおねえさま一筋です痛い! 女王様! 女王様一筋です痛いっ、痛っ、嬉しっ」


 なんか妙な言葉が混ざっていたような……。


「貴女の好みなんてどうでもいいのよ。遅れた仕事を完遂なさい」


「うぅ……で、でも女王様も悪いんですよ。あの男がやってきてから、あたしに構ってくれなくなったし……部屋にもあまり戻っていないようだし、あたしともしてくれたことないデートとかしたって言うし、それにそれに――ひゃあっ」


「私が仕事以外で何をしようと、貴女には関係のないことでしょう?」


「ぷ、プライベートでも豚にしてくれれば……」


「仕事も出来ず、欲するばかり……貴女なら、そんな部下をどうする?」


「! します! 仕事しますから! 捨てないでください!」


 足に縋ろうとする女性を、カーミラは素早く後退して躱す。


「あぅっ」


「許可も無しに人の肌に触れようだなんて、私も安く見られたものね」


「違うんです違うんです!」


「どうでもいいわ。私はこれから新装された第十層を見てくるから、貴女は貴女の仕事をなさい」


「うぅ……またあの男のところに行ってしまわれるのですね」


「私はこれから休憩時間なの。それに私だけではないわ。全てのフロアボスはレメゲトン様と相談を重ね、真の渾然魔族領域完成に向かって手を取り合っているのだから」


「そしてあたしは放っておかれるのです……うぅ、放置プレイ……興奮する……」


「次サボったら、別の豚を副官にするから」


「そんな! わ、分かりました」


 そう言って女性は立ち上がり、固唾を飲んで二人を見守っていた――大勢の吸血鬼に視線を遣った。


 そう。此処は折檻部屋ではなく、運動場。

 そもそもの目的は鞭打ちではなく、吸血鬼全体での訓練。

 女性は先程までカーミラに向けていた甘く蕩けた声から一転、荒々しい口調になる。


「おら豚野郎共! あたしのことをクビにする気か! 血ぐらい自在に操れるようになれ! 再生は意識的にやるんだよ! 大ダメージ負った時に自動で全体治す暇があると思うか! は? やり方? 手本を見て、後は実践あるのみだろ馬鹿! よぅし手本みせてやる。まずお前だ! あたしの喘ぎ声聞きながら興奮してただろ、上司に性的興奮を覚えるんじゃねぇよ、変態め!」


「貴女が言うと説得力がないわね」


「えへへ」


「褒めてないわ。気持ち悪い子ね」


「……でへへ」


「教えて欲しいのだけど、貴女どうやったら落ち込むわけ?」


「女王様に捨てられたら、でしょうか」


「……そうならないよう、努力なさい」


「はい!」


 二人の会話が収まったタイミングで、僕はカーミラに近づいていく。


「カーミラ」


「――――」


 彼女の背中に声を掛けたのだが、何故か石像のように固まってしまう。


「げっ……あんたは、レメゲトン……様。女王様を奪い……迎えに?」


「あぁ。貴様は……ハーゲンティだったな」


 カーミラは僕と部下をあまり逢わせたがらなかった。

 だがこれからはそうもいかないので、今日は僕の方から逢いに来たのだが……。

 彼女は彼女で、これから僕に逢いに来るつもりだったらしい。


「そ、そうよ……そう、ですけれども?」


 彼女は言うならば、一回り小さいカーミラだった。

 髪型も服装の雰囲気も合わせているが、身長も胸の大きさもカーミラには届かない。


 戦い方も似ているが、男の冒険者への対処が雑で、逆に女性は丁寧過ぎる。

 これは手抜きということではなくて、男は速やかに退場させるが、女性は捕縛する、ということだ。女性冒険者が棄権――自分の意思で退場――するまでイジメるのである。


 カーミラは男女平等にイジメるので、そこは差異と言えるだろう。

 魔王城勤務なので、当然強い。カーミラが副官に指名するくらいだ、優秀でないわけがない。


「な、なによ人をジロジロ見て……はっ、まさかあたしとも契約するつもり!? くっ、誰が男のモノになんて……でも女王様と同じ立場というのは捨てがたい……い、いいわ。あたしをあんたの契約者しもべにしなさいよ。好き勝手呼び出して都合よく使えばいいわ! あたしの心はそれでも女王様のも――ぼぉっ!?」


 人ひとり分の、魔力粒子が弾けた。

 ――退場だ。


「申し訳ございませんレメゲトン様、部下がご無礼を」


 迷いのない一撃だった。


「おいおいハゲ様がやられたぞ」「あんなに恐ろしいハゲ様を一撃で」「素敵……」「見えなかったけど、操血術か……?」「ハゲ様、久々の女王様の鞭にはしゃぎ過ぎたか」「踏まれてぇ」「お前、ハゲ様に報告するからな」


 などなど、吸血鬼さん達も驚いてはいるが、絶句するほどの出来事ではないらしい。


「あぁ、大丈夫ですわ。魔力体アバターの生成費用はしっかりと弁償しますから。お気になさらず。ささ、行きましょう」


「……う、うむ」


 カーミラから謎の圧力を感じた僕は、そのまま記録石に向かう。

 一度だけ、カーミラが部下を振り返った。


「ハーゲンティが戻ってくるまで、教わったことを復習なさい」


 全員が即座に返事した。統率力はばっちりだ。

 移動後、カーミラはミラさんに戻った。仮面を外した素顔は、真っ赤になっている。


「レメゲトン様? ど、どこから見ていたのですか?」


 僕は周囲に人がいないことを確認してから、仮面をとる。


「む、鞭で打ってるところから、かな」


「~~~~っ。違うんですっ! あの子は適度に虐めないと能率が悪くなるんです! だから仕方なく……部下の前ですると更に喜ぶから楽で……決して……うぅ……私の趣味では……」


「わ、分かってるよ」


「本当ですか? 『俺には隠してるけど実はSM趣味なのかよやべーな』とか思われているのではないですか?」


「思ってないし、僕はそんな喋り方しないし」


「……そもそも、何故レメさんがあんなところへ?」


「え? あぁ、ウェパルさんに逢いに行こうと思うんだけど、ミラさんから話を通してもらった方がスムーズかなって」


 ということにしておこう。


「あぁ……確かに。彼女は気分屋なので、気が向かないとずっと潜っていたりしますからね」


 第六層は水棲魔物の領域。なんと海が広がっている。潜られると、見つけるのはともかく逢いに行くのは困難だ。


「ふふふ、でも嬉しいです。レメさんの方から逢いに来てくださるのは初めてですから」


「……そうだっけ」


「そうですよ。いつもいつも私からだったので、今日は記念日ですね」


 ミラさんは嬉しそうだ。


「一緒にいる時間が長いから、用件とか思い出しても後で逢った時に話そうって思っちゃうんだよね。気を遣わせてたみたいで、ごめん」


「いいのです。むしろ当たり前になってきているのは良い兆候です……ふふふ」


「ミラさん?」


「なんでもありません。それと今後豚……部下と逢うことも増えるでしょうが、彼らが知っているのはカーミラであってミラではないので、そこのところをお願いしますね?」


「う、うん。そういえばさっきの……」


「あぁ、ハーゲンティですか。大丈夫ですよ、やたら予備の魔力体アバターを作っているんですあの子」


 ……多分、ミラさんに退場させられたいからじゃないかな、それ。


「契約の邪魔をしてしまいごめんなさい。イラっとしまして。優秀ではあるので、のちほど一緒に契約に向かいましょう」


「いいの?」


「信用してますから。でも必ず私とセットで呼んでくださいね?」


 ニッコリと微笑むミラさんの表情は、いつもの優しい彼女のものだった。


 

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