願い焦がれるアマル・ガム

ブラインド

焦がれる世界

「か、完成した……!」


 そう叫んで老人が立ち上がり、しかし、がくりと前のめりに倒れかけてテーブルに手をついた。テーブルの上に置かれていた一抱えほどもある装置が小さく揺れ、周りにあった小さな金属片や紙の束が転がり落ちて床に散らばる。

 フローリングの床に元から落ちていた空き缶や空のカップ麺容器などに混じって、それらの行方はわからなくなる。

 老人……江南知コウスケは息を整えると、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。


「く、くくく……いかんいかん、興奮のあまりぽっくり逝くところじゃった。まだまだ、ワシの目的のためには死ぬわけにはいかんのじゃ」


 彼は、側のダッシュボード上に置かれたスピーカーに声をかける。


「おい、ミュージックリスト一番を再生するんじゃ」

『ミュージックリスト、一番、を、再生します』


 スピーカーから機械音声が返事をすると、ドラムとベースが刻む速いビートが流れ始め、軽快なギターとシンセ、それからポップな女声が乗っかっていく。

 立ち上がったコウスケは足でリズムを合わせるように歩き、キッチンへ向かいマグカップに粉とお湯を注ぐ。


「……ふー」


 小刻みに縦ノリしながら、スプーンでかき混ぜてから煽る。


「うむ、やはりミルクティーは落ち着く……じゃがさすがに粉も飽きてきたし、そろそろあの喫茶店にも顔を出すか」


 マグカップを置き、テーブルへ戻ると、改めて深呼吸をしてから装置の細部を確かめる。

 金属製の装置は、スイッチやメーターを差す針がついた箱状の部分と、その上に大きな輪が乗った形状をしている。


「こいつにかかりきりでもう……何日目だ? おい、今日は何日だ?」

『今日は二〇五〇年、七月、七日、です』

「ほう、七夕だったか……」


 意図のないそんな呟きに、スピーカーは答えない。そのことに不満を覚えるでもなく、独り言は続く。


「それなら明日でいいかの。きっと店で七夕飾りでもやっておるじゃろうし、こんな陰気な爺が行っても盛り下げるだけじゃ」


 点検を終え、装置に取り付けられたスイッチに手を伸ばし、しかし躊躇って手を離す。


「……やはり緊張するもんじゃな」


 呟き、意を決したようにスイッチをオンに切り替える。

 スイッチの横のなにかの数値を示す針はゼロのままじっと動かないままだったが、数秒ほど待ってコウスケがため息を吐いた次の瞬間、いきなり跳ねた。


「おおっ!?」


 メモリの動きに呼応するように、輪の内側、それまで何もなかった空中に何かが現れ始める。

 光を受けてきらめく霧のような、白い、否、虹色のようにきらめく粒子がそこに浮かんでいた。


「まさか成功したのか……!」


 その様子に、装置を作り上げたはずの当人が大いに驚いた。


「まだ調整が必要だと思っていたが、よもや……」


 落ち着けたはずの気持ちを再び昂ぶらせ、立ち上がると天を仰いで笑い声をあげた。


「かははは! これでようやくワシの念願が叶うぞ! これで“ほぼ無からエネルギーを取り出す”ことができる!」


 感極まった絶叫に、庭から鳥の飛び立つ羽音が聞こえてくる。


「まったく、研究をオカルト扱いしたマスコミもあっさり見放した研究所も! 協力しておればあと十年は早く完成していたものを! じゃが、これを見れば皆、ワシの正しさを認めざるを――」


 だが、言葉を遮るように装置の生み出した粒子が、いきなりばちんと破裂した。


「なんじゃ!?」


 それは彼にとっても予想外の事態だったらしく、慌てて装置から離れてキッチンに逃げ込む。

 そろりと顔だけを覗かせて、装置の様子を伺う。


「装置は……壊れていないか?」


 装置は先刻から変わらない様子でテーブルに鎮座しており、変わったのは輪の内側の粒子の方だった。

 さきほどまで光り輝いて漂っていただけの粒子が、急に赤茶色に染まり、凝集し、なにか形を得ようとするようにもぞもぞと蠢いていた。


「なんじゃあれは……こんな現象は想定にはないぞ!?」


 鉄錆のような粒子はやがて大きさを増し、輪より大きくなっても止まらず、装置をすべて包み込むとテーブルの上を占領する。

 粒子は見えない手に捏ねられる粘土のように形を変えていたが、やがてそれはある形へとまとまり始める。

 二本の細い棒を伸ばしてテーブルの上に立ち上がり、さらに二本の細い棒が伸びてバランスを取る。そして上端が伸びて球形を形作る。

 それは少々歪だったが、人のような姿になった。


「これは……一体どういうことなんじゃ……」


 恐る恐るテーブルへと近づき、装置を取り込んだ錆色の人形をしげしげと眺める。


「すぐに消滅するはずの粒子が増殖……? しかもなんらかの意図を持つかのように形状を決定して……」


 ぶつぶつと独り言を続けていたコウスケに、錆人形は顔らしきものを向け、そして細い腕を彼に差し出した。


「む?」


 腕はぐにょりと伸びたかと思うと、板状に広がってから薄く……まるで包丁のような形状になった。

 その形状を見て、背筋が冷えるような感覚を覚えて距離を取ると、ひゅんっと錆人形の腕が、さっきまで彼のいた場所を走る。

 油まみれの白衣の裾が、ぱっくりと切り裂かれていた。


「……わけがわからんがこりゃまずいか」


 自分を見つめる……見ているのかどうかはわからないが、そんな気のする相手から目をそらさないようにドアへ向かう。

 すると錆人形は追うように細い足を動かしてテーブルから降り、しかしそこにあった空き缶を踏んで見事にすっ転んだ。

 人形の手足のパーツは転んだ拍子に根本からぽっきりと折れ、床のゴミの中に転がったかと思うと、それぞれがもぞもぞと蠢き、形を変え始める。

 錆人形はじたばたとしばらくもがき、手足を再び長く伸ばしながらぎこちない動作で立ち上がろうとする。

 彼はそれを好機と、一気に駆け出した。

 部屋を飛び出し廊下を抜け、玄関へ向かう。

 だが、彼が辿り着く前に土間の上で光輝く粒子が現れる。


「今度はなんじゃ!?」


 慌てて足を止めるものの急ブレーキに体がおいつかず、ひっくり返るように尻もちをつく。

 粒子は先刻、コウスケの作った装置から最初に出てきたものにそっくりだった。その光は今度は雷光のようなものを撒き散らしながら爆発を起こす。

 玄関が爆発に巻き込まれ、ドアや棚が砕け飛び、粉塵が舞った。


『……転移成功、原住民を発見』


 土煙の向こうから、そんな声が聞こえてきた。

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